| 幸福 〜another end〜 |
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その事実を聞いた時、きっと通常の精神状態というか、正常な関係性が結ばれているのであれば、絶句して、すぐに覆せない事実を否定して、出来もしない修正を要求していただろう。だが、そんなことは一切何も浮かんでこなくて、薄情で冷血なことだが、その事実はあっさりと自分の中で当たり前のように認められてしまった。 ああ、この人ならやりかねない。 と、コンビニで新作のお菓子を見た時のように思ってしまった。それは確かに目新しくて、今までになかったお菓子なのに、出てきても不思議じゃないな、というように思ってかごに入れるような、そんな心情だ。 などと自分の頭が勝手にぼんやりと、とりとめもなく自分の身の内に起こったこの事実の受け止め方を考察なんかしているということは、きっと混乱しているのだろう。 昔から、心乱され、頭をまぜっかえされた時は、それとは逆に妙に冷静で冷淡な部分が顔を出す。そんな状態なのだ。 「というわけで、私はあと少し、正確には二十日ほどで死ぬことになります」 同じことを再度言われた。今度は少しゆっくりと。きっと、私が今、混乱していることを見抜いているのだろう。本来であれば自分の方が取り乱す側だというのに。自分で決めたこととはいえ、いつもこの人は冷静だ。憎らしいほどに。 「ワタリさんは、なんて仰られているんですか?」 彼以上に彼の状態を把握している老紳士の名を出す。その時、一瞬だが、彼の目に冷静以外の表情が浮かんだ。それに、急に不安が膨らむ。 「…………ワタリは、亡くなりました」 不安の風船が破裂した。 「私の判断ミスでした。彼が亡くなったのは、私の所為です」 黒い目が泳いで、いつもなら老紳士が立っていただろう斜め後ろを見て、すぐに戻ってきた。 「それで、貴方も死ぬのですか」 声に出して言うと、思った以上の衝撃で、崩れ折れそうになる身体と心を立て直すのが苦しかった。 「私が決めたことです」 「それしかなかったのですね」 「はい。最良の判断であったと、今でも思っています」 ただ淡々と。観察対象の事実を述べるように。自分の死でさえ、この人にとってはただの現実面の事象でしかないのだろう。 「そうですか……」 見ていられなくて、それはもちろん自分の弱さによるのだけれど、俯いてしまう。膝の上に置かれた手が目に入った。いつの間にか祈りの形に組まれて、関節が白くなるぐらいに力がこもっていた。解くと、手の甲に少し長くなっていた爪の跡が残っていた。 「……それから、これから事後処理などがありますので……」 「はい」 沈黙が降りた。 「本当は、ワタリに任せるつもりだったのですが……」 「はい」 彼の、史上最高の片腕は、彼を残して先に逝ってしまった。 「警視庁の方々が手伝ってくれるそうですが、私にしか出来ないこともありますので」 「はい」 手の甲で目をこする。いかにもごみが入ってかなんかして痒くなった時のように。でも、ばれているだろう。 もう片方の手で、側に置いていた鞄に触れる。 「それじゃあ、失礼、します……」 鞄の紐を持って、立ち上がる。 捜査本部用にと彼が作った建物の一室。マンションのような一室の、そのリビングのソファセット。向かい合って座っていたので、彼を見ないように自分の足だけを見て動く。新品のスリッパが目に痛い。 不意に引っ張られた感じがして立ち止まり、その感覚の出発点に目を移すと、白い手が、袖を掴んでいた。 「離して下さい。帰れません」 「…………嫌です」 短い言葉の中に、押し込められた感情が見え隠れしているような、そんな声音。 「帰れません」 「嫌です」 彼のことだ。この部屋も、どの場所にも、カメラがうまい具合に隠されていて、どこかのモニターで見れるようになっているだろう。それはきっと捜査本部の中枢で、きっと今も、誰かが事後処理に追われているはずだ。モニターの電源はきっと落ちているだろうけど、でも、映っていても、いいような気がした。 「痩せ我慢」 袖を掴んでいたほうの手首を逆に掴んで、引き寄せて、自分も飛び込んで、抱きしめた。決して、自分からはしない人。こういう時には決して。自分の弱さの出し方を知らない人。 「帰らなくて、いいんですね?」 頷くのを触覚で感じる。 「ずっと、ずっと、帰りませんよ?」 背中に手が回されて、力がこもる。いっそ、背骨ぐらい折ってしまって、道連れにしてしまってもいいのに。その力は少し怯えを含んでいて、決してその一線を越えない。 「忘れません。貴方を失くす悲しみは忘れるかもしれないけれど、貴方がくれたものは全て、覚えています。覚えるようにします」 「忘れてもいいのですよ。私のことなど忘れて、貴女は他に愛する人を見つけて、結婚して、子を産んで、温かな家庭を築いて下さい」 ぎゅっと、しがみつくように抱きしめられる。 「私が得られなかったものを、貴女が誰かに与えてください。愛する人に、愛する子供に。その姿を、光景を私は見れませんが。でも、今、私の目の前に広がっている光景は、そうなのです」 肩が濡れるのを感じた。 「貴女は幸せそうに笑って、子供を抱き上げる。その肩に、貴女の愛する人が手を回す。子は笑い、その人も笑う。本当に幸せそうに。貴女は、幸福に笑う。その光景をこの目で見れないのが、残念です」 「……その光景の中に、貴方がいないこと、それが私にとっては不幸なんですよ?」 その一言に、肩が震えた。背中側の服を掴む手に力が込められた。それに応えるように、自分も手に力を込める。 「私はいつか、貴方以外の人を愛するようになるでしょう。私は薄情な人間ですから。でも、貴方を愛したことを忘れることはありません。それほど薄情な人間ではないからです」 そして、私は最後の、最初で最後の、お願い事をした。 「私に、貴方が存在したという確かな証を下さい」 手の力が緩み、自分も緩め、身体が少し離れる。お互いの顔が見えて、それで、互いが泣いていることに気が付いた。 「私に、貴方に続くものを下さい」 「……そんな無責任なことは出来ません」 「どうしてですか? もうすでに無責任なことはしているんですよ?」 「しかし」 「……自分と同じ人間を作るのが嫌ですか?」 「しかし」 「親のいない子を作るのが」 「……今回のことで、私は初めて学びました。人を無条件で愛してくれるのは、親以外にはありえないと。どれだけ悪いことをしても、ただ赦してくれるのはその親だけです。もちろん、その親でさえそれが出来ないことはありますが。でも、出来るのは親だけなのです」 黒い瞳が、まっすぐに自分を見つめてくる。 「私は、私のような子を残したくありません」 「どうしてそう、決め付けるのですか? 子どもは子どもであって、貴方ではないんですよ?」 「しかし……それは貴女の自己満足です。そして私の……」 「自己満足以外の何で、人は子どもを産むんですか?」 言葉が消える。 「昔であれば、自分の遺伝子を残すために、子孫を残すために子を産んでいたでしょう。でも、今は違う。もちろんそれもあるけれど、今はちょっと違う。子どもを産むのは、結局は産みたいという自己満足なんですよ。だから、私も貴方の子を産みたい、育てたい」 「ですが、人を一人育てるのは、そんなに簡単なことじゃないんですよ」 「もちろん分かっています。普通の親が分かっているぐらいには」 「私は……」 「別に、貴方の代わりを求めているわけじゃありません。この感情は、きっと男の貴方には分からないでしょうね」 その胸に、顔を埋めた。 「最後の願いだと、わがままだと思って下さい」 彼はそれ以上は何も言わず、ただ、腕を回してきただけだった。 本当は、願っていた。 いつの日か、彼に温かい家庭を与えることを。 彼が、欲しくても決して手に入らなかったものを。 子どもの笑い声と、犬の鳴き声と、自分の笑い声と、そして、彼の笑い声と。 彼が声をあげて笑うなんて、想像も出来ないけれど。 でも、それは叶わなくなってしまった。 だけど、それが可能だったことを、彼に見せたかったのだ。 いや、自分自身が証明したかっただけかもしれない。決してそれは不可能なことではなかったと。 たった二人かもしれないが、そこに人並みの幸せがあることを。そこにもう一人が加わっても、それが崩れないことを。 いつか、そう遠くない未来の日曜日。少し遅めの朝食を、私は二人で摂るだろう。リビングの木製のテーブルの上には、トースト、オムレツ、サラダ、野菜ジュース、あるいは牛乳。着替えもせずにパジャマのままで。向かい合って座って、いただきますの挨拶をして、今日は何をしようかと話しながら、賑やかに食事をするだろう。 そして、そこには、写真立ての中から私達を見守ってくれている彼の姿があるのだ。 了 20060119 |
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| あとがきもどき |
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映画後編を見た後に浮かんだお話です。 おもいっきり夢要素の強いお話ですが、気に入っています。 |
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