終夜
〜I'm sorry.and...〜

 夏が終わり、秋が過ぎ、冬が来て少し、年の瀬はすぐにやってきます。赤い使者が来た吹雪の終わりの聖夜から数日、人々は聖夜の飾りを外し、新年を迎える為の準備を始めます。玄関の戸にかけられていたリースを外し、幸福を呼ぶパインの枝を飾り、新年を迎える時に飲むスープの下ごしらえをします。子供達は母親の手伝いをして新年用のご馳走を作るのですが、時には母親の目を盗んでつまみ食いをしたりします。一つ足りない料理に気付き、母親が子供を叱ろうと思った時には、既に子供は家にはいないのでした。
 新年のお祝いをする前に、人々は年の瀬の儀式をするのでした。年の瀬の儀式は、その年の一番最後の日の夜にします。一番のおめかしをして、一家が揃って教会に行くのです。教会では同じように、儀式をする為に集まった人々がいます。村人の全員が集まってから、その儀式は始まります。
 儀式、と言うと堅い感じがありますが、その内容は堅いものではありません。
 新年には諍いは残さない。その為の儀式、習慣なのです。教会に集まった人達は、目当ての人を見つけると、その人に近付き言うのです。
 あの時はごめんなさいね。
 言われた人は、それを笑顔で許さなくてはいけません。そう、年の瀬の儀式と言うのは、仲直りの儀式なのです。その年に起こった事、起こした事の全ての諍いを、今日のこの日で終わらせる為の儀式なのです。教会に、ごめんなさい、の声が響きます。相手が忘れていてもいいのです、自分の心に終止符をつける日なのですから。相手が覚えていて、未だに怒っていた時は、誠心誠意を持って謝ります。それに納得をすれば、相手を許すのです。時にはまた喧嘩が始まることがあります。その時は周りの人と神父様が止めに入り、結局は仲直りをするのです。他にも、会った瞬間お互いに謝り出す人もいます。自分が悪い、いいえ、自分が悪い、と、譲らない人もいたりします。それでも、この儀式が終わりに近付くにつれ、教会の礼拝堂には、人々の笑顔が溢れてきます。
 そうして、笑顔で新年を迎えるのでした。

 タユタは今年で十八歳になる少女でした。褐色の長い髪を持った少女で、いつも真ん中で分けた髪を三つ編みにして両の肩に垂らしています。顔は美人、とは言えませんが、少女らしい可愛い顔をしています。彼女自身は頬にあるそばかすを嫌っていましたが、それが可愛いと両親は言っていました。
 少女はずっとそのそばかすが嫌いだったのです。だから、そばかすがなくなると言うおまじないを沢山しました。しかし、そばかすが消えることはありませんでした。
 そばかすさえなければ、私も可愛くなるのに。
 タユタの口癖です。
 タユタには、年の近い幼馴染みがいました。村の子供は皆仲良しなのですが、その子とは家が近かったので、幼い頃からよく一緒に遊んでいたのです。タユタは今でこそ可愛らしい女の子ですが、昔は男の子のような女の子でした。男の子と一緒になって木登りをしたり、探検ごっこをしたり、毎日のように生傷を作っているような子でした。
 タユタの幼馴染みは体が少し弱かったし、気も弱かったので、いつもタユタの後をちょこんと付いて回っているような子でした。いつも無茶をするタユタに、危ないよ、タユタちゃん、と言って、止めに入るような、心の優しい子でした。
 タユタはいつも、大丈夫、大丈夫、と言ってその言葉を聞いていませんでした。
 ある日、タユタは崖から落ちてしまいました。前日に大雨が降っていて、地面がぬかるんでいたからです。崖から落ちたタユタは足を折り、一人では動けなくなっていました。タユタは落ちたショックで気を失ってしまい、気が付くとベッドで寝かされていました。どうして? と首を傾げるタユタに、涙で目を真っ赤に腫らした母親が抱きつきました。
 ああタユタ、私の可愛いタユタ、良かった無事で。本当に良かった。
 タユタは助かっていました。骨が折れた足には、添え木がされて、白い包帯がぐるぐると巻いてあります。いつもの倍も太くなった足を見て、タユタは抱きしめる母親に訊きました。
 どうして? どうして私はここにいるの? わたしは崖から落ちたのに
 母親は、ありのままを話しました。いつまでも帰ってこない二人を心配していると、タユタの幼馴染みが足を折ったタユタを担いで帰ってきたと言います。タユタはその話を聞いてすぐに、幼馴染みが今どこにいるかを尋ねました。
 大丈夫、今は家に帰っているわ。安心してタユタ、あの子もちゃんと無事よ。
 次の日、お見舞いに来た幼馴染みの体には、タユタの倍以上の包帯が巻かれていました。そのことに驚いたタユタに、幼馴染みは、大丈夫だよ、タユタちゃん。見た目ほどひどくはないんだ。ちょっと擦り傷や切り傷が多いだけだから。大丈夫。それよりタユタちゃんは大丈夫? と、心配そうに言って、タユタの顔を覗き込んできたのでした。
 タユタは、その時泣いてしまいしました。
 自分のほうが、この子よりも強いと思っていたのに。実は逆だとその時分かったのです。確かに、体の丈夫さから言えばタユタのほうが断然強いのでしょう、でも、心の強さは幼馴染みのほうがタユタの何倍も強いのだと分かったのです。しかしこれは悔し涙ではありません。その子の優しさに、何故か涙していたのでした。今でも、その涙の意味をタユタは知りません。
 その日からタユタの幼馴染みに対する態度が変わりました。前は手をつないでも何も感じなかったのに、手をつなぐと何故か心臓がばくばくするのです。他にも、急に顔を近付けられると顔が真っ赤になって、頭の中がぐるぐるしてしまったりもしました。自分でも、どうしてそんなことが起こるのか分かりません。もしかして何かの病気なのでは、と思い大いに悩んだりもしました。今ではそれがなんなのか分かっていますが、その当時はまったく解らなかったのです。それからタユタは幼馴染みを避けるようになりました。本当はそんなことはしたくなかったのですが、その子が近付くと顔を真っ赤になるし、平静が保てなくなるし、自分が自分ではなくなるような気がして、何故か逃げてしまうのでした。
 今、タユタはその事を大いに後悔しています。
 幼馴染みとタユタは、いつのまにか一緒にいることがなくなりました。あんなに仲が良かったのに、と大人達は不思議がりました。しかしそれは、タユタの望んでいたことではありませんでした。本当は一緒にいたいのですが、どうしても一緒にいると逃げ出したくなるのです。
 タユタはもう一度仲良くなろう、そう決意しました。しかし、何故か言葉が出ません。だから、タユタは年の瀬の儀式を待ちました。年の瀬の儀式の中でなら、自分の気持ちが言えると思ったからです。
 しかし、そのタユタの願いは叶いませんでした。年の瀬の儀式の前に、幼馴染みの一家は、町に引っ越してしまったのです。
 それ以来、タユタは幼馴染みに会っていません。
 どうしてあの時、自分の気持ちに気付かなかったんだろう。
 どうしてあの時、正直に自分の気持ちを伝えなかったんだろう。
 後悔は尽きません。
 あれからもう何年も経ち、タユタは大きく成長しました。あの時のような子供ではなく、立派な少女へと変わったのです。肩で揃えていた髪も伸ばし、長いスカートもはくようになりました。母親の手伝いで料理をしたり、お菓子を作ったりもしています。
 しかし、心はずっと、あの時の、素直に言えなかった女の子のままでした。
 幼馴染みが引っ越して、この村を去っていってしまってから、毎日タユタは泣いて暮らしました。毎晩空に浮かぶ月に、どうか会わせてください、とお祈りをしていました。今はもうそんなことはしていませんでしたが、心はあの時のままで、止まっています。
 タユタを好きな人は沢山いました。タユタは明るいし、料理も上手だし、何より笑顔の可愛い女の子だったので、いろんな意味でタユタは皆に好かれていました。
 しかし、タユタはいつも、心では泣いていたのです。
 あ、今日は、タユタさん。そう声をかけてきたのは、村外れに住むユリアという名の少女です。ユリアは母と兄の三人で住んでいて、他に出稼ぎに町に出掛けている父がいました。
 今日は、ユリアちゃん。確か今日帰ってくるんだっけ? お父さん。
 それにユリアは嬉しそうに頷いて、はい、帰ってくるんです。と嬉しそうに答えました。
 よかったね、年の瀬に間に合って。
 はい。昼には着くと手紙に書いてあったので、今晩の年の瀬の儀式には間に合うそうです。
 今日は今年最後の一日でした。今日の晩に、年の瀬の儀式があるのです。
 二人は少しお喋りをすると、それじゃあ今晩、と言って別れました。

 教会の鐘が鳴ると、家々の戸口が開きます。そして、一番のおめかしをした人々が、年の順に出てくるのです。その人達は皆、教会へと寄り道せずに歩いていきます。教会の礼拝堂に入ると、まずは神父様の話を聞きます。そして聖歌を皆で歌い、儀式が始まります。
 礼拝堂の中に、人々の謝る声が響きます。
 ごめんなさい。あの時はすいませんでした。許してくれますか。本当に申し訳ありませんでした。あの時の自分はどうにかなってたんです。何と言ったらいいか。
 タユタも人を探して、そして心に残っていたことを謝ります。でも、本当に謝りたい人はいないのです。
 ごめんね、あの時はごめんね。幼い声がタユタお耳に届きました。見ると、幼い少女が少年に、何かを謝っていました。その姿に、昔の自分と幼馴染みの姿が重なります。
 いいよ、ぼくはぜんぜんおこっていないから。
 ほんとう?
 うん、ほうとう。
 泣きそうだった少女の顔が、ぱあっと明るくなります。二人は手をつなぎ、笑い合って歩いていきました。
 自分も、本当はああなるはずだったのだ、とタユタは思いました。儀式で謝り、仲直りをして、前のように仲良しになるはずだったのだ、と思いました。
 タユタは謝り終えてしまったので、壁際に行ってもたれました。
 どうしてあの子は引っ越してしまったのだろうか。せめてこの儀式の日までこの村にいてほしかった、しかし、それでその子を責めるのはいけない、とも思ってもいました。引っ越したのはその子の所為ではなく、両親の都合なのですから。
 タユタは、いきなり思考の海から引き摺り出されました。神父様の声が響いたからです。
 どうやら儀式が終わったようで、人々は席に着こうとしていました。タユタも急いで目を袖で擦り、家族の近くの席へと移動しようとしました。
 その音が響いたのは、神父様の今年が終わることを告げる声が、礼拝堂に響く時でした。
 ばんっ
 いきなり教会の扉が、大きな音をたてて開きました。人々の視線が、一斉にその扉へと向かいます。そこには青年が一人、立っていました。ここまで走ってきたらしく、その両頬は赤く染まり、白い息がその口から漏れています。帽子から覗く髪は綺麗な黒髪で、一同を見回す睛は、明るい夜の色をしていました。
 その睛は、他の人同様呆然とするタユタで止まりました。
 青年は一直線にタユタまで歩み寄ります。その間に帽子を取り、コートを脱いで、手ぐしで乱れた髪を整え、そしてタユタの前に立ちました。
 ……神父様、まだ今年は終わっていませんね。
 そう訊いてきた青年に、神父は、ええ、まだ今年のうちです。と答えました。
 青年は乱れていた呼吸を整え、そして、
 ごめんなさい、タユタちゃん。何も言わずに行ってしまって。
 青年はそう言うと、深々と頭を下げました。タユタはそれに驚いて言葉が出ません。
 あの時、本当はちゃんと言って引っ越したかったんだけど、でも、僕はタユタちゃんに嫌われてたから。どうして嫌われていたのか、分かんなくて。きっと僕がタユタちゃんに嫌われるようなことをしたんだと思う。だから、ごめんなさい。
 青年は、ずっと頭を下げたままでした。タユタは、やはり何も言いません。
 青年が恐る恐る顔をあげてタユタの顔を見ると、タユタの大きな睛から、大粒の雫が溢れていました。青年はそれに大いに動揺します。
 ご、ごめんなさい。ごめんねタユタちゃん、僕……
 慌てる青年の言葉を制したのは、タユタでした。
 あや、謝るのは私のほうだわ。あの時、自分の気持ちに戸惑って、貴方を避けてしまって。ごめんなさい……
 所々つっかえながら、タユタはそう言って頭を下げました。
 あの日別れてしまった幼馴染みが、あの日謝りたかった幼馴染みが、どうしても会いたかった幼馴染みが今自分の前にいる。そう思うと、タユタの睛は涙を流すのでした。
 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。タユタは青年の倍、それを繰り返しました。そして、最後に、
 ずっと、会いたかった。
 顔を上げたタユタは、嬉しそうに微笑んでいました。それに青年は照れながらも、微笑んで答えます。僕もだよ、タユタちゃん。
 やっと、タユタは心のそこから笑うことができました。

 礼拝堂の中が笑いに包まれると、人々は歌をまた歌います。この一年に別れを告げる歌です。そして、新年が始まったことを告げる鐘の鳴ると、人々は新年を迎える歌を歌います。そして、次々に、
 新年おめでとう、今年もよろしく、といった新年お挨拶を交わします。
 おめでとう、タユタちゃん。
 おめでとう……。
 タユタと青年も挨拶を交わします。
 でも、どうして貴方はここにいるの? 今まで気になっていた疑問を口にします。それに青年は照れくさそうに答えました。
 僕、学校の先生の資格を取ったんだ。それで今度、この村の学校で教えることになって。本当は新年になってから来るんだけど、でも、どうしてもこの日に君に会いたくて。
 それにタユタは言いました。
 私も、この日にずっと貴方に会いたいと思っていたわ。貴方に会えて嬉しい。
 二人は微笑みあいました。

 儀式が一通り終わると、人々は町外れの湖の湖畔へと足を向けます。今年一番の日の出を見る為です。東の空がうっすらと白み、太陽がその姿を見せると、人々は歓声を上げます。その中には、タユタが昼間会ったユリアの姿もあります。兄のマイルと母と、出稼ぎから帰ってきたらしい父親の姿もあります。
 僕達の間には、大きな空白が存在していると思うんだ。
 新しい太陽を見ながら、青年は言います。
 でも、それを無理に埋めることはしなくていいと思う。別の何かで埋めていけばいいんだと思う。
 それにタユタが答えます。
 私は、私の知らない貴方を知りたいし、貴方の知らない私を知ってほしいと思ってるんだけどな。
 もちろん。でも、やっぱり無理はいけないと思うよ。のんびり、ゆっくりしていけばいいんだよ。
 そうね、貴方が言うと本当にそう思うから不思議だわ。

 再会を果たした二人の行く末を、新しい太陽が見守っていました。



/


あとがきもどき
こういう習慣があるといいと思いませんか?
(魔女の宅急便/原作/に似たようなことが書いていたような…?)


/