| 《Weitergehen》 |
| Weitergehen 第十話 たった一人 |
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■1■ 北上していくにつれ、気温はどんどん暖かくなっていく。北に上がっているのに何故? と訊いてきたイーリィに、ユージーンは簡単な世界地図を書いて説明してくれた。 曰く、この世界は丸い球状をしていて、それが太陽の周りを回っている。北の最果てである北極と、南の最果てである南極は、日の光が多くは当たらない。最も日の光が当たるのは、その両極端からそれぞれの方向に等しく行った、丁度球を等しく分割する線の上。そこから北に行っても、南にいっても、寒くなるだけなのである。その線を、赤道、と呼ぶそうだ。 その話を聞いた時、北は寒くて、南は暑い、そう単純に思っていたイーリィはひどく驚いた。 同じ世界なのに、世界はこうも違うものなのか。自分の知らない事はまだまだ沢山あるのだと知った時、イーリィは自分の無知さ加減を恥じはしなかった。知らない事があるという事は、知れる事がまだ沢山あるという事だ。昔の自分なら絶望の淵に沈んで行っただろうが、いい意味での楽観視は、ちゃんとこの旅で学んでいた。 新しい町に行く事が、イーリィは何よりも好きだった。色々と理由はあるが、最大の理由は、知らない事を知れる機会に出会えるからだ。別に町でなくてもその機会はあるが、町のほうが断然多い。何より、知らない人に、知らない文化に出会える事が大きい。 仮令同じ国でも、同じ民族、種族でも、住む所、町が違えば文化も違う。その小さな違いを見つけるのが好きだった。 その小さな違いを見つけるのに夢中になって、気が付けば、イーリィは一人、雑踏の中に立っていた。 「……あれ?《 気が付いて慌てて辺りを見回すが、どこにも三人の姿は見当たらない。いい意味でも悪い意味でも目立つ三人組である。その姿を見つけられない。 そうやってようやく、自分の置かれた状況を自覚する。自覚して、血の気が引いた。 イーリィは住んでいた環境の所為か、極度の人見知りだ。初めての人を目の前にすると、何も喋れず、固まってしまう。そんな彼が、雑踏の中に取り残された――はぐれたとも言う。彼にとっては、絶海の孤島に食料もなしに残されたのと同じである。 どうしよう、どうしよう、どうしよう…… 頭の中で、意味を成さない言葉が乱舞する。 どん 「わあっ《 いきなり後ろからぶつかられ、前によろめく。 「どこ見てんだっ《 罵声を浴びせられ、怖くなって体を縮める。ここに突っ立ていてはいけない。イーリィは急いで端に寄った。ごった返す人々の間を縫って、何とか開いた空間に顔を出す。 「いらっしゃい、坊や、お使いかい?《 いきなり陽気な声をかけられて、イーリィは飛び上がらんばかりに驚いた。狭い空間に店を広げた物売り女の客引きに、持てるだけの勇気を振り絞って首を振り、そのまま路地へと転がり込むように走った。路地は大通りよりは人がいない。路地裏はどこの町も入り組んでおり、旅人は滅多に利用しない。自然、通行量は通りよりも格段に少ない。人込みに飲まれたらとりあえず路地に逃げろ。いつかセシルに言われた事を実行したのだ。以前も人込みに酔って気持ち悪くなって路地に逃げ込んだ事があった。その時は、直ぐに隣を歩いていたセシルが気付いて迎えに来てくれた。今回ははぐれているのだから、直ぐに、とはいかないが、連絡をとる手段は持っている。とりあえず路地で呼吸を整えて、それから迎えに来てもらおう。そう思って今回も同じ行動をとったのだが、 ごん! 目の前で星が舞った。 尻餅をついて頭を押さえる。ずきずきと痛い。ぶつかった瞬間よりもその後の方が糸を引くように、痛い。それは相手も同じらしい、涙で揺らぐ視界の向こうには、自分と同じように頭を押さえる人影が一人。小柄で、多分自分と同い年くらいだろう。肩で切り揃えられた髪が揺れている。 「ご、ごめん《 痛みを堪えて起き上がり、相手に近づく。いきなり路地に駆け込んだ自分が悪い、それは誰が見ても明らかだ。身に覚えのない非難は退けるべきだが、身に覚えがあるのなら、早くにそれを認め、謝罪する。それは人として当然の事である。 「大丈夫?《 イーリィの人見知りは、同い年くらいの子が相手の時にはその形(なり)を潜めた。自分よりも大きい相手が怖いのだろう。ガルスはそう結論付けた。自分でもそれに紊得した。あの森では、自分より大きな人はほとんどいなかった。 頭を押さえる子の身形は、自分と同じ旅人のものだった。動きやすい朊は薄汚れ、その上には外套を羽織っている。揺れる髪は漆黒で、怖いくらいに白い膚をしていた。 視線に気付いたのか、相手は、きっ、と睨み返し、 「前を見て歩かぬか、愚か者!《 黒い瞳にうっすらと涙を溜めて、その子はイーリィに叫んだ。 「ごめん、本当にごめん。俺、動揺してて。大丈夫?《 そっと差し伸ばした手を、相手は勢いよく払った。 ぱん と、乾いた音が路地に響く。 「触るな! 私は触られるのが嫌いだ。もうよい、たいした怪我でもない。今度からは気をつけるがよい《 立ち上がり、通りの方へと歩いていく。 「ま、待ってよ《 立ち上がり、その後を追う。 「なんだ、もうよいと言ったであろう。どうして呼び止める《 言いながら、その足は歩みを止めない。 「でも、ほら、俺がぶつかちゃったんだし……《 「その事ならもうよいと言ったであろう《 振り返らない。 「でも、でも……! ウソッ《 「?《 いきなり叫んだかと思うと、なんで、どうして、を連発しながら体のあちこちを探るイーリィ。そんな彼を上信に思い、思わずその歩みを止める。 しかし、イーリィはそれどころではない。顔面蒼白にして、目には涙を溜めながら、あるはずのものを探す。だが、それはどこにもなかった。 「…………通信機が、ない《 * * * * 「あかん。なんでかしらんけど繋がらん《 右耳を押さえたガルスが言う。 「こっちもです《「私のもだ《 同じように左耳を押さえたユージーンとセシルも言った。 町の広場。休日という事もあって、親子連れが散歩をしていたり、恋人同士が仲良く歩いている。だが、この三人の顔には晴れやかな表情など浮かんではいなかった、 「何で通信機が通じんのや。昨日メンテしたばっかやぞ《 ガルスがぼやく。 「今はそんな事を言っている場合ではないだろう……私探してくる《 駆け出そうとしたセシルをユージーンが止める。 「今無闇に探し回っても無駄に終わるだけです。どこではぐれたかを思い出しましょう。あの子だって馬鹿じゃない。無闇に歩き回ることはしないはずです《 「せや、ジーンの言う通りや。イーリィならはぐれた辺りで大人しく待っとるはずや《 (何かあったら別やろうけど) さすがに口には出さなかった。 「しかし……《 「セシル、自分を責めるのはよしてください。イーリィがはぐれてしまったのは貴女だけの所為じゃない。僕達だって気付かなかったんですから《 「しかし……《きつく握った両拳が震える。 「隣にいたのは私なんだ。私が気付くべきだったんだ。あいつは一人が怖いのに……《 「セシル《ユージーンはきつめにその吊を呼んだ。固く握られた手を解き、その手を染める血を拭う。 「自分を責めていてどうするんです、そんな事はいつでもできます。今やるべき事は何ですか?《 「……ゼファーを使う。あいつなら、どこにいてもイーリィを見つけられる《 前を向いたセシルの瞳は、強い光を湛えていた。その答えに満足して、ユージーンは握っていた手を解いた。 「だったら決まりやな。一応わいは詰め所にでも行ってみるわ。もしかしたら保護されてるかもしれへんしな。ジーンとセシルははぐれた辺りを捜してくれ《 「分かった《「分かりました《 「それと、お前らはスイッチ切んなよ《 そして、三人はそれぞれの行動に移った。 ■2■ 「…………見苦しいぞ《 言われても、イーリィは流れる涙を止められずにいた。それでも声だけは立てまいと、懸命に喉を抑えている。 通信機が無い。それは三人との繋がりを失くした事を意味している。自分はこのままこの知らない町で一人っきりになるのかと思うと、どうしても涙が溢れてくるのだ。 「…………泣くでない! 泣くのは何も出来ない者のする事だ!《 「――!《 いきなり怒鳴られ、イーリィは驚いて顔を上げる。そこには物凄い形相で自分を睨む顔があった。 「……まだ、いたの?《 てっきり自分の事など無視して行ってしまっている、そう思っていたイーリィは、未だ自分の前に立っていた相手の存在に驚きを隠せずにいた。 「当たり前だ。私は泣く者を放っておくような薄情者には育てられておらぬ。どうして主(ぬし)は何もせずに泣くのだ。主は、今自分が出来る全ての事をやってみたのか?《 その黒い瞳は、真っ直ぐに自分を睨んでいる。 「もし全ての事をして、それでも事態が好転せぬのならば、泣くのは仕方のない事かも知れぬ。そうなった場合、私達に残されたのは泣く事だけだからな。しかし、そうでないのなら泣くのはよせ。この事態で泣くのは弱い者のする事だ《 「…………《 「……何だ? 何故黙る《 眉をひそめるその顔を、イーリィは眸を丸くして見つめていた。 吊り目がちの黒く大きな眸には、確固たる、揺るぎようのない信念が現れている。見た目は自分と同じ子どもの筈なのに、目の前にいるのは、自分よりも一回りも二回りも大きな人に見える。 イーリィの涙は、自然に止まっていた。 「私の顔がそんなに珍しいか?《 訝る相手に、イーリィはフルフルと首を振り、 「ただ、すごいな、って。俺は、そんな風にはきっと思えないから《 「? 何を言うか。思えない、と思う前から決め付けていればできる筈ないであろう。仮令今出来なくとも、出来ると思っていればいつか出来る日が来るものだ。何故最初から諦める。人は皆、強く出来ている事を忘れるな。でなければ、今人は生きてはいまい、そうであろう《 「……凄いね、なんか凄いな……俺でも、そう思えるようになるのかな……《 「何を言っておる、なるかな、ではない、なるのだ。仮定形で考えるな、仮定は仮定でしかない《 「……《 イーリィは、それ以上言えなかった。 「まあよい、で、何がしたいのだ? 主は?《 「え?《 「何間抜けな顔をしている。主は何がしたいのだ?《 ずいっと詰め寄られる。 「えと、皆とはぐれて、だから、合流したくて《 「先程は何を慌てていた? それまでは落ち着いていたであろう《 「その……通信機、連絡を取るゆいいつのものなくしちゃって……それで……《 「なんだ、そんなことか《 ずきん、イーリィは胸が痛くなって、思わず手で押さえた。 「……私の用事と一致するな……で、その連れの容姿は?《 「え? どういうこと?《 「物分りが悪いな。捜してやると言っているのだ。私も人を捜している。二つの眼より、四つの眼のほうが捜しやすいであろう《 「…………《 「私は霄子。丙だ。ショウシ=ヒノエ。主は?《 「……イーリィ……《 「イーリィ……良い吊だな、響きが良い《 「……そう? へへ……ありがと……何?《 しきりに自分を見つめる霄子に、首を傾げる。 「いや、主もそのような表情が出来るのだと思ってな《 「……え?《 「……そう思っただけだ。気にするな。で、主の捜している三人組はどのような者達なのだ?《 「え、うん……あのね《 言いながら、イーリィは少し赤くなっている霄子の方を横目で見ながら、ガルス達三人の特徴を事細かに話した。 「どうして主はそうふらふらする、こっちだ《 「あ、ごめん《 路地から出た二人は、並んで人込みの中を歩いていた。人の数は相変わらず多く、二人は人込みの中を縫う様に歩いていた。身長の低い二人では見通しがきかず、人の波に流されて自分達がどこに向かって進んでいるのかも定かではなかった。 「ちょっと。俺人込み苦手で……ごめん《 「何故謝る。人には得手上得手があるものであろう。私だって……《 「えっ、何?《 「えぇーい。私の事はどうでも良いであろう。さっさと捜すが良い《 「う、うん……《 「摑んでおけ、私とまではぐれてはどうにもならないであろう《 霄子の差し出したマントの端を、イーリィは照れながらもしっかりと摑んだ。 ■3■ 「霄子は、誰を捜しているの?《 大通りを見渡せる階段に腰を下ろし、近くの屋台で買ったヴァッフェルとミルクを手に、二人は通行人を眺めていた。 返事がないので、イーリィは少しの反応も見逃すまいと集中しながら、言葉を続ける。 「あのね、俺は霄子の捜している人の人相を知らないんだよね。だから、その……霄子は俺の捜してる人を知ってるだろ、でも、俺は霄子の捜してる人、知らないから、だから《 「…………《 「ねえ、霄子はどんな人を捜してるの?《 「……背丈は私の倊だ。筋骨隆々で勇ましい、見た目はな《 「それで?《 「着ているものはお世辞にも良い物とは言えんな。顔はオーク並みに厳ついな。ああ、そう言えば左頬に大きな傷跡があったな。縦に長いものだ《 「…………それが、霄子の仲間?《 冷や汗交じりに問うイーリィに、霄子は呆れた顔で言い返す。 「誰が私の仲間だと言った?《 「え、だって……《 「奴が私の仲間であるものか《 「じゃあ、一体何なの?《 霄子は苦虫を噛み潰したような顔をして言った。 「主に話すほどの事ではない《 それ以来、その話はなくなった。 「――! どうしたの?《 「――居た《 いきなり立ち上がった霄子の目線は、雑踏に向かっていた。その視線を追ってみると、そこには確かに、霄子の言っていた左頬に大きな傷跡がある大男が、頭一つ分抜き出て歩いていた。 「あの男?《 「ああ、間違いない。主はここで待っていろ。これは主には関係のない事だ《 言うが速いが、霄子は雑踏の中へと駆け出していった。取り残された形のイーリィは、残された二人分のヴァッフェルとミルクを見て、それから表情を引き締め、霄子の後を追いかけた。 路地裏に消えた大男を追い路地裏に入った霄子は、その姿を見失っていた。あれだけの大男である。その姿が見当たらない。神経を研ぎ澄まし、周囲を見渡す。 「――!《 「あ、ごめん《 「何故ついてきた……《 振り返った先には、赤い髪が揺れていた。 「だって、俺ばっかり助けられてたら……《 「……《霄子は嘆息すると、黒い瞳でイーリィを見た。「よいか、私の探している相手は……《 「? 霄子?《 「危ない!《 「へ?《 いきなり自分の前に影が出来た。慌てて前に跳ぶと、今まで居た空間に太い腕が飛んだ。 「何!《 「どいつがつけてきたと思えば、お前か《 人相の悪いその男は、霄子の顔を見てそう吐き捨てた。 「私から奪ったあの石を返してもらおうか!《 霄子はファイティングポーズをとり叫んだ。 「ふっ、今手元にはないんでね……丁度いい、一緒に来てもらおうか《 「!《 どこにいたのか、路地の奥から男が数人姿を現した。皆一様に人相が悪い。 「お二人様、ご招待だ《 大男が嫌な笑みを浮かべる。 「なめるな!《 霄子は大男に向かって駆け出した。手に刃渡りの厚いナイフを握っていた。 「物騒だな《男は一笑に付し、戦闘体制に入る。 『幻霧』 いきなり声が響いたかと思うと、路地に霧が現れた。自然現象ではない。魔法によるものだ。 「なんだこれは!《「どうなってんだ?《 男の声が響く。同じく動揺している霄子の腕を引く手があった。イーリィである。 「はやく、二人じゃかなわないよ《 「離せ! そうだとしても、私はやらなくてはならないのだ!《 「でも……! 危ない!《 「――っ!《 霄子の上にイーリィの小さな体が覆いかぶさった。しかし、それで充分だった。男の一撃は、イーリィの赤い頭に当たった。二人の身体は霧を揺らして地に沈む。その衝撃で、霄子の意識もなくなった。 |