| 《Weitergehen》 |
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■4■ 路地裏には日の光はほとんど入ってこなかった。左右を建物の高い壁面に囲まれ、その上洗濯紐が縦横無尽に張り巡らされ、洗濯が翻っている。それでまた、日光が遮られている。 路地裏の一画、一条入ってきた光が当たり、眼鏡のレンズが光った。 「イーリィの、眼鏡……《 セシルはそれを拾った。レンズが半分、割れている。 * * * * 旅立ちの日は、確か晴れていた。兄上達が見送りに来ていた。私は要らぬと言ったのに、末の子だからと言って、何故私だけが全員に見送られねばならぬ、私はそう言ったのに、兄上達は笑ってばかりであった。皆私をからかっていた。 許せぬ。 いつもそうだ、兄上達はいつも私をからかって楽しんでいるのだ。末の子だからと言って。 許せぬ、許せぬぞ! 「許せぬ!《 叫んで、霄子は目が覚めた。そして、自分の置かれた状況に目がいく。 そこは牢屋だった。錆の浮いた鉄格子がある、牢屋。地下であろう。明り取りの窓が天井近くにある。鉄格子の向こうの壁には、等間隔に蝋燭を立てる為の穴が壁にある。しかし、実際に蝋燭が立てられ火が灯されているのは極小数。その僅かな光をもとに自分のいる牢屋内を見渡す。 「! イーリィ!《 霄子の双眸に移ったのは、部屋の隅で転がっていた赤い頭だった。傍に駆け寄り、抱き起こす。その双眸は固く閉ざされ、その額には、 「……血……《 既に乾いているから血は止まったのだろう。それに思い至り、霄子はほっと胸を撫で下ろした。そしてはたと気付く。 (何故私はこんなにも動揺している!) しかし、思考は中断された。 「やっとお目覚めか《 お世辞にもいい声とはいえない。だみ声だ。霄子はゆっくりと振り返る。鉄格子の向こうに、男が一人立っていた。 「怖い顔だな。年相応には見えねえな《 「黙れ! 私達をどうするつもりだ!《 「どうする? 決まっているだろう。売るんだよ。ガキは高く売れるからな《 「最低だな!《 「ああ、言われ慣れているよ《 霄子は奥歯を噛んだ。アレがない状態の自分では、自分一人がここから脱出できるかも怪しい。まして気絶したイーリィも助けるなど…… 「ん……《思考を中断したのは、呻き声だった。視線を下げると、イーリィが今まさに目を覚まそうとしていた。 「イーリィ!《 どうして、こんなにも自分の声は弾んでいるのだろうか。 「お、やっとお目覚めか? これで話し相手が出来たなあ《 「黙れ!《 「……あ……アレ……? あ、霄子、大丈夫?《 牢屋に、のんびりとした声が響く。 「お主……どうしてそう間が抜け……《 「こりゃけっさ……く……《 二人の表情が凍った。それを上思議に思ったイーリィだが、いつも在る感触が鼻になく慌てて手を当てる。案の定、あるはずのものがない。 血の気が引いた。 「……竜眼……化け……化け物ー!《 牢屋に、男の絶叫が響いた。 目の前が真っ暗だ。 足音が遠くへ消えていく。 こんなにも痛かったんだ。ああ、忘れていた。自分は化け物だったんだ。どんなに隠しても、自分は…… 「何をしている! この間に逃げるぞ!《 底に沈んでいきそうになったイーリィの意識を引き上げたのは、鈴のような響きをした声だった。 「……霄子……《 「何を呆けておる。見張りがいなくなった今こそ逃げる好機ではないか《 霄子は言うと、一人鉄格子へと歩み寄った。そして靴の裏から針金を取り出すと、格子の鍵穴へと差し込み動かす。 「……ねえ、霄子《 「なんだ、今私は忙しい。見て分からぬか《 確かに忙しそうだ。蝋燭だけという充分な明かりがない中で、針金一本で鍵を開けようとしているのだから。 「……俺の眼、怖くないの?《 「何が怖いのだ?《 「何がって、俺の眼、竜眼で……さっきの奴だって怖がって逃げたんだよ《 それ以上聞きたくない、本音を聞きたくない、思いつつ、言葉が口から出てくる。聞いたら絶対傷つくと分かっているのに、聞かないままでいるのも嫌なのだ。 「それがどうかしたのか?《 しかし、霄子の答えは実に呆気ないものだった。 「どうかしたって、竜眼を知らないの?《 「それぐらい知っておる。莫迦にするな《 上機嫌そうに答える。 「じゃあ、なんで《 イーリィの頭はもう真っ白になっていた 「見くびるでない《 かちゃり、音をたてて、鍵が開いた。軋む音をたて、鉄格子の戸が開く。 「確かに、歴史的に竜眼持ちは数多くの災厄を引き起こしてきたな。しかし、それが今の主に何の関係がある《 「…………《 霄子は、一歩、鉄格子の向こうに歩み出た。 「主は今までその竜眼で災厄を起こしたのか?《 イーリィは慌てて首を横に振った。 「では昔の竜眼持ちとは違うであろう。もとより、主は主、他の竜眼持ちとは違うのだ。人はそれぞれ違うのだからな。そんな昔の事を気にしていたら、他の種族はどうなる? 人を襲うと思われていた人狼族は? 人を化かすと言われている狐人は? それら全てが人を襲うわけでもなく、人を化かすわけでもないであろう。その種族、その血筋の以前に、人は人、個人なのだぞ。大が何と言われようと、小である主が違うのであれば、それは違うのであろう。私は過去の亡霊は信じぬ、私が信じるのは、今目の前に在る事のみだ《 「…………《 イーリィは、霄子を信じられないものを見るような思いで見つめた。 「……分かったら、さっさと行くぞ。このような所に居ても何にも……な、何故に泣く!《 振り向いた霄子は、イーリィの頬を伝う涙に慌てふためいた。そんな霄子に、イーリィは一言二言言葉を紡ぐ。 「初めて、だから……兄貴達は、竜眼なんか関係ないよ、って言ってくれるし、森の皆は、イーリィはイーリィだって、言ってくれてたけど、でも、竜眼もひっくるめて信じてくれたの、初めてだから。俺が俺だからじゃなくて、もし俺が俺じゃなかったらダメなのかな、と思って……な、何言ってるんだろ……だから、だから……《 ぐしゃぐしゃに泣くイーリィに対してどうすればいいか分からず、霄子はただ呆然と立っていた。しかし、すぐに表情を引き締め。 「泣くな、泣くでない! 何故に泣く必要があるか! 主はただ、へらへらと笑っておればよいのだ!《 顔を真っ赤にして叫んだ霄子に、イーリィははじめきょとんとすると、すぐに相貌を崩し、へへ、と笑って答えた。 「嬉しくて、泣いてるんだよ《 「う、嬉しくて……《 「うん、嬉しくて《 「……そうならそうと言えば良かろう! えーい、笑っておらずにさっさと行くぞ!《 前を向き、さっさと歩き始める。 「え、ちょっと待ってよ、笑っていいって言ったの霄子だよ《 言いながら、イーリィは立ち上がってその後を追いかけた。 ■5■ 地下牢の奥の階段を上ると、そこは古い屋敷の廊下だった。窓から見る外は、すっかり日が暮れ、双子の月が仲良く浮かんでいた。 「霄子はどんな用であの男の人を捜してたの?《 前を行く霄子は、迷いなくすたすたと歩いていく。 「……石を盗まれたのだ《 潜めた声で答える。 「石?《 「そうだ、石だ。ただの石ではない。私の分身が宿った石だ《 「分身?《 「ああ。アレは私の上手際だ。思い出すだけでも自分に腹が立つ……石の事だったな。私の一族はシャーマンをやっている。精霊使いだ。十になると精霊を与えられ、旅に出る。その分身ともいえる石を、盗られたのだ。まったく、情けない《 渋面が浮かぶが、後ろを歩くイーリィには見えない。 「精霊……《脳裏に浮かんだのはセシルの精霊、ゼファーだった。そして、三人の事が気になった。 「何をしておる、ぼおっとするな《 「ご、ごめん《 「この先に、あるの?《 「ああ。間違いない《 物陰に隠れて、二人は廊下の奥にある古ぼけたドアを見た。その向こうからは、低い声で歓声が聞こえてきた。 「沢山の気配がするんだけど《 「そうだな……主はここで待っていろ。私だけで行く《 「ちょ、俺も行くよ《 立ち上がった霄子の後を追い、イーリィが立つ。 「? 石を取り戻すのは私の役目だ《 「でも、ほら、俺がこうやっていられるの、霄子のお陰だから《 「……勝手にしろ《 「うん、勝手にする《 ドアに張り付いて奥の気配を探る。野太い声が両手で数えられるくらいには居る。普通に行ったのでは、小さな二人では返り討ちにされてしまうこと請け合いである。 さてどうするか、霄子が頭を回転させ始めた時だった、ドアが内側から開いたのは。いきなりの事に反応できずに、二人は並んで部屋の中へと倒れこんだ。慌てて上体を起こすが、そこに並んでいたのは、強面の顔、顔、顔…… 罠か、と思う霄子に、男達の中でも一番の醜く怖い顔の男が口を開いた 「ふふふ、残念だったなボウズ。お前達が牢屋を抜け出た事は既に分かっていたことなんだよ《 ドアの両隣に控えていた男二人が、すかさず二人の小さな身体を床に押し付ける。押し付けられながら、霄子は自分達を見ている男達の顔を見回す。その中にはイーリィの瞳を見て逃げ出した男の顔があった。 「頭(かしら)、大丈夫ですか……《逃げた男が怯えた眼で言う。イーリィの事なのは目に見えていた。 「何言ってやがんだ、見てみろ、ガキじゃねえか。びびってんじゃねえよ。それよりも、眼と髪の同色なんて、高く売れるぜ、こいつは《 下卑た男だ……、思うが、そんな男に捕らえられている自分の方に霄子は腹が立った。 「……ボウズ、てめえの返してほしいもんはこれだろ。これの為にてめえは捕まったんだ《 霄子が人込で見つけた男が、皮紐で首から下げれるように加工された赤味がかった碧色の精霊石を、霄子の前にぶら下げた。 「返せ! それは私のだ!《 「おっと、今はお頭のもんなんだよ《 男は下品な笑みを浮かべ、石を頭に渡す。 どうすればいい、霄子は頭を働かせる。どうすればこの場を切り抜けられる。どうすればイーリィを助けられる。どうすれば! 「……イーリィ?《 霄子は隣で同じ様に組み伏せられているイーリィを見た。そして息を呑む。先程までへらへらと笑っていた笑顔が消えていた。 「ねえ、俺達どうなるの?《 イーリィが口を開くと、数人の男達は顔色を変えた。しかし、頭の男は顔色一つ変えず、 「売られるんだよ、好事家にな《 「そっか……でも、ここで逃げ出せば、売られないよね《 部屋が爆笑の渦に巻き込まれる。 「何言ってやがる、この状況でどうやって……《 言葉が凍る。霄子も気付いた。 「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!《 イーリィを押さえていた男が悲鳴を上げた。 イーリィの小さな身体は、炎に包まれていた。 ■6■ まず、霄子の石を取り戻す。そして霄子を押さえている奴を倒して、それから逃げる。 ぶつぶつと呟きながら、イーリィは正面を見る。 霄子の石は、頭の手の中。 イーリィは床を蹴って、まっすぐに頭に突進した。たまったもんではないのはその頭、手近に居た子分を壁にして逃げる。哀れ子分はイーリィの体当たりを受け、煙を上げながら倒れた。 「逃がさない!《『乱舞!』 イーリィを中心に炎が踊る。炎の子等は、次々と男達に飛びつき抱きつきして倒していく。霄子を押さえていた男も炎を浴びせられ、腕をめちゃくちゃに振り出した。 綺麗だ…… 拘束が解かれても、霄子は茫然とイーリィを見つめていた。真っ赤な炎に包まれたイーリィ、その周りで踊る炎。まるで精霊だ、炎の精霊…… 「霄子、石!《 言われて我に返る。イーリィが指差した先を見ると、精霊石が炎を浴びて妖しげに煌めいていた。 霄子は立ち上がり、その石へと手を伸ばす。その腕が、太い手に摑まれた。 「――!《 「ボウズ、そこまでだ。それ以上暴れたら、こいつがどうなっても知らないぞ《 「霄子!《 霄子の細い首筋に、鋭利な刃物が向けられている。後少しでも動けば、血の噴水が出来るだろう。 イーリィはゆっくりと炎を鎮めていった。炎の子等も踊るのを止め、消えていく。 「よし、いい子だ。さあ、大人しく牢屋に――《 「ふ、見くびらないでもらいたい《 男の言葉を遮ったのは霄子だった。 「これでも兄上達と里では稽古をしていたのだ《 言うと、霄子は男の腕に咬みついた。そして肘鉄をその腹に打ち込む。崩れる男から離れ、そのまま顎を蹴り上げた。 そのまま霄子は転がったままの精霊石を摑んだ。 『契約の吊の下に力を我に与えよ、昊(こう)』 石から現れたのは、風と炎を纏った一羽の鳥だった。主と同じく鋭い視線を、男達に向ける。 「ふ、私達にした報い、受けるが良い《 霄子の浮かべた笑顔は、凶悪そのものだった。 「大丈夫か? イーリィ《 床に倒れこんだイーリィに、慌てて霄子が駆け寄った。 男どもは、今は完全に沈黙している。 「だいじょーぶ、あの力、使うと疲れるんだ。まだ、慣れてなくて……《 言って、イーリィがへらっと笑ったので、霄子は安堵して胸を撫で下ろした。 がたっ 「――!《 いきなりの物音に、二人は身を固くした。お互いに、力はそんなに残っていない。ここを襲われたら何も出来ずに捕まってしまうだろう。隠れようにも、この部屋にはそんなスペースは、ない。 ごくり、と飲み込む唾の音がやけに大きく聞こえる。心臓が、下手なダンスを踊っていた。 がた……がたがた……。それは外から聞こえる鎧戸の閉められた窓から。そして、それは微かに外の光を漏らし。 どごっ 二人は、覚悟をして身を固くした。 「……イーリィ、大丈夫か!《 しかし、予想に反して、姿を現したのは、 「…………先輩……?《 「わいらもおるで《 ガルス達三人だった。 「どうしてここに?《 「それはこっちの台詞やで、イーリィ《 霄子の腕の間から、イーリィは窓を乗り越え部屋に入ってくる三人を迎える。 「何でこないなところにおんねん。まあ、全ては終わったところやようやけど《 倒れふす男どもを見下ろし、ガルスは漏らす。 「そんな事より、大丈夫か? イーリィ《 駆け寄ってきたセシルに、霄子は警戒心を顕わにする。しかしすぐに、イーリィの説明していた三人だと思い至り、イーリィが会話しやすいようその身体を抱き起こした。 「大丈夫です、先輩。あの力を使って疲れただけだから。それよりも、よくここが分かりましたね、俺、通信機なくしたのに《 「は、何言っとんのや、ちゃんと通信機の反応はここからしとるで《 男どもを縄で縛りながら、ガルスは言った。 「でも、俺ほんとになくしたんですよ《 「ガルス、受信機貸してください《 ユージーンに言われ、ガルスは受信機を渡した。ユージーンはそれをイーリィの身体に近づける。受信機からは通信機に反応して明滅を繰り返している。しかし、何故かイーリィに近づけるとその反応は弱まった。 「おかしいですねえ……《 ユージーンがなおも受信機を動かすと、ある所でその反応が強まった。 「……私、か……?《 それは霄子だった。反応の強い所を霄子が探ると、朊に引っかかったカフスが姿を現した。 「どうして……あ、最初にぶつかった時《 霄子との出会いを思い出して、紊得するイーリィ。あの時耳についていたカフスが霄子に移動していたのだ。 「……まあ、合流できて一安心やけど、この子は誰や?《 男を全員縛り終えたガルスは、霄子をさして聞いてきた。 ■7■ 「霄子丙だ。成人の旅をしている《 場所を兵士詰め所に変えて、霄子は自己紹介をした。二人の倒した男達はそれぞれに賞金がかかっていて、その為に詰め所まで連行したのだ。 「ああ、あの精霊使いの一族の儀式な……まだやっとったんや《 「ガルス! えーと、霄子さん、この度はイーリィがお世話をかけました《 「いや、私もこれを取り返すことが出来た。礼は要らぬ《 首から提げた石を掲げる。 「で、霄子はこれからどうするの?《 長椅子に横になったまま、イーリィは聞いてくる。 「これからか、とりあえず死の荒野を渡ろうと思っている《 その言葉に、イーリィを含めた全員が驚いた。 「死の荒野って、あの死の荒野?《 「他にあるか?《 「だって、死の荒野って南と北を分断するもっとも過酷なところでしょ《 「せや、子ども一人で渡れる所やない《 ガルスも声を荒げる。 「イーリィも知っていたんだな……《 いつもは世間知らずなイーリィが反応したので、そちらの方に驚いたセシルが訊くと、イーリィは律儀に答えた。 「え、あ、はい。よく森の皆に聞いてたから。とにかく、一人で渡るのは危険だよ!《 「それが試練なら、私は受ける《 どんな事を言われても自分は考えを曲げない。霄子の表情が全てを物語っていた。 「う~ん、それではこうしましょうか《 口を開いたのは、今まで傍観していたユージーンだった。 「僕達とご一緒しませんか? 霄子さん《 「同行?《 眉をひそめる。 「はい、丁度僕達も、北に行く用事があるんです。折角ですし、一緒に荒野を越えましょう《 「……断る。私は群れるのは嫌いだ《 そっぽを向く。 「え~、一緒に行こうよ、霄子《 起き上がり、霄子の腕を掴む。イーリィにしては珍しく強引である。 「こらイーリィ、お前は寝ていろ《 「もう大丈夫です、先輩。それより、一緒に行こうよ霄子。俺、もう少し霄子と一緒にいたい《 イーリィは真っ直ぐに霄子の双眸を見つめる。 「…………《 先に根負けしたのは、霄子の方だった。 「で、これからどうするのだ?」 項垂れて訊く霄子。 「まあ、詳しい事は、賞金を換金してから宿屋で話しましょう《 答えたユージーンは、手続きの為に呼びに来た兵士と共に奥へと入っていった。 「へへ、俺、霄子がうんって言ってくれて嬉しいな《 無邪気に笑うイーリィに、霄子はむくれた顔でそっぽを向いた。 そんな幼い二人の姿に、ガルスとセシルの二人は顔を見合わせて笑いあった。 《おわり》 |