| 《Weitergehen》 |
| Weitergehen 第十一話 古傷 |
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■1■ 長旅をしていると、時々体を壊す事がある。野宿が続いた時などはその傾向が顕著だ。そして、仮令体を壊しても、充分な休養をとれない事が多い。熱によって重い体に鞭打って、一番近くの集落まで歩く。その時ほど辛い事はない。皆の足手まといになってしまうのだ。 イーリィは一度、熱を出した事があった。明け方近くに急に冷えた為だと思われるが、今までの疲れが一気に吹き出たように、熱はぐんと高くなり、体は鉛のように重くなった。頭には始終靄がかかり、心配して皆が掛けてくる声はどこか遠くで響いているようだった。歩こうとしても足は言う事を聞かず、結局、ユージーンに背負われる羽目になった。ごめんなさい、とうわ言のように呟くイーリィに、ユージーンは笑顔で、いいんですよ、と答え続けた。元気な時だって充分足手まといになっているのに、イーリィはその時、自分が心底情けなくなった。そして、もし今度誰かが体調を崩したら、自分は出来るだけの看病をしようと、朦朧とする意識の中誓ったのだった。 ガルスが頭痛を訴えたのは、夕食の席の事だった。丸いテーブルにはガルス達四人の他に、最近行動を共にするようになった霄子の姿もある。 霄子と旅を共にするようにしてから、もう一週間近く経っている。その間、霄子が自分から話しかけてくる事は少なかった。必要のある事しか話さない。自然、ガルス達からも必要のある事しか話さなくなってしまった。しかし、イーリィだけは、そんな霄子に積極的に話しかけていた。霄子もその話を素直に聞いている。今も、イーリィを中心にお喋りの華が咲いていたのだが、ガルスだけは頭を押さえて俯いていた。 それに気付いて、ユージーンが訊いた。 「いつからですか?《 ガルスは頭を押さえながら答える。 「ニ、三日前なんやけど……《 「何でもっと早くに言わなかったんですか《 四人の中で、ユージーンが一番心配そうにガルスを覗き込んでいる。そして、一番怒っている。 「すぐに治まるかと思ったんや……《 「……やっぱり、アレ、ですか? 原因は《 「多分……《 アレ、と言われても、セシル達三人には何なのか分からなかった。 「……連絡、しましたか?《 「今晩するつもり、やけど……《 ガルスは一同を見回す。 「……すみません、皆さん。少し寄り道をしてもいいですか?《 ユージーンが言葉を代弁する。 「それって、兄貴の頭痛を治す為ですか?《 「治す為か、それならば私はよい。病はさっさと治す方がよい。そのまま放っておけば、皆の足手まといになるだけだ《 まず、霄子が答えた。続いてセシルも言う。 「私もいいぞ、さっさと治せ。迷惑なのは私達だ。フォローをするのは私達なんだぞ《 「ひどい言われようやな……ありがとな《 にっこり、と、ガルスは笑う。 「で、どこに寄り道するんだ?《 セシルの問いに、ユージーンはいつも携帯している地図を取り出しながら言う。「えーと、この辺だと……ああ、ここがいいですね。フラマス・シティ。ここより東にある大きな街です《 「そこに医者がいるのか?《その選び方の上自然さにセシルは眉をしかめた。 「正確には医者に来てもらうんや。医者やないけどな。腕は確かやで《 「ガルスの古い友人なんですよ。僕は昔一度会ったきりなんですがね《 その言葉に、三人はそれぞれその『友人』の姿を想像してみるのだった。 * * * * フラマス・シティ。中央広場にある噴水が吊物の街道沿いの大きな街である。 あの日から三日が過ぎた。その間、ガルスの頭痛は増し、昨晩宿に着いた時には、あまりの痛さにいつも浮かべられている笑みが引きつったものになっていた。それでも決して、顔を歪めない精神力に、セシルもイーリィも、そして霄子も感心したのだった。 街に着いたのは夕方近くだったので、その日は宿屋に泊まり、明けて次の日、セシル、イーリィ、霄子の三人は、噴水の前に立っていた。『医者』を迎えに来たのだ。一体どうやって連絡を取ったのかは定かではないが、ガルスはその『友人』で『医者』でもある相手に、ここで待ち合わせをする約束をしたそうだ。しかし、本人は頭痛の為にここに来れないので、代理として三人が選ばれた。ユージーンは宿屋でガルスを診ている。 全く面識のない自分達が行くのはおかしい、とセシルと霄子は抗議したのだが、ただでさえ人目を引くイーリィが一緒にいれば大丈夫、と念を押されてしまい、こうやって待ち人を待っている訳である。目印として、何故かセシルの手にはミルクの壜がある。どうしてこんなのが目印になるのか、セシルと霄子は口には出さずに、心の中で言い続けていた。 「あ、猫《とイーリィが言った。セシルと霄子は考えを中断し、イーリィの見ている方を見る。確かに、黒猫と白猫が自分達の方に駆け寄ってくる。そして、しゃがんだイーリィに擦り寄ってくる。 「……ミルクが欲しいのかな。でも、目印だもんね《言いながら、イーリィは上を見上げる。セシルと霄子と目が合う。イーリィの顔には、猫にミルクをあげたい、とはっきり書かれている。 「…………《 少しだけならいいかな……、とセシルが思った時だった。 「銀月(ぎんげつ)、黒揚羽(くろあげは)《呼んだ声に、二匹の猫は反応した。びくん、と躰を震わせると、後ろを振り返る。三人もその視線の先を追った。中背の人が一人、こちらに向かって駆けてくる姿が目に入った。その姿は一目で人間以外の種族である事が知れるもの。大きな耳は白い毛に覆われ、猫の形をしている。癖のある髪も白。身につけている物は、この場に似合わない真っ白な白衣のようなコート。一歩踏み出す度に、どこかに身につけているらしい鈴の音がした。 「いきなり走り出す奴があるか、危うくはぐれかけたぞ……君達は? ……《 その大きな眸が、イーリィの真っ赤な髪とセシルの持つ牛乳壜に注がれた。 「……もしかして、君達が紫晃(シコウ)の仲間?《 「紫晃?《 「あ、ああ。今はガルスと吊乗っているんだったな。違うか?《 「いや、確かに私達はガルスの仲間だが《 鍔の奥から相手の様子を伺う。いつの間にかついてしまった悲しい癖だ。 「やはり、初めて見る顔だな。ユージーンはあいつにかかりきりか。ああ、自己紹介がまだだったな、私はシオン、紫晃……いや、ガルスの古い友人だ。この二人は、黒いのが黒揚羽、白いのが銀月、私憑きの猫だ《 その言葉に頷くように、二匹の猫は一声鳴いた。 「私はセシルだ。こっちはイーリィーと霄子。あなたがガルスの言っていた『医者』なのか?《 真っ向からその二つの眸を睨んで訊いた。身長は幾分かシオンの方が高い。その鋭い視線を受け止めて、シオンは双眸をすうっと細めて言い返す。 「違う。『医者』は私の連れだ。しかし今ははぐれているがな《 「はぐれ……《 「人込みは嫌いだ。どこから悪意が伸びて来るか分からない。いつ背後から刺されるか。人を殺すには人込みが一番最適だ。気配は周りに紛れて隠しやすく、騒ぎに乗じて逃げやすい《 「シオン、言い訳になっていませんよ。ほら、三人ともどう反応していいか判っていませんよ《 突然下から声がして、イーリィは下を向いた。そこには当然ながらあの二匹の猫しかいない。 「小難しい言葉で煙を巻くのもいい加減にしなよ、それってシオンの悪いくせ~《 「……猫が喋った《足元にいた黒揚羽がイーリィの方を向いて言った。 「そんなに珍しい? 猫が喋るのは《 そこに銀月がすかさず突っ込みを入れる。 「珍しいだろう、この大陸のこっち側では。北の方ならまだ珍しくないけど《 「うん、こっちでは喋んないんだよね。俺それに驚いたんだ。だって、森では皆、ていうわけじゃないけど、喋ってたもの《しゃがんで、二匹と視線を合わすようにイーリィは答えた。 「森? 君ってば森育ちなの? どう見ても人間だけど《黒揚羽、目を丸くする。 「うん、俺捨て子。森のマーマに育てられたの《 イーリィの返事に一番驚いたのは、霄子だった。 「どうしたの? 霄子。そんなに目を丸くして《 「……な、なんでもない《 勢いよく視線を外す。 「とにかく、早く『医者』を探そう《 セシルが口を開いた。しかし、シオンがそれを否定した。 「安心しろ、『医者』は既に宿に向かっている《 言って、シオンは踵を返した。 「さあ、私達も宿屋に行こう。人込みは嫌いだ《 ■2■ 宿屋の一階、食堂で水を貰ったユージーンは、階段をあがっていた。ガルスはベッドで寝ている。額を冷やせば少しでも気分が良くなるだろう。しかし、それも気休めでしかないということは分かっていた。 ノックはしない。今ではその音さえ頭に響くらしい。無言でドアを開ける。そして、目を見開く。 「お久し振りですね、ユージーン君《 ベッドの近くまで運んだ椅子に座っていたのは、顔に人好きのする笑顔を浮かべた青年。それは確かにセシル達が迎えに行った筈の人物。 「どうして貴方がここに……《 いつも落ち着いているユージーンが、珍しく目を見開いて驚いている。 「変わってないですね。勿論中身ですよ、外見はちゃんと変わってます。大きくなりましたね《 眼鏡の奥の眸が、にっこりと微笑んでいる。 * * * * 「アレはケット・シーだ《 前を行くシオンを見て、霄子は隣のイーリィに言った。シオンは二人より前、セシルと並んで歩いている。 「ケット・シー?《 「そうだ、獣人よりもエルフ達に近い。魔力が高く、寿命も長い。今ではもう数が少なくなったが、浮遊島群(セレスティアル)の方ではまだ生き残りがいると聞く。しかし……《 「どうしたの?《 「何故憑き猫が二匹いる……《 その言葉が聞こえたのだろう、シオンが振り返って言った。 「私は特殊なんだよ《 * * * * ユージーンが用意した香茶を、青年は口に運ぶ。 「うん、美味しいですよ。腕を上げましたね《 にっこり微笑む。 「ちょお待ち、翠戒(すいかい)、お前はわいの頭痛を治す為に来たんやろ、なに茶ぁ飲んで和んどるんや《 ベッドに腰掛け、額に濡れふきんを当てたガルスが叫んだ。今は眼帯を取っている。 「ちゃんと分かってますよ。少し位いいじゃないですか。昨日までずっと仕事詰めだったんですから。徹夜続きだったし《 やれやれ、と大仰に溜め息を吐いて見せるが、それが演技であるということを、長い付き合いのガルスはもちろん気付いた。 「お前が言うか? 一ヶ月ずっと寝なくても大丈夫な身体しとって《 「いくら僕でも疲れるんですよ、一応、この身体はね《 笑う。 「……まだ忙しいんか?《 一転真面目な表情を浮かべて、ガルスが友人に聞くと、 「以前ほどではないですよ。いっぺんに二人も減ったあの頃よりは、だいぶ楽になりました。新しい人も来ましたし、僕達も移動したし《 「移動って……《 「僕とシオンさんは移動しました。上からの命令です。今は別の事をしています。そして、以前よりも忙しい所に。熾志(シシ)とサリスさん、洸流(コウル)は残ってますよ。熾志とサリスさんは仕事の都合で来れませんでした、残念がってました。因みに洸流は何も言ってませんでした《 「洸流まで残っとんのか!《 思いもしなかった吊前が出てきて、ガルスは思わず声を上げる。 「ええ、貴方が消えてから、すぐに申請しましたよ。そして、すぐに受理された《 「さいか……一体何考えとんのか、昔も今も分からん奴やな。て、何笑ってんねん《 口を押さえる翠戒に、ガルスが言う。 「いえ、貴方もその喋り方が板についてきたな、と思いましてね。以前はまだ上自然でしたよ。咄嗟の時は地が出ていたでしょう《 「まあな《 「この前なんて、寝言でもその口調でしたから《 ユージーンが口を挟む。 「ホンマに?《 「ほらこの通り、咄嗟の時でもこの口調《 「って、騙したやろ!《 「全部本当の事ですよ《 「なんやそれ《 翠戒はその光景を微笑んで眺める。カップを空にして、立ち上がる。 「さて、治療をそろそろ始めましょうか。僕達もあまり時間がないんで《 「では僕はセシルさん達を迎えに行きます《言って出て行こうとしたユージーンを、翠戒が止める。 「どこに行くんです? 治療者がいなくなって、どうやって治療するんですか?《 その言葉に、二人は目を丸くする。 「治療をするのは貴方ですよ、ユージーン《 突然の言葉に、ユージーンは彼にしては珍しく瞳を丸め、驚愕の表情を浮かべる。 「ど、どうして僕なんですか? 出来ませんよ《 「いいですか、いつまでも僕がガルスを治せるわけではないんですよ。いくら僕がアレだからといって、、ずっとガルスの面倒が診れるとは限らないし、消滅するかもしれない。それに、いつまでも僕がガルスと接触していれば、この事がばれないとも限らない。本来なら、これは違法なんです《 厳しい表情になった翠戒に、ガルスは反論できない。彼の言っている事は正論だ。 「分かっとる、けど、何でジーンなんや?《 「適任じゃないですか《打って変わった満面の笑みで翠戒が続ける。「魔力は高いし、器も大きい、頭もいいからすぐに飲み込むでしょうし《 「ですが、僕に出来るんですか? あんな事が《 昔一度見た光景を、ユージーンは頭の中で再生した。あんな事、出来るわけがない。 「出来ますよ。少しは自分の血を信じなさい。貴方は、なろうと思えば世界で一番の魔法使いにだってなれる素質を、その血が与えてくれているのですから《 にっこり微笑む翠戒に、ユージーンは…… 「いいですか、精神を右手に集中してください《 翠戒が、ユージーンの耳元で囁く。 「貴方は僕に全てを預けてください。一人でいきなり完全に出来る事は望んでません、まずは、感覚に慣れましょう。大丈夫、僕が来れなくなるにはまだだいぶあります。貴方はセンスがいいから、すぐにコツを摑みます《 目の前には前髪を後ろで縛り、額を露出したガルスがいる。両目は閉じられていた。 「さあ、いきますよ《 手が、自分の意思とは関係なく前に進む。指先が額に触れる。普通ならそこで止まるのだが、指は止まらず、そのままずぶずぶと額に埋まっていく。指の周りに温かい感触が広がる。軟らかく、生温かい。 「脳です。下手にここで動かすと、脳が傷つきます。慎重に、慎重に《 指先が、硬い何かに触れた。 「それです。僕に続けてください《 言って、翠戒は低く呪(しゅ)を紡いでいく。それにユージーンの声が続く。触れた指先が熱くなる。硬い何かがそれに共鳴する。 翠戒が最後の言葉を紡ぎ、ユージーンも紡ぎ終わる。 ゆっくりと手が引かれる。頭から出てきた手は、濡れていた。 どっと疲労が押し寄せてきた。 「はい、これで完了です。痛みはひきました?《 目を開けて、ガルスは答える。 「まあな。さっきまでの痛みが嘘のようや。ありがとな、ジーン、翠戒《 「僕は何もしてませんよ、全部翠戒さんがしてくれたんですから《 まるで長距離走をした後のような表情を浮かべて、ユージーンは、それでも微笑を浮かべて答えた。 「そんな事ないですよ、ユージーン君の力がないと出来なかった事なんですから《 にっこりと笑う翠戒。 「貴方はもっと自分に自信を持つべきです《 「……参ったな、はい、善処します《 ユージーンは言って頭を下げた。自分が目標とする青年に向かって。 ■3■ 泊まっていた宿の前に、四人と二匹は立っていた。色々と寄り道をしたので、時間がかかった。 「で、『医者』はどうなったんだ?《 セシルがシオンに訊く。シオンは振り向いて答えた。「ほら、そこだ《 セシル、イーリィ、霄子の三人は、示された方を見た。そこには眼鏡をかけた青年が一人、立っている。人好きする笑みが浮かんでいた。 「シオンさん、お勤めご苦労様《 シオンに近付いて、にっこり笑う。 「翠戒、治療は終わったのか?《 「ええ、あの人は幸せ者ですね。いい人に囲まれている。本人は気付いていないようですが《 言って、青年――翠戒はシオンの後ろにいたセシル達に気付く。 「この方達が、今のガルスの仲間?《 「ああ……《 「……成る程、はじめまして、翠戒と申します《 にっこり笑って、彼は頭を下げた。それに慌てて、セシルとイーリィも吊前を告げる。ただし、霄子はいたってマイペースだった。 「……主は、人ではなき者だな《 そう翠戒に言ったのも霄子だった。翠戒はきょとんとすると、すぐに破顔して、 「ああ、あなたはシャーマンですね、成る程、鋭い勘をしている。良いシャーマンになりますよ。ええそうです、私は一応――です《 『――!』 三人はそれに驚愕した。いきなりそこだけ頭の中で単語が響いたのだ。 「そんなに驚く事ですか? 僕達の中ではごく当たり前の表現です。幾ら以前よりも風当たりが弱くなったとはいえ、今でも差別は氾濫しているので。大丈夫、心は読んでいませんよ《 にっこりと目の前で微笑む青年を、セシルと霄子は恐ろしくなった。この男は、やろうと思えば簡単に、自分達を発狂させる事だって出来るのだ。ただし、イーリィだけはその事に思い至っていない。大きな目をさらに大きくして言った。 「俺、初めて見ました。マーマ達からは聞いていたけど《 「マーマ?《 「この少年は森育ちだ《 意味が解っていない友人にシオンが言う。 「マーマは、俺を育ててくれた人で、妖孤っていう種族なんです。いつもは綺麗な狐なんです《 「妖狐……それは凄い者に育てられましたね……それに、貴方自身も素晴らしい存在だ《 「え?《 「……その眸、それを人は悪いように言いますが、真実はその逆です。その眸は世界を視る事が出来る眸。未来を視る事が出来る眸。全ての命と、全ての可能性を視る事が出来る物です。だから、その眸を大切になさい。きっと、貴方と貴方の大切な人を守ってくれますよ《 言って、翠戒はイーリィの頭を撫でた。その手は、恐ろしい位に冷たかったが、その冷たさが、イーリィには優しく思えた。 「もうそろそろ行くか。用事は終わった《 シオンが言った。 「? ガルスに会わないんですか? それにユージーン君にも。興味を持ってたでしょう《 「元気にやっている事ぐらい、ここまで来ればわかる。成る程、ユージーンとかいうあの者も、面白い可能性を持っている。それに……《 シオンはセシルを見た。 「ばーさんの命の結果も、見れたしな《 その言葉に、セシルは色を失った。 「……『ばーさん』って……《 唇が乾いていく。 「……分かるのなら、それだ。あの人らしい最後だった……安心しろ、怨んではいない。あの人が選んだ事を、私がとやかくいう権利はない。あの人はいつも、自分の正義を貫いた。それだけだ《 言って、シオンは翠戒の方へと歩み、翠戒を抜かし、雑踏へと消えていく。その後を二匹の猫が追う。 「シオンさん! ……全くあの人は。すいませんね、混乱させてしまって《 「いや……しかし……《 翠戒は困惑したままのセシルを見て、にっこり笑う。そして、 「彼女の言った通りですよ、誰も貴女を怨んではいない。全てはあの人が決めた事ですから。文句なんて言えません。言ったらきっと、地獄からでも舞い戻って文句を言ってきますよ、あの人の性格、少しでも一緒に住めば分かるでしょう?《 そして、すうっとその笑みを消し、 「でも、もし貴女がそれを無駄にして死んだら、その時は怨みます。貴女の魂を僕が喰らって、二度と生まれ変われないようにしますから、そのつもりで。それでは、星が引き合わせるまで《 言って、翠戒も去って行った。 「……先輩……?《「……《 残されたセシルは拳を握り、唇を噛み、下を向いていた。 ■4■ ずっと悩まされていた頭痛が治って、ガルスは上機嫌だった。夕食の席では寒いギャグを連発して絶好調だ。それとは正反対に、セシルはずっと塞ぎ込んでいた。イーリィが話しかけても上の空で、食事が終わるとすぐに部屋に戻ってしまった。 真夜中、トイレから戻る途中のガルスは、セシルに呼び止められた。 「お前、まだ起きとったんか?《 ガルスが言うと、セシルは俯いて、絞り出すように言った。 「知っていたのか……《 「何をや?《 セシルの様子に気付かない振りをして、ガルスが逆に訊く。 「……ウィルヘルミナの事を……《 「……ウィルばーさんか……シオンか?《 セシルは頷く。 「……知っとった。わいらは皆。わいらの仲間の一人が、その人に育てられたから《 「――! 本当に『偶然』だったのか?《 セシルの細い肩が震えている。 「偶然、あの場に居合わせて、私を……《 「…………いや、偶然やない。わいがばーさんに頼まれた。引き取って欲しい子がいる。この土地では危険だから、別の土地に連れて行って欲しい子がいる、使いが飛んできた《 セシルは自分の腕で、自分を抱きしめた。そのまま崩れ落ちる。 「セシル!《 慌てて駆け寄るガルス、セシルは、泣いていた。 「私なんかあの時死んでいればよかったんだ、拾われなければ良かったんだ、そうすればばーさんは、ばーさんは……死なずに済んだのに!《 ――パン…… 廊下に、乾いた音が響いた。 「言っていい事悪い事があるって分かんねーのか?《 セシルは赤くなった頬を押さえて、眸を丸くして目の前の男を見た。 「死ぬなんて言うな、過ぎた事を悔やむな、それは、お前を助けて死んだばーさんの命を侮辱する言葉だ。お前は生きなくちゃいけねーんだ、誰よりも、何よりも、お前が背負っているのは、ウィルヘルミナばーさんの命だ《 顔がいつもと、違う。 眸から、また涙があふれた。ガルスに引き寄せられて、その胸に取りすがって、泣いた。その背を、ガルスが撫でる。また、涙があふれる。 こんなに泣いたのは、初めてだった。 寝息をたてるセシルを、抱えてガルスは部屋に連れて行く。その後姿を、気配を消したユージーンが見ていた。 いつも思う、何て自分は子供なのだろう、何て自分は情けないのだろう、どうして自分は、意気地がないのだろう…… 見ているだけでは、駄目なのに…… 【おわり】 |