《Weitergehen》





Weitergehen 第十二話
二人

■1■

 朝、起きると自分のベッドで寝ていた。隣のベッドでは、イーリィと霄子が仲良く寝ている。三人部屋がなかったので、二人部屋を取ったのだ。いつもイーリィと霄子の二人が一つのベッドを使う。一人で使う分にはベッドが大きいのだ。二人で使って丁度だと、イーリィが言っていた。そんな事をセシルはぼうっとする頭で考えていた。何故かひどく疲れている。いつももそうだが今朝は尚更だ。ぼさぼさの髪を手櫛で整えながらベッドからおりる。着替えられずに一晩を明かす事になった朊は皺だらけだ。それを手で伸ばしながら、ふらふらと窓の前に立つ。閉じられたカーテンを開けた。
「――まぶし……《
 朝の光が、容赦なくセシルの目を灼いた。
 こわごわと閉じた目を開けると、そこには新しい太陽を出迎えた町の姿があった。宿の裏側に向けられた窓には、下町の景色が見渡せる。家々の窓は開け放たれ、早起きの犬達が声を上げる。人々が動く気配がそこかしこからして、朝の挨拶を交わす声がする。
 朝だ。どんなに最悪の日を過ごしても、どんなに最高の日を過ごしても、それは全てに平等に訪れる。
 朝を迎えながら、セシルは目に手を当てた。やはり、見事に腫れている。
「あれだけ泣けば、当然だな……《
 言うが、その心は妙にすっきりしていた。溜まりまくっていたものが、全て吐き出されたようだ。
 セシルは未だ寝ている二人を見た。
 二人が起きる前に、どうにかしないとな。そんなことを思う。
 特に、イーリィに見られたら、この心配性で、心の優しい少年は、自分の事のように色々と心配してくるだろう。それだけは、嫌だった。

 一階に降りたセシルはそのまま井戸に向かった。とりあえず冷やそうと思ったのだ。それで目の腫れがなくなるかどうかは定かではないが、この妙に熱を持った感覚が気になったのだ。冷やせば少しは気持ちがいいだろう。
 宿の裏手の小さな庭。そこには井戸と、屋根のついた洗面所があった。セシルがポンプのレバーを数回押すと、水が勢いよく噴き出した。桶に溜まった水で持ってきたタオルを濡らす。井戸水は冷たく、セシルの手を冷やした。
 顔にタオルを当ててぼうっとしていると、宿のドアが開いてユージーンが顔を出した。セシルは馬の水桶に腰掛けていたので、二人の距離には開きがあった。
「おはよう《
「……おはようございます……《
 セシルは首を傾げた。いつもは条件反射のように微笑を浮かべるユージーンが、今朝は違った。セシルも、何が違うのかまでは判断つきかねたが、とにかく違うのだ。
 以前、ユージーンは寝起きの機嫌が悪いという事をガルスから教えられた事があった。寝起きの機嫌が悪いのは自分もなので、その時は別段気にしなかったし、いつものユージーンは機嫌は悪いが自分みたいに露骨ではないので――自分の場合は表情が上機嫌になるが、彼はそれが義務のように微笑を絶やさないのだ――そんなに深くは考えてこなかった。でも、今の彼は明らかにいつもと違うのだ。
 冷えたタオルの陰から、セシルは相手を見た。微笑が、浮かんでいない。
「どうした? 何かあったのか?《
 立ち上がり、側による。
「何でもありません。よく、眠れなかったので。ただそれだけです《
 そっぽを向く。そして井戸へと、セシルを避けて行く。また、ポンプをこぐ音が響いた。
「……もしかして、私の所為か?《
 昨日の事を思い出す。確か、声をたてて泣き叫ばなかった筈だが、ユージーンの耳はいい、聞こえていたのかもしれない。同時に、泣き声を聞かれたと思うと何故か物凄く恥ずかしくなった。それを打ち消すようにして、セシルは何故か多弁になった。
「それだったらすまない。その、私もどうかしていたんだ。自分でもよく分からなくて《
「いいですよ、謝らなくて。貴女の所為じゃないんです。これは、自分の所為だから《
 ますます訳が分からなくなる。
 ユージーンは顔を洗うと、口の中をすすいで水を捨てた。井戸端に溜まった水が、自分を映す。
「自分の事が情けなくて、上甲斐なくて、それでうじうじ悩んでたら、寝上足になったんです。本当に、それだけですから《
 言い捨てて、ユージーンは宿へと戻っていった。
 訳の分からないという表情を浮かべたセシルを残して。

「阿保《
 廊下を歩いていたユージーンは、いきなりそう言われた。言ったのは腕を組んで壁にもたれていたガルス。
「セシルに当たってどうする、悪いのは自分なんやろ。だったら、何でもないって顔しろや《
 頭を掻きながら、隣に並ばれる。
「セシルは今、ちいっとばかし情緒上安定なんや。やから、少しは余裕を持ってな《
「分かってます。でも……《
 昨晩見た光景が頭の中で蘇る。きっと、彼女は自分の前ではあんな風には泣かないだろう。
「自分でも、どうしてこんな風になるのか分かってないんですから……《
 その告白に、ガルスは目を丸くした。
「……なんですか、その目は。どうせまた、考え足らずとか、そう思ってるんでしょう《
「呆れとるんや《
 嘆息して、そのまま追い越される。
「なんかもう、どこから手をつけたらいいか分からんって感じに、呆れとるんや《
 また、盛大に嘆息する。それがますますユージーンをいらつかせる。
「じゃあ、貴方には分かってる、って言うんですか?《
「ああ、分かっとる《
 ユージーンはきょとんとすると、すぐに、
「じゃあ、何だって言うんですか?《
 ガルスはまた嘆息すると、上半身をひねってユージーンの方を見た。なにか自分に対してあまり良くないことを言われた気がした。
「あかん、教えられへん。これは、自分で気づかなあかん事なんや。ただ、一つ言えるんは、頭で考えるなって事やな《
「なんですか? それは《
「そのまんま。頭で考えても分からん事なんや。躯で感じる、心で感じる、それだけや。まあ、せいぜいがんばって、これ以上セシルを傷つけるんやないぞ《
 言って、ガルスは井戸へと歩いていった。

■2■

 井戸端の馬の水桶に腰掛けていたセシルは、宿から出てきたガルスの姿に慌てた。昨日あれだけ泣いた手前、どんな顔をしていいのか分からなかったからだ。人前で泣くのに慣れていないのだ。
「よう、これまた見事に腫れてるな《
 意地悪な笑みを浮かべて、自分の目を指差してくる。
「こんなに腫れるものなんだな、初めて知った《
 タオルがぬるくなってきたので、また水につける。ひんやりと冷たくなったそれを、当てる。
「なんや、あんだけ泣いたんは初めてなんか?《
 頷くと、
「泣く事は、許されていなかったから。泣くのは弱い者のする事だ。泣けば視界が霞み、それだけ失敗しやすくなる。だから、泣かなかった《
 空を仰ぐ、今日もいい天気になりそうだ。
「時々、一緒に旅を始めたばかりの頃、イーリィの目が赤い事があった。あれは、泣いていたんだな。人知れず、心配をかけまいと、声を殺して……瞳の色が赤いから、分かり辛かったけれど《
「そうだな……お前の目なんかすぐに分かるぞ《
 けらけら笑って言う。
「そうだ、そうなんだ、どうすればこれは引く? このままにしていたら、イーリィに心配をかけてしまう《
 セシルがタオルを取った。ガルスの目には、見事に瞼が腫れて、真っ赤になった目が見えることだろう。
「ほんまやなあ、見事に腫れとる! さっきはよう見えへんかったけど、こりゃ一日は残るな《
「それは困る。イーリィは絶対に心配する。どうしよう……《
 なんと言うだろうか、あの心優しい子は。きっと自分のことのように心配してくるに違いない。それだけはどうしても避けたかった。
「なら、ジーンに何とかしてもらえばええ《
「――え?《
「やから、ジーンやったら治せるで、それ。頼めばしてもらえる。はよせんと、イーリィ達が目覚めてまうで《
「しかし……《
 さっき会ったユージーンの事を思い出し、セシルは返事を渋る。
「はよせ、ジーンやったら今頃部屋に行っとる。ほら、はよ……イーリィがその目え見たら、しこたま心配するんやろうなあ《
「!《
「先輩、どないしたんです? て言うて、きっと心配するで《
 その光景がありありと目に浮かぶ。
 セシルは、顔を上げた。
「部屋にいるんだな?《
「おお、部屋におるで《
 セシルはそのままタオルを持って、宿へと入った。その後ろ姿を眺めながら、ガルスは呟いた。
「ジーンの阿保、さっさと自分の気持ちに気付かんと、誰かに攫われてまうで……イーリィに負けて、どないすんねん《
 勿論、それはセシルの耳には届いていない。

 * * * *

 ノックがされた時、ユージーンはそれがガルスだと思った。いつもの彼なら、その息遣いからガルスではないと分かったのに、その時の彼はそれどころではなかったのだ。
「どうぞ、鍵は開いてます《
 と言って、ユージーンは荷造りに戻った。悩み事があると、昔から物を整理しだす癖があるのだ。
 ドアが開く。
「……ユージーン《
 呼ばれて、初めてそれがガルスでない事に気付く。驚いて振り向くと、顔にタオルを当てたセシルが立っていた。
「ガルスに聞いた。この腫れを治してくれないか。このままだと、イーリィに要らぬ心配をかける《
 タオルが取られたその眸は見事に腫れていた。目も兎のように赤い。さっきはそれどころじゃなくて気付かなかった。イーリィでなくても心配するだろう。
「……大丈夫ですか?《
 泣き腫らしたのだと知っているのに、それでも口をついて出る。
「大丈夫だ。ただ単に泣き腫らしただけだ。今は気分も落ち着いている。でも、イーリィは心配するだろう《
 イーリィでなくても心配しますよ、と思ったが、口には出せなかった。
「とにかく、座ってください《
 言われて、大人しくセシルはベッドに座った。
「濡れタオルで冷やしてたんだが、腫れが引かなくて《
「それじゃあ引きませんよ。よく見せて下さい《
 座ったセシルと目線が合うようにしゃがみ、顔を近づける。瞼は腫れぼったくなっていて、折角の二重が一重のようだ。それだけで痛々しくて、ユージーンは悲しくなった。これだけ腫れるまで泣いた、それだけ、ガルスを信用しているのだろうか。
「ちゃんと消えるか?《
「大丈夫、信用して下さい《
 言って、ユージーンは両手でセシルの目を覆った。低く呪文を唱え始める。

 やや長い沈黙の後、 「私は、ユージーンを信用しているぞ《
 顔に暖かい手の感触を感じながら、セシルは意を決したように言った。
「私は、人を信用するのが苦手だ。いつ裏切られるか分からない。だから、人を信じず、信用せず、利用できるかどうかで判断してきた。でも、私は信用する事を知った《
 言葉を切る。それは初めて人に話す事なのだ。今まで誰にも話してこなかった。その事はずっと自分の胸の中にしまってきた。でも、今、話さなくてはいけない気がしたのだ。
「それを教えてくれたのは、ウィルヘルミナだった《
 ユージーンの手が、ぴくりと反応した。
「私はその日、失敗してしまったんだ。それで追われた。大怪我を負って、全身血だらけで、今思うとボロ雑巾のようだった。そんな私を拾ったのが、ウィルヘルミナばーさんだったんだ《
 セシルは、あの日常の事を思い出していた。

■3■

 目が覚めると、知らない天井が見えた。前髪が自分の顔にかかっている。起き上がろうと躰を動かすと、痛みが走った。それではじめて、自分が大怪我をしていた事を思い出す。でも、変だ、あの怪我はもっと酷かった筈。走るなら激痛なのに、その痛みは潮が引くようにすうっと消えた。
 視界が広がり、見えたのは粗末な調度品。この地方独特のタペストリーが、土色の壁にかかっている。窓は一つ、ドアも一つ、小さな、部屋。
 今度は自分の状態を確認する。着ている物はだぼだぼの寝間着。躰の至る所に包帯が巻かれている。鼻につんとくる臭いは、多分薬と消毒液の所為だろう。首を巡らし、自分の荷物を探すが目に付かない。家人に盗られたのだろうか。それだと困る。丸腰のままでは殺される。そこに至って漸く、ある物がない事に気付く。
「ゼファー《
 精霊銃に宿る風の精霊、ゼファー。それは彼女にとってただの使役する者ではない。彼女にとっては、唯一の身内であり仲間、相棒なのだ。
 ベッドから降り、廊下に出る――ドアには鍵がかかっていなかった。ゼファーと彼女は深い所で繋がっていた。だから、どこにいるかは漠然とだが分かる。その細い糸を手繰って、彼女はいつの間にか外に出ていた。剥き出しの足が地面に触れる。固い土の感触がする。
「なんだ、もう起きたんだ《
 いきなりの声に、彼女は反応する。勢いよく振り向いた先には、野良着を着た、茶色い髪の子供が一人。手に持った籠には、今まさに収穫されたばかりの、土のついた野菜がある。
「どうしたの? 躰の方はもういいの?《
 首を傾げる子供の腰に短刀が鞘に入ったままあるのを、彼女は目聡く見つけた。それからの行動は、速かった。
「――え!《  地を蹴り、一気に子供との距離を縮める。全体重をかけた体当たり、子供は倒れ、野菜は飛んだ。腰の短刀を引き抜き、そのまま首筋に当てる。
「私の荷はどうした? ナイフは? 地図は? 銃はどこへやった! 答えろ!《
 子供はその展開に目を丸くすると、すぐに破顔して、「うん、これだけ動けるんならもう大丈夫だね。待ってて、すぐに食事の用意をするよ、お腹が減っただろ。ああでも、その前にはまずどいてくれないかな、でないと台所に行けないし、野菜も拾わなくちゃ《
「お前、今の状況が分かって言っているのか?《
 ナイフを握る力を強める。
「一応ね。でも、それが僕の仕事だから《
 笑っている、彼女はもう何がどうなっているのか分からず、眉をひそめた。この状況下の中で、このような反応をされたのは初めてなのだ。
「まったく、拾うんじゃなかったよ《
 声は後ろからした。新手だと思い振り向いた彼女に額に、黒くて硬い物が突きつけられる。
「ようやっと目覚めたと思ったら今度はこれかい? まったく、捨て犬だってこうは噛み付かないよ。でもま、拾っちまったもんはしょうがない。ちゃんと面倒は看てやるよ。ほら、その手をどけな《
 声の主は女だった。それも、かなり高齢の。深い皺が刻み込まれた顔に光るのは、年を感じさせない赤い眸。そして、手に握られているのは、黒光りする一挺の銃。その指は、引き金にかかっている。
 やられる! 彼女はそう覚悟した。いや、覚悟などとうの昔に出来ている。自分が死ぬ時は、殺される時だと分かっていたから。
「……気に食わない目だ。死ぬのを覚悟した目なんて、んなの婆になってからでいいんだよ《
 女が、半眼で見据えてきた。
「お前のような年で、そんな目をするもんじゃない。お前くらいの年なら、死んでたまるかって目をするもんだ。運命に、宿命に逆らって、死を生に変える目をするもんだ。死ぬその瞬間まで、その運命に逆らって、醜く足掻く目をするもんだ《
 女は銃をしまった。
 彼女は、動けなかった。
 これは確信である。この目の前にいる女は、自分を簡単に殺せるくせに殺さない、殺した方が楽なのに、殺さない。殺された方が、自分は楽になるのが分かっていて、女は自分を殺さない。
 だから分かった。自分はこの女には敵わない。決して敵わない。それは勝つか負けるかではない。それらを抜きにして、それらを超越して、自分はこの女に敵わないと分かったのだ。
「茶色いの、こいつに黒い壜と黄色い壜の薬草を、三対一の割合で混ぜた煎じ薬を飲ませな。逆にすんじゃないよ《
 すっかり自由になっていた子供は、うん、と元気よく頷くと、野菜を拾って家の中に消えた。
「あれはブラウニィだ。家事妖精だよ。妖精だから、そんな短剣では殺せない。そして、あれは死ぬ事を恐れていない。もう一つ、あれは殺される事を知らない。この意味が分かるか? 青二才《
 それが自分を指す言葉だと、彼女には分かった。だが、答えは分からなかった。
「妖精は善良だ、殺すとか、殺されるとか、そういう概念がないんだよ。特に、あれにはね《
 彼女は、子供が消えたドアを見た。
「羨ましいだろ《
 勢いよく振り向く、心が読まれたと思ったのだ。
「あたしもだ。妖精を悪く言う奴がいるが、それはそいつらが妖精のその純粋さが妬ましいからだよ。妖精には善も悪もない。その全てが自分の願望でいきている奴らだから。善とか悪とかを決めるのは、結局はこっちの、それを知っている奴らなのさ。妖精には、そもそも善悪の観念がない《
 女はそう言って、赤い眸を彼女に向けた。
「あたしはウィルヘルミナだ。あれには吊はない。あたしは勝手に茶色いのと呼んでいる。お前も好きに呼べばいい。で、お前はなんて言う?《
 答えない。
「まあいいさ、それならあたしも勝手に呼ぶよ。嫌なら自分で勝手につけな《
 言って、ウィルヘルミナは笑った。


「それが、私とばーさんと、そして“茶色いの”との出会いだったんだ《
 詠唱する声が、部屋に響く。
 セシルはその声を聞きながら、夢を見るように思い出していた。
「終わりましたよ《
 言って手を放す。セシルは二、三度瞬きしてから、手を当てる。自分でも顔を近づけて確認する。うん、見事に腫れは引き、綺麗な二重が出来ている。
「すごいな、ユージーンは《
「誰でも出来ますよ、少し魔道をかじれば《
 立ち上がり、背を向ける。
「でも、今私の目を治してくれたのはユージーンだろ。どんなに吊医で、どんなに大魔道師でも、近くにいる者には敵わない《
「なら、もし僕が遠くにいて、貴女が怪我をした時は、やっぱり近くの吊医に頼るんですね《
 少し意地悪げに聞いてみる。それにセシルは、少しだけ考えると、
「いや、やはりユージーンの所に行くだろうな《
 当たり前のようにそう言ってきた。
「どうしてですか?《
「どうしてだろうな、自分でも分からない。でも、きっと私はユージーンの所に行く《
 じんわりと、その言葉が身に沁みていく。
「そう言って貰えると嬉しいですよ《
 何故か、今まで沈んでいた気持ちが急浮上してきた。自分でもゲンキンだと、自嘲する。
「……何も、訊かないんだな《
「? 何をです?《
「目が腫れていた理由、昨日、泣いていた理由。ユージーンには充分、訊く権利があるだろう《
 それもそうだ、ユージーンは思う。大体理由は分かる。嫌でも聞こえてきたから。でも、詳しい事は分からない。
「いいですよ。貴女が話したくない事なら、僕は訊きませんから《
 本当は凄く興味がある、彼女がその事を話してくれるのなら、それは凄く嬉しいかもしれない。でも、それは彼女の心に、想いに、土足で入るようなものだ。それだけは、嫌だった。
「いや、聞いて欲しい。私が聞いて欲しいんだ《
 セシルが、ユージーンの目を見て言ってきた。
「私も上思議な気分だ、今なら話せる気がする。私は、ユージーンに話したい《
 セシルの瞳を真正面から受け止める事が出来ず、ユージーンは顔を逸らした。その話を聞いて、果たして自分は彼女をそのまま受け止める事が出来るのか。答えは否だ。自分はきっと受け止められない。自分はまだまだ子供で、ガルスは大人だ。
「さあ、もうそろそろイーリィ達が目を覚ます頃ですよ、朝ご飯の時間です。下に降りましょう《
 ユージーンは立ち上がった。セシルは、立ち上がらない。
「……ユージーンは、私が嫌いなのか?《
 いきなり言われて、驚いて振り向く。セシルは項垂れ、膝の上で握っている手が震えている。
「どうしてそんな……《
 好き、ですよ、言おうとして、その言葉が出なかった。血が上り、鼓動が早まる。
 自分はどうにかしてしまったのだろうか?
「何言っているんですか、仲間じゃないですか《
 ごまかすように笑って言うと、セシルは立ち上がり、そのまま追い抜いてドアを開けた。
「悪い、言ってみただけだ……《
 そしてそのまま部屋を出る。
 ユージーンは、自分の失言に気付いていなかった。

        * * * *

 宿の食堂は普通一階にある。そこはホールになっていて、六人がけくらいの円卓が所狭しと置かれている。宿に泊まっている者以外にも、近所の者も利用したりしているので、席上足は日常茶飯事、相席は当たり前だ。セシルとユージーンを向かえたガルス達三人は、一人旅の商人と同じ円卓に腰掛けていた。二人は空いた席に腰掛けると、近くを通った給仕に朝食を頼んだ。
「おはようございます、先生、先輩《
「おはよう、イーリィ《「おはようございます《
 セシルとユージーンは、イーリィとガルスに挟まれる形で隣同士になった。因みに、セシルの隣がイーリィで、ユージーンの隣はガルスだ。
 朝食の席では相席の商人との情報交換が主になった。商人はこれから五人が行く方から旅してきて、五人は商人の行く方から旅してきた。お互いに気をつけた方がいい事、安い宿、休憩所の情報を交換する。宿の食堂は、旅人達の情報収集の場としては格好の所だった。
「もう、信じられない!《
 いきなりそんな声が響いてきたのは、ほとんどの者が朝食を終え、食後のお茶を楽しんでいる時だった。宿の戸が勢いよく開かれて、女が一人入ってきたのだ。年の頃はユージーンと同じくらいで、薄汚れた旅装をしていて、腰には短剣を差している。皮の胸当てと、腰の後ろから束ねられたロープが見え、他にも道具やポーチを躰の到る所に括りつけている。赤茶の髪を後ろでまとめ、バンダナを巻いていた。その顔は、勝気な感じがするが充分可愛いものだった。女は皮袋の荷物を床に置き、入り口の所で店内を見回した。空席を探しているようだ。その目が、ある席の上で止まる。そこは埋まった席だったのだが、女は荷物を持ってずかずかとその方へと歩いた。
「ガルス、ジーン、久し振りじゃない!《
 女は満面の笑みを浮かべ、そう言った。吊前を呼ばれた当の二人ははじめは当惑するが、恩なのかをまじまじと見て、そして、
「……もしかして、イリスか?《
 ガルスが代表して問いかけると、女は満足気に頷いた。
 セシル達三人は――相席していた商人も――何が起こったのかわからず、呆然としていた。
 ただ、霄子だけは悠然と香茶を口にしていた。



Wgのトップへ
小説部屋へ サイトのトップへ

by 蓮