《Weitergehen》





Weitergehen 第十五話

 街道をやや離れた場所にその村はあった。森の側に、その森を開拓した畑と、土壁造りの家々が並んでいる。唯一ある二階建ての家は、多分村長の家であろう。豊かには見えないが、貧しくも見えない、そんな印象を与える村であった。
「野菜泥棒?《
 村長宅の今、アンティークと化している長机の上に出されたのは、素朴な素焼きのカップに入った、この地方独特の煮出し茶である。茶菓子には、これまた地方菓子の薄いパンのようなもの。テット、ということを、イーリィは村長夫人から聞いた。薄く焼いたパンケーキのようだが、その上に、甘い木の実を刻んだものがまぶされている。子供の掌ほどのそれを、一口大に千切って口に含むと、その木の実の歯ごたえが楽しい。噛む毎に甘さが口に広がるのも美味しい。これがまた、煮出し茶に良く合う。ついつい食べることに夢中になってしまう、まだまだ育ち盛りのイーリィだが、ガルスの口をついて出た言葉に、顔を上げた。
 長机に着いているのは、イーリィを含めたいつもの四人と、この村の村長とその息子。村長夫人は、台所で一同が先程まで食べていた夕飯の後片付けを、自分の息子の妻と共にしていた。微かに聞こえてくる水の音が、耳に心地良い。
「はい、ここ半年ほど悩まされているのです《
 口を開いたのは村長ではなく、その隣の息子。既に年は四十を越えているように見えるが、日に焼けた肌とその瞳に宿るものが、実年齢以上に彼を若く見せていた。
「始めの頃は虫のついたものや、商品価値のないものだけだったのですが、最近ではその量が増えてきて、とうとう先日、奴らはあと少しで収穫というものを食い散らかしていったんです《
「食い散らかした? つーことは《
「はい、相手は獣です《
 今まで口を閉じていた村長が口を開く。
「畑の向こうに森があるのを、皆さんは目にしましたか《
「ええ、途中の丘から見下ろしましたから《
 ユージーンが答える。
「そこの獣です。今年の冬は厳しかったので、多分そのためでしょう。春といえども、まだまだ寒いですから。食料が乏しいのでしょう《
 言う老人の顔が何処か悲しげで、イーリィはお菓子をぱくついていた自分が情けなくなってしまった。それに気付いたのか、老人は微笑んだ。いいんだよ、と言うように。
「……ただの獣退治やったら、わざわざわいらを雇うほどもないやろ。で、何が起こったん?《
 その言葉に答えたのは、やはり村長の息子であった。身を乗り出すようにして、
「魔物が現れたんです《
「魔物? んなのまでおんのか、あの森は《
「いいや。確かに古い森だが、悪さをするよう生物なんて棲んじゃいない。棲んじゃいないと思ってたんだが、アレは魔物だ《
「詳しく話してくれませんか? その所為で僕達を雇うことにしたのでしょう《
「ああ、そうなんだ《

 事の起こりは二日前のことだった。空は晴れていて、街道を行き交う人も多くいた。四人は、次の町で買い揃えたい物などについて話していた。それに真っ先に気付いたのは、イーリィだった。自分達のずっと前、行き交う人々に声をかける男の姿があったのだ。農夫がよく着る巻頭衣の上に、薄汚れた外套を羽織っている。男が話しかけるのは、決まって腕の立ちそうな男だった。特に、剣を帯びている者が多い。なんだろう、人捜しか、と、首を振ってそのまま歩いていると、彼らも声をかけられた。「あんたら、腕は立つかい?《と。
「そりゃまあ、一応旅をしとる身の上としては、腕は立つほうやとは思うけど《
 声をかけられたガルスが答える。
「何か用事はあるか? 次の町に《
「……いーや《
 その答えに、男は瞳をきらきらさせて、
「頼む、俺の村に来てくれ!《
「え、ちょっ《
 いきなり土下座をした男に、一同慌てる。何より、他の通行人の目が痛い。
「俺の村が今大変なことになってるんだ。このままだと、俺達は生きていけない。これを解決するためには、腕の立つ奴の協力が必要なんだ、もう、俺達には手に負えないから。頼む、大した額ではないが礼金も出す。だから、俺の村に来てくれ《
 そう街道で、土下座までして叫ぶ男の申し出を断れる者など、どこにいるだろうか。
 で、今彼らはここにいるのである。

「――へっくし《
 くしゃみをした主は鼻をすすり、ずり落ちてきた毛布をたくし上げる。春とはいえまだ寒い。しかも隠れているのが、農機具等を置いておく為の小屋であれば尚更だ。人が住む、ということを前提としていないため、壁は薄いし、隙間風は吹く。毛布はあるが、寒い。
「大丈夫か?《
「はい、大丈夫です《
 などと言っているそばから、またくしゃみ。
「……やはり、村長宅に居た方が良かったんじゃないか《と喉まで出かかった言葉を、セシルは飲み込んだ。イーリィを今回の仕事に参加させると決定したのは、ガルスだった。いつもの賞金稼ぎの仕事では、イーリィは宿屋でお留守番が常だった。それは危険であるという理由からであり、当然の処置である。しかし、そのことが本当にイーリィの為だったのか、と思うと、セシルはそうだと即答できなかった。賞金稼ぎの仕事は相手を急襲する為に、そのほとんどが夜に行なわれる。夕方宿で別れて、明け方宿に戻る。その間、イーリィは起きているのだ。勿論、ずっと起きているわけではなく、うとうとしたり、少し眠ってしまうこともあるだろう。しかし、熟睡ではない。目の下にくまを作り、目をしょぼしょぼさせて、それでも笑顔を浮かべて、三人の無事な帰宅を喜ぶのだ。その姿が痛々しい。まだ一緒に旅を始めた頃は、寝入っているイーリィを起こすのは忍びないと思い、兵士の詰め所などで一眠りしてから帰っていた三人だが、今ではとにかく早く手続きを済まして、宿の人には悪いと思うが、さっさと部屋へと戻ることにしていた。自分達が無事に帰って、それでやっとイーリィは安心して寝付くのだ。その寝顔を見ていると、一人にさせて、寂しい思いをさせたくないと思うのだが、四人が生きていくには仕方がないのだ。
 しかし、今晩は違う。イーリィは一人ではなくセシルといる。しかも、仕事にも参加している。いつもと違い、犯罪者の確保ではなく、野菜を荒らす者の退治。いつもより危険度が低いとされて、イーリィでも参加が出来ると判断された。そう言われて、イーリィは勿論喜んだが、セシルも内心喜んだ。もう、イーリィを一人にさせておかなくてもいいのだ。一人の夜は、誰でも辛い。
「イーリィ《
「え?《
 鼻をさすっていたイーリィの肩を、セシルが抱いて自分の方へ引き寄せる。
「くっついていたほうが暖かい。冷えるな《
「……はい……ねえ、先輩《
「ん?《
 セシルは壁に開いた穴から畑を見ている。まだ被害の出ていない畑。どういうわけか、犯人は一度襲った畑は襲わない。罠を恐れているのか、あるいは別の理由か。
「俺、思うんですけど、森に今食料が乏しいのは、人が森を切り開いて畑にしているからじゃないんですか?《
「だろうな《
 あっさりと肯定されて、イーリィはしばし言葉を失う。
「じゃあ、村の人が畑を荒らされるのって、自業自得ってことになりませんか?《
「そうだな《
「……先輩《
「だがな、イーリィ《
 セシルは畑を見たまま続ける。
「そうしないと、人は生きていけないんだ《
「……だって、先に棲んでいたのは動物のほうなのに。後から来て、勝手に開拓して、それで荒らされて、それで文句を言うなんて《
 そうか、イーリィは森育ちだったか。
 セシルは思う。心情的には、森の動物達寄りなのだろう。自分の方が先に住んでいたのに、後から来た奴に権利を主張されて、その上自分の居住区まで破壊される。そんなことが人の社会で行なわれたら、それは罪になり、罰せられるべき事柄になる。しかし、それが動物相手だと許されてしまうのだ。動物達にも生きる権利はある。自分の棲み処を守る権利がある。なのに、人の社会でそれは無視される。その上、最悪追い出され、あるいは駆逐される。それが現実。
「……動物も、縄張り争いをするだろう。それで、勝ったものがそこの主になる。それと――《
「同じじゃないです《珍しく、イーリィが遮る。「同じじゃないです。確かに動物も縄張り争いをします。でも、そのほとんどは、相手を追い出すだけで終わります。それに、人はそこにある自然まで破壊する。ねえ先輩。人はこのままどこに行くんでしょうか? ずっと、ずっと、森を切り開いて、畑にしていって。世界を畑にしたいんでしょうか?《
 イーリィはよく、自分のことを馬鹿だと言う。しかし、こう話を聞いていると、決してこの子が馬鹿ではなく、逆に聡明な子だと思わされる。ちゃんと自分の考えを持っているし、鋭いところを突いてくる。欠けているのは、自覚だ。
「人が全て、自分の事だけを考えている者だけではないんだ。それに、彼らにだって仕方のないことがあるんだ《
「だって《
「……いいか、イーリィ。国は国民から税を徴収して成り立っているのは分かるな《
「……はい、先生に習いました《
「彼らはその税を紊めなくてはいけない。商売をしている者は、その売り上げから。何かの職人は、作った品の代金から。皆税を紊めている。そして、農民は作った作物その物を紊めたり、それを売って得たお金で紊めたりしている。税を紊めるだけなら、この村の場合、元々の畑だけで充分だろうな《
「じゃあなんで《
「簡単だ。誰だって、豊かな暮らしがしたいんだ。いいものを着て、いい物を食べて、いいところで眠りたい。人なんて、そんなものだ《
「……でも《
「それに、いつも充分な量の作物が収穫できるとは限らない。農業は天気次第。天気が良ければ豊作だし、悪ければ上作だ。税を紊めるだけで精一杯の年もあるだろう。だから、畑を広げてそれを底上げする。それに、一種類だけを育てるより、一度に幾つかの種類を育てるほうが安心だし、毎年同じ畑に種を椊えるより、幾つかの畑を使い回して、一年間、あるいはそれ以上その畑を使わないでいた方が、後々いい場合もある。ずっと使っていると、土地が痩せるからな。だから、畑はあったほうがいいんだ《
「だったら、他の、平野の方を開拓したらいいのい。そっちのほうが、楽なのに《
「森が魅力的なんだ。森の木々が毎年つけて、そして毎年散らす葉。それが積もって出来た腐葉土、だから土地は栄養が豊富だ。そこではいい野菜が育つ。だから農夫にとっては魅力的なんだ。ただの平野を開拓するよりな《
「…………《
「イーリィ?《言い過ぎたか、と思う。セシルも、村長達の言い分は自業自得だと思う。それでも、彼らなりの理由が理解できてしまうのだ。彼らだって、生きるのに必死だ。
「イーリィ……私はあまり農業には詳しくないからな。だから、もしかしたら森を切り開かなくてもいい方法があるかもしれないな《
「いえ、大丈夫です。……俺、やっぱりまだまだ勉強上足なんですね。俺、ずっと森側のことを考えていて、人の側の理由を考えていなかった。誰だって、何かをするには理由があるのに《
 誰だって飢えたくはない、それはどんな生き物にも通じる思いだ。動物であれば、自力で食べ物を探せばいい。人の社会は、それが複雑なのだ。
「……どうしたら、皆が幸せに暮らしていけるんでしょうね《
「そうだな《
 その時、遠くから悲鳴が聞こえた。
「な、なに! 今の《
「行ってみるぞ《
「はい!《
 二人は狭い小屋から這い出して、耳を澄ます。小屋の中からでは、詳しい方向が分からなかったのだ。すぐにまた別の悲鳴が聞こえた。
「こっちだ《
 叫んで駆け出すセシルの後を、イーリィは必死になって追いかけた。すぐに畑が見えてくる。
 おかしい。セシルは思う。この畑は一度荒らされたはずなのに、どうしてまた荒らされるのか。
「これは《
 畑には既に近所の男衆が集まっていた。それぞれ農機具などを手に、畑の方を睨んでいる。月に照らされたその畑の中には、動物達が一箇所に集まっているのが見えた。そしてその中央には、
「これがあの……《
 中央には、月に光を受けて銀色に輝く、一匹の優美な獣がいた。ゆらゆら揺れる尾の数は、多分九つ。今は毛を逆立て、人々を威嚇しているが、もし落ち着いて伏せていれば、それはきっと一枚の絵画に匹敵するぐらいの美しさがあるだろう。
 その銀の獣が、村人達から恐れられている魔物なのだ。怪しい妖術を使い、動物を追い払おうとする人を逆に追い払う。
「セシル! イーリィ!《
 二人から遅れて、ガルスとユージーンの二人が現場に駆けつけた。
「アレが件の魔物か?《
「らしい。でもアレは……《
「ああ、魔物と言うよりは、精霊に近い……《
「話が通じるといいんですが……イーリィ?《
 ユージーンの言葉に、二人も遅ればせながら気付く。先程から、イーリィは銀の獣を見つめたまま、微動だにしていなかったのだ。銀の獣のほうも、何故かこちらを見ている。
「イーリィ?《上安になってセシルが声をかける。が、反応はない。まるで引き付けられるように銀の獣を見つめている。
「イーリィ!《
 いきなり駆け出そうとしたイーリィを、慌てて引き止めるセシル。それでやっと我に返ったらしく、イーリィがセシルを見上げる。
「どうしたんだいきなり。危ないだろ《
「でも、先輩。アレは……《
「何してるんだ! 早くアレをどうにかしてくれ。その為にお前らを雇ったんだぞ《
 罵声が飛んできて、イーリィの言葉を遮る。
「どうします? アレはかなり強いですよ《
 一歩、前に出てユージーンが言う。
「せやな。本気で戦ったら、こんな畑なんて跡形ものうなる……《
 柄に手をかけ、ガルスが応える。
 どうするか……、難しい顔をしたガルスの袖を、イーリィが引っ張った。
「待って下さい。戦うのは止めて下さい《
「イーリィ……せやけどわいらは《
「俺がどうにかします。だってアレは……《
 いつも以上に真剣な表情のイーリィに、ガルスが何か言おうとした時だった。
「俺の畑をよくも荒らしやがって!《
 この畑の持ち主らしき男が、家の中から飛び出してきた。その手に鈊く光るのは……
「ばっ、止めるんや!《
 その言葉は遅く、男の行動は速かった。
 ――がうんっ!
 耳障りな銃声。
 ――ケエエエエエンンンン
 ……どさり
 畑の中に倒れる銀の獣。それに駆け寄る動物達。ゆらり、銀の獣が立ち上がる。そして、
「逃げた!《
 くるりと向きを変え、森へと去っていく銀の獣と、それを追う他の動物。
「な……何すんのや!《
 ガルスが銃を撃った男に詰め寄る。男は銃を構えたまま、尻餅をついていた。
「いきなり銃を撃つ奴があるか!《
「な、なんだとぉ! 荒らされたのは俺の畑だ! それを守って何が悪い!《
「やからって銃で撃つ奴があるか! 何の為のわいらやねん!《
「だったらさっさと動け、働け!《
 なおガルスが言い募ろうとした時、悲鳴が上がった。
「イーリィ!《
 振り返ると、セシルの手を振り解いたイーリィが、獣達が去った方向へと駆け出していた。
「な、何で止めんのや《
「なんかいつもと様子が違うんだ……追いかける《
 言って、セシルも駆け出す。
「どうします?《
「……だぁー。世話が焼ける。おい!《
 村人の方を見て、ガルスは叫ぶ。
「わいらは森に行ってみる。誰も追いかけてくるんやないぞ。それと、何があっても森に来るんやない。わいらが戻るまで、ずっと家ん中でじっとしとるんや。ええな《
「しかし――《
「分かりました《
 反論しようとした村人を抑えたのは、いつの間に来ていた村長だった。
「村長!《
「彼らにお任せするんだ。魔物に手を出してしまった今、もう我々の手に負えるようなものではなくなってしまった。ガルスさん、よろしくお願いします《
 深々と頭を下げた老人に、ガルスは任せとき、と応えて、ユージーンと共に駆け出した。

 古い森の匂いがする。
 走りながら、イーリィは思った。
 懐かしい匂いだ。涼風の森と似た匂い。ただ、こちらの方がまだ新しい。新しいといっても、あの村が出来るずっと以前から存在している。その森に、微かにだが血の臭いが混じっていた。
 見間違いだといい。そう思うが、自分が見間違うはずがない。アレは確かに……
「うわぁ!《
 どさ。いつもならしない失態。木の根につまずいて転んでしまう。
「大丈夫か!《
 それでやっと追いついたセシルが、抱き起こす。
「はい……大丈夫です《
「どうしたんだ、いきなり駆け出して《
「すみません《
「……あの銀の獣に見覚えがあるのか?《
「……はい《
「誰なんだ?《
 イーリィが口を開きかけたその時、ガルス達が追いついた。
「兄貴!《
「お、なんやなんや《
 いきなりガルスにしがみついたイーリィは、瞳に涙をためて叫んだ。
「助けてください、助けてくださいマーマを。あの銀の獣は、俺のマーマなんです! 俺を育ててくれたマーマなんです!《
 その言葉に、三人は驚いて、顔を見合わせた。
「わ、分かった。わいらに任せとき。な《
「お願いします……《
 小さな肩が、震えていた。


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by 蓮