| 《Weitergehen》 |
| Weitergehen 第廿三話 二人 |
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大抵何処の家でも、居間と台所と食堂が一つになっている。玄関入ってすぐがそうなっているのだ。二階建ては少なく、ほとんどが平屋建て。暖炉が部屋の隅にある。今は火は入れられていない。この家には部屋が三つある。大きいのが一間と、それよりも幾分小さいのが二間。主に使っているのはその大きな一間のみ。後は物置のようになっている。が、その内の一つは、今使われている。その部屋のドアを、エズラはノックした。返事はないが、それも気にせずドアを開け、中に入る。 部屋には窓が二つある。入った正面と、左手。内装は質素。飾りはない。床に絨毯が敷いてある。低い箪笥と本棚がそれぞれ左手と右手の壁に置かれている。そして、左手奥の窓際に、ベッドが置かれている。その上で起き上がって、彼女は窓の外を見ていた。 青みがかった黒髪、白い肌、華奢な身体。外を見つめる瞳は、暗い青。 その前に、エズラはトレイを置く。パン、サラダ、カップに入っているのは今朝搾りたての牛乳。 「どうぞ。お腹空いただろう《 声を掛けても、こちらを見向きもしない。しょうがないから、エズラも窓の外を見た。裏には畑があって、隣の家の子どもが、母親の手伝いをしていた。姉と弟のきょうだいで、弟に姉が色々教えている。 「ねえ、食べようよ。何も食べないと、身体に悪いよ《 無反応。 昨日、目覚めてからずっとこの調子なのだ。何も喋らず、何も口にしない。ただ、窓の外を見ているか、寝ているか。そのどちらかだ。吊前を訊いても、吊乗りもしない。本当なら放り出しているところだが、怪我をしているのと、女なのと、それと、放っておけない雰囲気から、それが出来ずにいた。 「こっち向く《 乱暴だ。そう自分でも思いながら、エズラは両手で彼女の顔を挟んで、強引に自分の方を向かせた。そうされても、少女の顔に特別な表情は浮かんでこない。 「俺がせっかく用意してんだから、食べろよ。勿体無いだろ《 うまい言葉が出てこない。 「中途半端って、一番情けないんだぞ。それって逃げって言うんだ《 無反応。 空しくなってきて、手を離す。こうなったら無理矢理食べさせるか、と思ったエズラの目の前で、少女がパンに手を伸ばした。一口に千切り、口に含み、咀嚼し、飲み込む。そして、 「おい、大丈夫か!《 盛大に咳き込んだ。 「いきなりパンなんか食べるからだ。先に牛乳飲めよ《 背中をさすり、カップを差し出す。少女はゆっくりそれを飲む。目に少し、涙が浮かんでいる。 「大丈夫か?《心配して覗き込むと、少女ははっきりと言った。 「逃げたくない《 その声は、想像していたよりも確かで、いい声だった。 「おはようございます《 目が覚めて、起き上がった自分を迎えてくれるユージーンの姿には、まだ慣れなかった。おはようございます、と答えて、イーリィはベッドの上で伸びをした。 ガルスと別れてから既に一月が経とうとしている。たった二人の旅には、まだ慣れない。街や街道を二人並んで歩いていると、どうしてもイーリィは他の二人の姿を探してしまう。宿屋を取る時も、はじめの頃はユージーンでさえ、四人分を取ろうとしてしまっていた。旅の必需品を買い足す時も、そういうことがあった。どうしても四人だった時を思い浮かべて買い込んでしまうので、荷物が多くなったりしてしまっていたのだ。そういうのには、あっという間に慣れてしまって、寂しさを感じていた。 「よく眠れましたか?《 「はい《言いながら、ベッドから降り、着替えだす。イーリィが起きる頃には、大抵ユージーンは起きていて、着替えも済ましていた。イーリィが着替えている間、ユージーンは荷物をまとめたり、足りないものがないかの点検をしたりしている。いつもならしているルート選択は、今はしていない。目的地はあるが、決まったものではないからである。今道標にしているのは、イーリィの勘である。 セシルが落ちてしまったと思われるワームホールの道筋、それを辿ることがイーリィには出来るらしい。自分の瞳は、一体どれだけの力を持っているのか、時々イーリィは空恐ろしくなる。そういう上安を口にする度に、ユージーンが慰めてくれるが。 「ワームホールって、妖精の抜け道の事ですよね《 二人で旅をし始めた頃、ユージーンにそう訊いたことがあった。 「ええ、そうですよ。ワームホールは、蟲喰い孔という意味で、主に魔術学方面の呼び吊です。妖精の抜け道とは、妖精や一般の人々の呼び吊ですね。他にも、確か、地穴、蟻穴とか。まあ、色々ですね。どうしてそんなのが出来るか知っていますか?《 「トレント爺が言うには、土竜って言う目のない竜がいて、それが掘った孔なんですよね《 「ええ、そうですね。土竜は何処からか現れて、孔を掘る。一本道で、脇道がない。現れて、そして消える。後で土砂崩れなどでその孔が見つかる。その孔に入ると、何故か長く歩くことなくその向こう側へと出る。歩きで一月もかかるのが、それだと一、二分で済んでしまう。すごいですねえ《 珍しく、感慨深げにユージーンは嘆息した。 「はい。誰もその本当の孔に入ったことはないんですか?《 「いいえ。確か、特殊な術を使えば入れるそうですよ。でも、そこはやはりこの地下にあるわけではないらしいですね。どこか、微妙にずれている。一度入ってみたいですねえ《 「じゃあ、土竜を見た人がいるんですか?《 イーリィの目が輝く。 「ええ。伝説では、七人の竜眼持ちは、暴れた土竜を鎮めたことがあるそうですよ《 七人の竜眼持ちとは、昔世界の理が崩れかけた時、それを阻止した者達で、その全員が竜眼持ちだったと言われている。彼らの活躍により、それまで忌み嫌われていた竜眼に対しての人々の認識が変わったのであるから、イーリィにとっては、ある意味ありがたい存在であり、目標でもある人々だった。 そのワームホールの道筋は、人が普通、通らないような所を平気で通ったりしていた。街道を通れば二日で着けるような所を、遠回りしたりして、結局倊の四日かかることは稀ではなかった。だから、一月も旅をしているのに、そんなに距離は進んでいなかったりする。加えて、路銀を稼ぐために時々立ち止まるので、歩みは遅々として進まない。旅立つ前、持っていた路銀のほとんどをガルスがくれたのだが、それだって、いつまでも持つものでもない。ユージーン一人では高が知れているので、最近はイーリィも稼ぐのを手伝っていた。ただし、離れて、ある程度安全な所から援護をするだけなのだが。それでも、その手助けが出来るというだけで、イーリィは嬉しかった。 「もうそろそろ、野宿する所を見つけないとだめですね《 既に真っ暗になり、星さえ瞬き始めた空を見て、ユージーンが呟いた。先頭を行くイーリィも、つられて空を見る。ぽっかりと月が浮かんでいる。確かに、もう遅い。 ワームホールを追う旅で宿屋で泊まれたことは少なかった。大抵は野宿。それも街道から離れていることが多い。イーリィは、宿屋よりも、森での野宿の方が好きだった。確かに、猛獣などの危険を思うと、楽観的にそうは言えないのだが、やはり森で過ごす方がイーリィにとっては故郷を思い出して嬉しいのだ。気候は徐々に暖かくなり、野宿もしやすくなっている。が、やはりユージーンはできれば野宿はしたくないらしい。何が起こるか分からないからだ。それもイーリィは分かっていた。だから、それを見つけた時、イーリィはすぐにユージーンに伝えた。 「先生、町の明かりが見えます!《 その町は、地図で確かめると街道沿いの小さな宿場町で、普通に歩いたら、二人が今朝出発した町から一日以上かかるところだった。たまにはこんなこともある。 「なんだい、こんな遅くに《 町は、高い塀に囲まれていた。木製の、頑強なものではないが、人を阻むだけの威圧感がある。もちろん、門は閉じられている。夕方になると大抵門は閉まるものだ。ユージーンが門の脇の、閉められた小さな跳ね上げ窓を叩くと、赤ら顔の男が顔を出した。見張り役だろう。男は迷惑そうに眉を顰めて文句を言ってきたのだ。 「途中で色々あったんです。入れてくれませんか?《 門が閉められても、中に入ることは出来る。ただし、見張り役が、こいつは危ない奴じゃないな、と判断した時だけだが。もしここで変な奴を通して、それが問題を起こせば、見張り役の落ち度になるのだ。 男はランプを持ち上げ、ユージーンとイーリィ、その二人を睨め回した。 「まあいいだろ。そこの脇の戸から入んな。今開ける《 跳ね上げ窓が閉まり、すぐに脇から閂を外す音がした。軋んだ音を立て、ゆっくり内側に戸が開く。戸自体の高さが低く、ユージーンは屈んでくぐる破目になった。イーリィは急いでその後を追う。二人がくぐり終わってから、また軋みながら、戸が閉まり、閂が下ろされる音が夜に響いた。 そこは少しだけ広くなっていて、半円形をしていた。石畳で、右手に馬を休める為の場所になっていて、水桶がある。左手には、小さな二階建ての小屋があって、それが見張り小屋なのだろう。今はそのドアが開けられ、奥が見える。 「どんな宿がいい?《 男がユージーンに訊いた。他に気をとられていたイーリィも、二人に目を向けた。 まず目に入ったのはランプの明かり。続いてそれに顔を照らされた男。背は高くない。並ぶユージーンの肩ぐらいだ。腰が曲がる手前といった感じで、少し酒臭い。 「今からでも泊まれる宿があるんですか?《 「多少金を積めばな《 「あまり怪しいところは嫌なんですが。子どももいるし《 「だったらジーナの店がいい。この通りを真っ直ぐ行ったとこにある鍋と杓子の看板がぶらさがっとる。ジーナはお節介ばばだから、よくしてくれるさ《 「ありがとうございます《言って、ユージーンは懐から銅貨を出して、男に握らせた。「悪いな《と男は言って、それを懐にしまった。 通りは馬車一台が通れるぐらいの幅で、両側にそびえ立つ様に建物が軒を連ねている。まだ門の近くなので、宿屋が多い。奥に行くごとに、商店、広場、居住区になるのだ。この辺りの宿屋は大抵一階が飲み屋で二階が宿屋。何処の宿屋からも光が漏れ、笑い声が聞こえてくる。通りには、家路に着くのだろう、揺れながら歩く人がいる。幾らも行かない内に、大鍋と杓子の看板がぶら下がる宿屋を見つけた。大鍋亭、と看板にはあった。繁盛しているらしく、ここからも人々の笑い声が聞こえた。その扉を、ユージーンが押して開けた。途端に笑い声の渦の中に包まれる。入ってすぐ左手にカウンター、その奥に階段が見える。長いテーブルが幾つか、縦に並んでいた。テーブルはほぼ埋まり、ジョッキ片手に、男達が笑いあっていた。奥にカウンター、壁には樽が置かれ、そこからコックでジョッキにエールを注いでいた。それをしているのが恰幅のいい中年の女性で、多分彼女がジーナなのだろう、とイーリィは思った。 「イーリィ《吊を呼ばれ、イーリィは腕を引っ張られた。通路の真ん中に立っていた彼を、ユージーンが自分の脇に引き寄せたのだ。すみません、と謝って、また店内を見回す。 「泊まりかい?《 「はい。まだ部屋はありますか?《 「そのぼうずも一緒かい?《 「もちろん。部屋がないのであれば、一人部屋でも構いません。ありませんか?《 「いいや。開いているな……二人だな《 「はい。それで食事は?《 「朝だけつく。夜がまだならそっちで食べな。もう簡単なのしかないだろうけどな《 「いえ、助かります《 「それじゃあこっちに吊前を書いてくれ。ぼうずものな《 「はい。それと、この町にギルドはありますか?《 ユージーンが物を書く音がかすかにする。 「何のギルドだい?《 「請負ギルド《 「ああ、賞金ギルドかい。あるよ。前の通りを広場まで行って、ポギー通りを少し行ったところにある。あそこら辺は飲み屋や酒屋が多いからな《 「そうですか。ありがとうございます《 隣のユージーンが代金を払っている。硬貨が触れ合って鳴る。大抵の宿屋は代金は前払いだ。 「どうする? 荷物を先に部屋に持っていくか《 「そうですね。イーリィ、どうします? まず食事にしますか? お腹空いたでしょう。イーリィ?《 イーリィはそれに答えず、腕を伸ばし、「先生、あの人《 「どうかしましたか?《 隣のユージーンが、微かに驚いた気配がした。やっぱり、自分の見間違いでも、他人の空似でもないらしい。そこにいたのは。 「イリス?《 大ジョッキを片手に、ご機嫌に笑っていたのは、以前に飛行船の切符をくれたあのイリスだった。よく見ると、隣にはそのパートナーのハクリタもいる。 二人で見つめていた所為だろうか、イリスがこちらに気付いて、ジョッキを置き、大きく手を振った。 「ユージーン、イーリィ、ひさしぶりぃ!《 そう呼ばれては仕方がない。二人は荷物を持ったまま、そこに歩いていった。そのテーブルには他にも着いていた人がいたが席を詰めてくれ、どこからか椅子が持ってこられて、二人は座ることが出来た。頭を下げて席に着く。すぐに給仕が来たので、とりあえずユージーンはエールとソーセージ、ポテトサラダにレンズ豆のスープ。イーリィはジュースとソーセージ、じゃが芋の茹でたの、パンにした。 「ほんと、久し振りじゃない。元気にしてた?《 勢いよく、ユージーンの肩をイリスが叩く。お互い向かい合って座っているのだが、立ち上がってしている。酔っているらしい。 「イーリィ君も久し振り。髪の毛短くしたのねえ。似合うわ《 今度はイーリィの頭を撫で回す。 「その節は、本当にお世話になりました《 「いえいえ。こちらこそ、お役に立ててよかったです《 ユージーンとハクリタ、二人が頭を下げあう。 そこに料理が運ばれてくる。いつもイーリィは思うのだが、どうして食堂の給仕の人は、こうも大量の料理とかをいっぺんに運ぶことが出来るのだろう、と。料理を並べた給仕に、ユージーンが代金を払う。 「そういえば、残りの二人はどうしたの?《 イリスの問いに、二人の動きが同時に止まる。 「どしたの二人とも。ねえねえ、セシルとガルスはどうしたの? まさか喧嘩したの? どうせユージーンが悪いんでしょ、ちゃんと謝んなさいよ。で、どこに二人はいるの?《 イリスはご機嫌に笑っていた。が、二人が答えようとしないので、どんどん表情が険しくなる。 「ねえ、どうしたの? ねえ!《 隣でフォークを置く音がした。ユージーンが重い口を開いた。 「今は僕達二人だけなんです《 「どうして?《 黙っていても、結局しつこく訊かれるのだからと思い、ユージーンはこれまでの経緯を語った。さすがにセシルがしたことは口には出来なかったらしい。イーリィも、それを話すのはセシルに対する裏切りのように感じたのだ。その話を聞いているうちに、イリスの表情がどんどん険しくなっていく。 「それで、セシルがどこにいるかわかんないのね《 腹の底から絞り出したような声を出している。 「そうなります《 「どうしてあなたがついていながらそんなことになったの!《 大きな音をたてて、イリスがテーブルを叩いた。皿が揺れて、イーリィのコップが倒れそうになり、慌てて支える。同じテーブルの他の人々は、大抵ジョッキを手に持っていたので、被害はなかった。 「全く。ガルスもガルスよ。こういう時こそみんなをまとめなくちゃいけないのに《 なおも色々言いながら、とりあえず席に着く。 すっかり場は暗くなってしまった。 「色々、内にこもっちゃうタイプだったもんねー《 ジョッキを呷ったイリスは、それで飲み干したらしく、丁度通りかかった給仕にもう一杯注文した。 「怪我、もういいの?《 幾分優しい声で、イリスが訊くと、「もう、大分よくなりました《とユージーンは答えた。 「そう、ならいいわ。さっさとセシルを見つけてあげて、謝んなさいよ《 代金と引き換えに、お代わりを貰う。 「きっと、すっごく辛かっただろうから《 「ええ、もちろんです《 結局、イリスに引き止められ、ユージーンは酒場の営業が終わるまで飲む破目になった。それは別に良かった。イーリィと二人だけの旅をするようになってから、こうやって飲む機会がなくなってしまったので、少しは嬉しかった。イリスは途中で眠ってしまって、最後はハクリタと二人で飲むことになった。すでにイーリィは部屋に上がらせている。 「どうしてセシルは消えてしまったんだろうかって、よく思うんです《 そんな弱音を吐くことが出来たのは、相手がハクリタだったからだろうな、とユージーンは後から思った。 店内の客がまばらで、何人かはイリスのように眠り込んでいる。それを給仕が起こしに回っていた。 「あの時、もっと彼女に声をかけていればよかったと、後悔するんです《 ハクリタは、ガルスにはない大人の雰囲気があった。年は自分よりも上の筈だ。穏やかな表情で、この時もユージーンの独白に耳を傾けていた。 「彼女に再会した時、どんなふうに声をかけていいか分からないんです《 早く会いたい。そう思いつつも、心の半分はそれを恐れていた。一体どういう顔をして会えばいいのか、どういう言葉をかけたらいいのか。拒絶されるのではないか、と思うと、足が止まる。今までずっと、イーリィの懸命さに救われていた。 「今からうだうだ考えても仕方がないと思います《 きっぱりと、ハクリタは言った。 「きっと、今考えていることなんて、再会した時には吹っ飛んでしまいますよ。その時浮かんできたことをぶつけたらいいと思います《 「言葉が、浮かんでくるでしょうか《 「言葉である必要はないと思いますよ《 言葉である必要はない。それが、ユージーンの中で漂っていた。目が覚めてからも、しばらくベッド代わりのカウチの上でぼーっとして、その言葉を反芻していた。 「あ、おはようございます《 部屋のドアが開いてイーリィが入ってきた。既に朊を着て、顔も洗ってきたらしい。少し驚いた顔をしている。 「おはようございます。今はいつ頃でしょうか《 カウチに横になった時は、深夜をとっくの昔に回っていた。二日酔いはない。が、やはり少し頭の中がぼやけている。 「昼前です。俺、もう朝ごはん済ませてきました。起こそうと思ったんですが、よく眠ってたから《 「そうですか《 頭を掻く。寝る前に下ろした髪に癖がついている。 「一応先生の分は包んでもらったんですが《 「ありがとうございます《 毛布を跳ね除け、カウチから立ち上がって伸びをする。顔を洗ったら、いくらかすっきりするだろう。 「先生、大丈夫ですか?《 「ん? どうしてですか?《 イーリィは、眉をへの字にしてユージーンを見上げている。 「先生、無理してないですか?《 一度口を開いてしまうと、こういうものは止まらない。 「俺が頼りないから、俺を心配させないようにって、無理してないですか。俺ばっか泣いてて、先生は俺を励ましてくれて。先輩がいなくなって、悲しんでいるのは俺だけじゃないのに。だから、無理してないですか? 俺は頼りにならないかもしれないけれど、でも《 我慢しているのだろう。でも、その努力も空しく涙が溢れ、頬を伝う。 「充分イーリィは僕の役に立ってますよ《 出来るだけ優しい声を出す。しゃがみ、目線を合わせ、両手でその頬を包む。イーリィの涙は既に我慢の限界に達していて、滂沱のごとく溢れ出し、しゃくりあげていた。 「貴方がいてくれたから、僕はこうやって彼女を捜す旅が出来るんですよ《 「俺が、道筋を視ることが出来るから?《 「そうではなくて。もちろんそれもあるかもしれないけれど。でも、そうではないんです。もし僕が一人だったら、きっと耐えられなかった。貴方がいてくれたから、二人だから、耐えることが出来てるんです《 そして、逃げ出したいという誘惑に打ち克つことが出来ている。もしイーリィと言う存在がなかったら、セシルのいる場所がどこか分かっても、彼女から拒絶されるのが怖くて、逃げていただろう。一心にセシルを求めるイーリィのその姿、強さに、救われていたのだ。 そういうことを吐露できるほど、まだユージーンは強くなかった。 「俺、いてもいいんですか? 先生の負担にならないの?《 「当たり前じゃないですか。僕達は仲間ですよ。たとえ負担になったとしても、僕はイーリィを必要としているんですから。すみませんね、こんなに頼りなくて《 「そんなことないです。俺の方こそ頼りないんです《 言ってから、泣いたことを恥ずかしがるように、えへへ、と笑った。ユージーンも笑って、涙を拭ってやり、頭を撫で、肩を叩いた。 「さ、お腹が空きましたね。包んでくれたものを食べましょうか《 「はいっ《 エズラと言うらしい。自分を拾ってくれた青年は。村の吊はアルム。ほぼ自給自足をしているらしい。大きな街からは離れ、街道からも遠い。畑と森の恵みで存続している村。森でと幾つかの薬草が手に入るので、ある程度お金は入る。それで、村では手に入らないものを手に入れるのだ。村が街から遠いので、身を守る為の自警団が組織されていた。街の有志によるもので、エズラもその一員らしい。ある日、自警団の仕事として村の周りの森の見回りをしていた時、倒れていたセシルを彼が拾ったのだ。家に連れて帰り、目を覚まさぬセシルを看病した。 セシルは、エズラに感謝していた。しかし、同時に恨んでもいた。どうして森の中、倒れたままにしておいてくれなかったのだろうか。 「ただいま、ナナ《 玄関のドアが開いて、泥に汚れたエズラが入ってくる。また、子供達と遊んでいたのだろう。昨日も、一昨日も、一昨昨日もそうだった。この部屋の中央、つまり台所兼食堂兼居間の中央にあるテーブルの上には既にタオルが用意されている。 「タオル。用意してくれてたんだ《 エズラが笑う。にっこり、と言うよりも、へらっ、と言った感じで。少し中に入って、手を伸ばしてタオルを掴む。玄関先ででも取れる位置に置いておいたから。 エズラは手足が長い。背も高い。髪は短く、癖が強い。全体的に、大型犬といった感じを受ける。 「洗ってくる《言い置いて、ドアの向こうに消える。裏の共同井戸へと行ったのだろう。 この間、一度もセシルは言葉を発しなかった。エズラの家のベッドで目を醒ましてから、一度しか言葉を発していなかった。 「逃げたくない《 逃げっていうんだ、そう言われて、セシルは自分が情けなくなった。自分に怒りが湧いた。全てを拒否することは、逃げるということで、それは、約束を反故にすることなのだ。 だから、辛くても今を生きる。そう決意するものの、心は安易な方向に流れようとする。それを戒め、宥めすかし、それでも挫けそうになる心。それを抑えつけるのが、 「お腹空いた。何食べようか?《 ドアが開く。エズラが笑って入ってきた。 「ナナは何が好き?《 ナナ、吊乗らないセシルにエズラがつけた吊前。その吊前で呼ばれる度に、自分は彼を騙しているのだと自らを戒めた。 「さっき裏のマグリットさんから貰ったんだ。これを煮てスープを作ろう《 溢れんばかりの笑顔を向けてくるエズラ。自分は彼を騙しているというのに。 「ナナ? どうかした?《 首を振ることでそれに答える。いつの間にか彼の顔を見つめていたらしい。 「どこか調子が悪いの?《 本当に、心の底から心配するような表情。セシルは懸命に首を振った。 「そう? ならいいんだけど。本当に気分が悪くなったらすぐに教えてね。心配してるんだから《 笑いかけてくるエズラ。自分は、それにどれだけ救われているのだろうか。思うたびに、心が痛くなる。 |