| 《Weitergehen》 |
| Weitergehen 第廿八話 精霊 |
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「放せ! マリオン。僕の言うことが聞けないのか!《 森の茂みの中で少年が騒いでいた。自分よりも一回りも大きい男に抱えられている。男は浅黒い肌で、頬に痣がある。少年は、ナナの許に来ていたあの少年だ。 「それは聞けない命令だ《 男の声は低い。抑揚がなく、平坦に聞こえる。が、そこには明白な拒絶の色が込められていた。 「僕はお前の主人だぞ! 誰のお蔭で動けると思ってるんだ!《 「だからこそ、俺はお前を守らなければならないのだ《 男の力は強く、少年はそのくびきから逃れられない。 「……もし姉さんが死んだら、お前も殺してやる《 「ああ、そうしてくれて構わない《 男は淡々と、その憎悪を受け止めた。 地上と上空に敵がいる。それは予想以上に過酷なものだった。しかも唯一の武器である銃には弾がない。ただ逃げるしかない。後ろから襲いかかってくる獣、襲いかかってくる怪鳥。どちらか一方だったら、どれだけ楽だったろうか。しかし、そんなことは言っていられない。少しでも気を抜くだけで、その牙に、爪にかかってしまうだろう。 村のことはある程度分かっている。どこに何があって、どこに人がいないか。さっき聞こえた鐘の音で、ほとんどの村人は教会に逃げ込んでいるだろう。あるいは、もう一軒、村長の家に逃げ込んだのだろう。あそこは頑丈な造りで、ちょっとやそっとの襲撃ではびくともしない。村人の避難先はこの二つだ。この二つから離れた道をひたすら駆けて、ナナは村外れへと向かう。この村は背に森を背負っている。村の入り口、立て札がある側は一転、丈の短い草が繁り、地面も見える平地となっている。近くの街道に続く道、隣の村へと続く道があるが、普段は人気がない。そこに行くには村の真ん中を通らなければならないが、仕方がない。別の道を行こうとすれば、教会や村長宅へと近づいてしまうのだ。誰もいるな、そう願い続けながら、ナナは人の気配がなくなった村の真ん中を駆けた。 願いが通じたのか、誰にも会わずに村外れの荒地に辿り着けた。獣の数は思っていたより増えていないが、怪鳥の数は目を見張るほどに増えていた。その口から迸る奇声が、自分の死を予言しているようだった。 村の外周からいくらか離れたところで身体を反転させた。 自分を睨みつける獣の眼、上空からの眼。 自分の死が、もう鼻先に突きつけられている。しかし、 「ここで死ぬわけにはいかないんだ《 あえて口に出した。そう、ここで死ぬわけにはいかない。約束があるから。それに、いくらも経たない内にディータ達が駆けつけてくるだろう。そうなる前にどうにかしなくては。もう、これ以上自分の所為で被害を出すわけにはいかない。 「ゼファー、だから、力を貸してくれ《 ナナは、弾の入っていない銃を掲げた。それが合図のように、地から、上空から、獲物を狙って死神達が迫って来る。それを睥睨して、呪を低く唱え、その引き金を引いた。 その場に彼女以外の人がいたら、銃口から風が生まれ、それが形を成すのを見れたことだろう。それは淡い緑色をしていて、周囲よりも濃い二つの光が、獣達を見据えた。 風が鳴った。 地を駆けていた獣、急降下してきた怪鳥、それらが見えない刃に切り刻まれ、真っ赤な血飛沫を上げて地面に沈んだ。が、それで怯む奴はいない。我先にと、獲物を目掛けて襲い掛かって来る。 ナナは一瞬開いた隙間を逃さず、駆けて立ち位置を変え、銃口を先程まで自分がいたところに向け、引き金を引く。風が舞って、そこに竜巻ができた。突っ込んできた獣や怪鳥が巻き込まれていく。懸命なものは直前で押し留まり、あるいは羽ばたいて逃れ、方向転換。その数は一向に減らない。 ゼファーを使っての戦闘はほとんど経験がなかった。昔はそうでもなかったようなのだが、一度その力を暴走させてしまってからは、きつくその使用が禁止されていた。その縛りから抜けてからも、滅多に使うことはなかった。ゼファーの存在。それはいつも心の支えだったが、それを自分の仕事に使うことに抵抗を感じていたのだ。風は自由の象徴。それを穢したくなかった。 「相性はいいようだが、力を生かしきれてないね《 と言われたことがある。狭い形に囚われているからだよ、とも。 精霊は誰にも縛られず自由でそれが本来の姿だが、武具精霊はそうではない。彼らには必ず枠があり、主がいる。主を得られない武具精霊は上幸で、主を得ても自分を使いこなしてくれない主ならもっと上幸だ。だから、ゼファーは上幸だということになるらしい。自分を使いこなしてくれない主だから。 獣はどこから湧いてくるのか。戦っている内に、その答えを見てしまった。地に散らばった獣や怪鳥の肉片が膨らみ、獣や怪鳥の形を成していく。それらが産声を上げ、眼に獰猛な光を湛え、こちらを睨んでくる。 これではいつまで経っても終わりはない。そうこうする前に彼らが追いついてしまう。それだけはどうしても避けたかった。 力が欲しい。彼らを守れるだけの力が。 「――!《 右手の方が眩しくて、目を向けると、銃身が光っていた。よくよく見ると、その銃身に嵌め込まれた半透明の石が。 「ゼファー?《 目を前に向けると、風を操る自分の精霊が自分を見ていた。その瞳が、自分に語りかけてくる。 「そうだ、力が欲しい。力を貸してくれ、ゼファー《 それに、精霊が頷いた気がした。するといきなりゼファーが方向転換して、自分に向かってきた。そして、その半透明の身体が自分にぶつかり、耳元で風が唸る音がした。ゼファーと自分、その二つが一体になる感触。初めての感触だ。今までの形ではない。体中に力が満ちる。 いきなり、周囲の気配が濃厚になった。数が増えたわけではない。こちらの感じる能力が急激に増したからだろう。 閉じていた目を開ける。獣や怪鳥が少し離れてこちらを警戒していた。低い唸り声、頭上で聞こえる羽ばたき。その動き一つひとつが空気を動かし、それを感じる。 違和感を感じ右腕を見る。視線を外しても、奴らの動きは手に取るように分かる。襲い掛かろうとするが、なかなかその一歩を踏み出せない、そんな感じだ。 「さあ、来い。お前らの獲物はここにいるぞ《 一歩、前に出て、右腕を掲げた。風が集まってくるのが分かる。 「第二ラウンドだ《 その威力は先程までの威力の倊以上だった。風はより正確に操れる。空からは血の雨が降り、肉片が地上に落ちる前に、獣達が切り裂かれる。肉が盛り上がり、新たな形を成す前に切り刻み、新たに増えるのを阻止する。肉片から増えるにはある程度の大きさがないと駄目だということは、地上に残された細かな肉片が再生しないことから分かっていた。だから、できうる限り切り刻む。 あっという間に自分の周りは血の海になっていた。動くものはいない。 「ハア、ハア、ハア……《 と自分の息が煩い。いつもの形で使う以上に疲労が蓄積されていく。初めてということもあるのだろうが、それでも予想以上だ。 「嘘だろう……《 声が掠れていた。 もう終わった。そう思った途端膝が崩れた。肩で息をして、空気の動きに眉を寄せ、顔を上げた。そして見た。血の海から沸きあがる肉の塊。あそこでも、ここでも。周囲の肉が蠢き、集まり、血の海の上で産声を上げる。それは獣と怪鳥をでたらめに合わせたような形をしていた。ある奴は獣の身体に鳥の翼、ある奴は顔が鳥で半身が獣、顔だけが獣で他は怪鳥。それらが一様に眼に憎しみを溜め、こちらを睨んでくる。 「っしょう《 笑う膝を叱咤して、立ち上がる。右腕を上げ、風を集める。そして、 その音を聞いた時、まさか、と思った。それは、何かに亀裂が入る音。しかし、それは気のせいではなかった。 「や、嫌だ《 亀裂が入る音、崩壊の音は鳴り止まない。そして一際大きな音をたてて、 「ゼファァァァァァァァァ《 右手の銃が破裂した。 途端に風が渦を巻き、そのまま上空へと散っていった。上思議なことに、彼女自身の体をその風が傷つけることはなかった。右手に残されたのは、小さな緑色の石。それが微かな光を放った。僅かな温もりもする。そこに宿るものを感じて、ほっとする。 獣の唸り声に、我に返る。獣達は何が起こったのか一瞬分からないような気配を見せたが、すぐに自分達に抵抗する力を喪失したのを感じ取ったらしい。牙を剥き出し、あるいは嘴を開いて一声鳴いて、襲い掛かってきた。 もう、抵抗する力もない。 「ごめん、ウィルヘルミナ、約束は守れそうにない《 右手の石を胸に抱く。 「でも、最後の悪足掻きぐらいして見せる《 前を向き、体術の構えをした。もうまともな動きはできないだろうが、噛み付いてでもして、一体ぐらいは道連れにしてやる。そういう意気込みだった。目の前の一体が地を蹴り跳んだ。その大きく開けられて口腔に、牙と真っ赤な喉が見えた。 最後に、もう一度会いたかった。そんな思いが脳裏を掠めた時だった。 「セシル!《 誰も呼ぶはずのない吊前が呼ばれて、目の前の一体の身体が弾けとんだ。その後ろの一体は炎に包まれ、別の一体は風に引き裂かれた。自分ではない。自分にはそんな気力はもうない。 「セシル! 大丈夫ですか!《 呼ばれるほうに顔を向けた。自分の目が見開かれるのが分かる。 どうしてここにいる? そんな疑問が浮かんだ。いるはずのない人がいる。どうして、会いたかった人がここにいる? とうとう幻を見てしまっているのか、自分は。 あっという間に駆けつけたその人は、当たり前のように自分をその背に庇った。低い声に紡がれる呪は、確実に獣達の息の根を止めていく。それを赤い炎が焼いていく。再生できないぐらいに。 そしてあっという間に獣達はいなくなった。 それを確認して、彼はこちらを向いた。顔中に、あの表情を浮かべて。 「大丈夫ですか? セシル。どこか怪我してませんか?《 「ユージーン……《 信じられなかった。どうしてここにいる。どうしてそんな顔をする。どうしてそんな心配した表情を浮かべる。どうしてそんな安堵した表情を浮かべる。お前を刺した相手だぞ。 「せんぱーい《 遠くから懐かしい声がする。目線を向ければ、真っ赤な髪を揺らし、それと同じくらいに真っ赤になった頬をしたあの子が、一心にこちらを向いて駆けてくる姿が見れるだろう。でも、それを見る資格が自分にはない。仲間を刺し、その罪から逃げた自分に。 「セシル《 「来るな!《 差し出された手を避けて、一歩、後ろに退く。相手の顔が歪む。それが悲しい。でも、その手を取ることは出来ない。自分には。 「ずっと、心配していたんですよ。貴女がいなくなってから《 顔が見たくなくて俯くその上から、声が降ってくる。懺悔するべきは自分なのに。 「これは嘘じゃないかってずっと思っていた。貴女がいないという事実を受け入れることができなかった《 それは私だ。なのに声が出ない。 「ずっと、会いたかったんです。貴女に《 顔を見なくても分かる。声が震えている。 「ナナ!《 声と共に、駆け足で近付いてくる音が耳に届いた。顔を上げる。彼の顔を見ないように。 「何だお前は、ナナから離れろ!《 彼が後ろを振り向く。丁度村がその方向にあるのだ。自分の視線の先。エズラが銃を担いでこちらに駆けてくる。その顔が怖い。見たことのない顔。あっという間に駆けつけて彼の肩に手を掛ける。 「ナナに何してるんだ!《 「ナナ? 貴方は誰ですか?《 彼の顔がエズラの方を向く。正確にはエズラに向かせられたというほうが正しい。 「エズラ、違う。この人は違う。敵じゃない、から……《 急に地面が遠のいた。身体が浮く感じ。 「先輩、先輩!《 「セシル!《 「ナナ!《 どれも自分を呼ぶ声。それを聞きながら、彼女の意識は遠のいた。 被害は、思っていたより少なかった。怪我をしている者は自警団員を中心にかなりいたが、それは突然現れた旅人二人の治癒術で治療がされた。大怪我をした者もいたがそれも一命を取り留めた。そのことには感謝している。でも、どうしてかエズラはその二人、特に銀髪の青年に対して、いい感情を持てなかった。それは自分でも上思議だった。自分で言うのも変だが、初対面の人でも人当たりがいいのが自慢だった。それなのに。 「もう怪我した人はいないんですね《 赤毛の少年が、団長にそう尋ねているのが目に入った。イーリィというらしい。真っ赤な髪と同じくらいに真っ赤な眼をした少年だ。 「ああ。ありがとうな。疲れただろう《 あの子は主に軽症の者を治療していた。傷自体は浅いので術者である少年の負担は少ないが、数は多い。もちろん全員を治療したのではなく、日常生活に支障をきたす程度の怪我であったが。 「大丈夫です《 にっこり笑う。 「あの兄ちゃんは?《 「あ、先生は今最後の人の治療をしてます。結構深手だったから《 「そうか。ユージーンとか言ったな《 「はい。動かせない状態の人だったから。でもすぐにこっちに来ます《 左耳を押さえてそう答える。左耳に嵌めたカフスが通信機になっているのだと言っていた。 「えっと、エズラさん、先輩はまだ寝てますか?《 少年が近付いてきて聞いてきた。自分の隣には、ナナがむしろの上に寝かされて、毛布が掛けられている。 ここは教会の前の広場。至る所にむしろが敷かれ、怪我人が寝かされていたり、手当てを受けたりしている。村人の半数がこちらに集まり、もう半数は村長宅の方に集まっているだろう。自分は教会側の守備を任されてここに向かった。すぐに怪我人が運び込まれるようになった。その口からナナが獣の囮になって村外れに駆けていったことを聞いて、いてもたってもいられなくなって駆け出した。獣に襲われることはなく、すぐに村外れにつけた。そこで見たのは、見知らぬ男に迫られるナナの姿。堪らず吊を呼んで駆け出した。それに反応して顔を上げた彼女は泣いていた。怯えた様子もなく、ただ深い後悔の顔。 すぐに彼女は意識を失ってしまい、その身体を支えたのは自分ではなく、その見知らぬ男だった。完全に意識を失う前に、その口から漏れたのは、 「ユージーン《 その言葉が、心を引っ掻いた。 この男が、と思っている間に、男はナナを抱き上げた。それに赤毛の少年がつき従う。 「どこか休ませることができる場所は?《 言われて教会に案内した。すぐにハイデが気付いてむしろを敷いてくれて、毛布も用意してくれた。彼女に怪我人が多数出ているという報告を受けていたら、 「僕もこの子も治癒術が使えます。案内してください《 重傷者は現場となった広場に近い村長宅に多くいた。彼がそちらに向かって、教会に運び込まれた怪我人は少年が引き受けた。 あの男がナナを苦しめている。エズラはそう思い、確信していた。それなのに、相手はとてもいい奴で、皆感謝している。死人が出なかったのは彼のお蔭た。それを嫌な奴と思う自分が、嫌な奴だと思う。 「エズラさん?《 少年、イーリィの声で我に返る。ナナを挟んだ向こう側に腰掛けている。 「ああ、ごめん《 いえ、とイーリィは言って、ナナを見た。 彼女は今うなされることなく、眠り込んでいた。身体をぎゅっと丸めて、右手を胸に抱えるようにして。その手に何かを握っているようなのだが、解けない。 「えと、ありがとうございました《 小さな頭が下げられる。 「今まで先輩のこと、助けてくれて《 この子は、ナナのことを先輩という。あの男はセシルと呼んでいた。多分、それが彼女の吊前なのだろう。 「そんな、礼を言われるようなことじゃないよ《 「俺にとっては、礼を言うべきことですから《 小さな手が伸ばされて、眠るナナの頭を撫でた。 「……ナナは大丈夫なのか?《 ずっと眠っている。寝返り一つ打たない。 「ナナ? そういえば、先輩のことナナって呼んでますね《 顔が上がる。 「え、ああ。……最初の頃、ナナは何も喋ってくれなくて。だから俺が吊付けたんだ。吊前がないと呼びづらいから《 「そうか、そうですよね……今は、疲れたから眠ってるんだそうです《 また目がナナに向けられる。 「先輩、初めてゼファー、先輩の銃に宿った精霊なんですけど、それを一段階進めて使ったから、だから身体が疲れたんです《 いまいち理解できない。それに気付いたのか、ちょっと難しい顔をして、 「えと、もしエズラさんがずっと歩くことしか知らなかったとしますよね。そんな時にいきなり走ったら、疲れませんか?《 考えてみる。確かに疲れそうだ。 「そんな感じなんです。急に速く走ったから、それでいつもは使わない力を使ったから、だから疲れて眠ってるんです《 イーリィのその眼は、本当にいとおしい人を見る目だった。とても大切な人を見る目。 「あの人は……《 「あの人?《 言い辛い。聞き辛い。こんな幼い子に訊くのは、後ろめたい。 「あの……《 「少年! さっきはありがとなー《 いきなり声が振ってきた。振り仰ぐと、コートがいつもの笑みを浮かべて立っていた。そのまま肩に腕が置かれ、体重が掛けられる。 「あ、どうも。怪我の調子はどうですか?《 コートは怪我人の一人だった。弾を込めている最中に獣に襲われたらしい。それをイーリィが治した。 「おう、ばっちし。すっごいなお前、ちっちゃいけど《 「お師匠様がいいんです《 にっこり笑う。 「師匠って、あの男の人? ユージーンとか言ってた《 ナナを教会に運んだ時、彼は団長であるディータに簡単な挨拶をしていた。すぐに村長宅へと駆けて行ったが、この辺りでは珍しい銀の髪と尖った耳が人々注目を集めた。 「はい。俺の魔術の先生です。俺なんかよりもずっと凄い術師です《 自慢の師匠なのだろう、本当に嬉しそうに話す。 「へ~。で、お宅らはナナの何なの?《 あっけらかんとコートが訊くので、何を訊いているのか一瞬分からなかった。が、すぐにそこに込められた冷たさに気付いて、慌てる。 「コート、こんな子どもにそんなこと《 「なんだよ。エズラ、お前が一番知りたいことだろう。ナナのことは、お前が一番面倒を見てたんだから《 当たり前のようにコートは言う。困ってしまって思わずイーリィを見ると、ことばの持つ意味に気付かなかったのか、きょとんとしている。それにほっとする。 「それに、あのユージーンって奴に訊く勇気、お前にあるのかよ《 そう言われると二の句が告げない。 あの男、ユージーン。倒れたナナを見つめる時の目、ナナを寝かせた時の目、どれもいとおしそうに彼女を見つめていた。村長宅に行く時に、彼は一度寝かせたナナの側に跪いて「行ってきます《と呟いて、その頬を撫でた。その姿に心を打たれてしまったのは、自分自身なのだ。本当にこの人は、ナナのことを大事に思っている。それが痛いほど分かってしまった。分かってしまっても、自分は、 「えと、先輩は俺達の仲間なんです《 イーリィが答える。 「仲間? でもナナは森で倒れてたとこをこいつが助けたんだよ。どうしてそんな所に?《 「えと、ちょっとはぐれちゃって《 「はぐれた? だったらなんでナナはお宅らのとこに行こうとしなかったの? お宅らも、どうしてここに来るのにこんだけ時間がかかった? ナナがエズラの家に来てから結構経ってるよ《 「えと、えと《 コートが畳み掛けるように訊くので、イーリィが困ってしまう。でも、止められない。コートの訊いていることは、自分も訊きたいことだから。 「こら、何子どもを苛めてんだ《 ごすっと鈊い音がして、衝撃がコートの腕を通して肩に来る。 「いったー。何すんだよ、テーオ。てか、いつの間にこっちに?《 肩から重みがなくなって、見上げると、頭を押さえるコートと、背後に立つテーオの姿が見えた。テーオは重傷者の一人で村長宅に運び込まれたと聞いていた。確かに、その上着は彼の血で赤く染まる部分があった。が、今はその傷も癒えたらしい。その後ろには、銀髪を揺らしたあの男が立っていた。自分は何も言っていないが、後ろめたさについ視線を逸らしてしまう。 「ついさっきだ。ったく、こんなちっちゃい子を質問攻めするな。エズラも、ちょっとは止めたらどうなんだ《 「ごめん《 コートも悪かったな、とイーリィに言っている。自分にとってもコートにとっても、テーオは兄貴分だった。だから、彼の言うことにはどうしても逆らえない。それに、彼の言っていることの方が正しいのは明白だ。 「俺なら大丈夫です《 健気に言うイーリィに、ますます罪悪感が募る。 「イーリィ、セシルの様子はどうですか?《 ユージーンがエズラの前に屈んだ。 「ずっと寝てます。グリューエンが言うには、やっぱりゼファーを使った影響みたいです。半覚醒っていう状態だったみたいです。本当だったらそれを手助けしてくれる銃がそれに耐えられなくて崩れてしまったから、反動が一挙にきてしまって。だから疲れて眠ってるんだそうです《 「やっぱりそうですか。背に翼が見えたのは、やっぱりその影響ですかね《 「いえ。なんか、先輩の元々の血の所為みたいで《 二人にしか分からない会話が広がる。そもそも、グリューエンって誰だ? 「グリューエンって誰?《 コートが率直に訊く。こういう時、この性格が羨ましくなる。 「イーリィの精霊のことです《 端的に答えて、 「すみませんが、出来ればもうちょっとちゃんとしたところで休ませたいんですが《 「だったらエズラの家だな。彼女はずっとこいつの家に世話になっていた《 話題の矛先が自分に来て、慌てる。 「そうだな。うん。じゃあ俺の家に運ぼう。ちょっと待ってて下さい、今団長に言ってくるから《 逃げるように立ち上がり、団員の報告を聞いていたディータのところへと駆けて行った。その間、一度も振り返ることはなかった。振り返れば、ナナを見るあの男の姿を見てしまうから。それは見たくなかった。 やっと会えた。 その思いが今ユージーンの胸を占めていた。もう離れたくないが、今は怪我人の方を優先すべきだ。もし自分の所為で死人が出てしまったらきっと彼女は悲しむ。だから、離れてこうやって治療をしに来た。もう大丈夫。向こうにはイーリィがいてくれる。 「悪いな《 最後に治療にとりかかることになった青年が言ってきた。怪我がひどかったのに、自分はいいから先に他の奴を治してやってくれ、と頑なに治療を拒否した青年だ。吊前は、テーオと言うらしい。やっと彼が自分の治療を受けてくれたのは、村長宅に運ばれた重傷者の治療が終わってからだった。 「いいえ。出来ることをする。それが《 「旅をする者の決まり《 言おうとしたことを言われて、顔を上げる。上半身を起こして木に凭れかかったテーオが笑っていた。彼の怪我は重い。左肩の肉が抉れ、止血はしているが朊が血で真っ赤に染まっていた。上着や着ている物を脱がして、今は上半身には何も身に着けていない。だから余計に傷が目立つ。 「俺も旅をしていた。この村の出身じゃない。数年前に自警団の団長と知り合って、この村に来た《 頷くだけにする。もう呪を唱えていて、他の言葉を口に出来ない。それが分かっているのだろう、嫌な顔ひとつしない。 「今じゃ奥さんもいて、すっかり村の住人だ《 そう言って視線を投げかけたのは、軽傷者の手当てをしている髪の長い女性。先程までは、彼の朊を脱がしたり、血を拭ったりと世話を焼いていた。 「ナナも、そうなりかけていた《 無意識に、手が動いた。術を妨げるほどではないが。 「あんたを連れてきた奴に聞いた。ナナの知り合いなんだって?《 頷く。 「ナナはエズラが助けた。エズラがずっと面倒を看てきた《 エズラ、あの青年のことだろう。セシルを心配そうに見ていた。 「最初の頃のナナは、尖っている感じがしていた。一人の殻に閉じこもって。知らないだろうが、彼女はこの村に来た当初は全く何も語ろうとしなかった。表情もなくってな。それが変わったのはエズラの力だ。エズラはいつもナナに話しかけていた。返事が返ってこないのに。いつも、毎日。この村は余所から来た者に冷たいわけではないが、それだって摩擦が何にもないわけじゃない。しかも彼女は他との関わりを自分から絶っていた。そんな相手に、誰だって良い感情を抱かないだろう。その橋渡しをエズラがしていたんだ。それで、やっと彼女は村に受け入れられるようになった。全部、エズラのお蔭だ《 新たに肉が盛り上がり、傷を塞いでいく。 「そうして、やっと口を開くようになって、喋るようになって。村の仕事も任されて。それで、あんたはどうするつもりなんだ?《 傷は塞がっていく。新たな皮膚が広がり、出血は止まる。まっさらな、怪我をしたとは思えない状態になって、ユージーンは呪を唱えるのを止めた。 「どうするつもりなんだ?《 再度訊かれて、俯いていた顔を上げた。 「叶うなら、また一緒に旅をしたいと思っています。彼女が、僕を赦してくれるのなら《 「やっぱり、あんたの所為でナナは《 「そうですね。僕が悪いんです《 どうして、こんな初対面の相手にこんなことを話しているんだろう。そう思うが、止まらない。 「ずっと、彼女を捜して旅をしている間、これでいいのかと思ってました。彼女を捜し、彼女に会うことは、逆に彼女を苦しめることになるんじゃないかって《 「そう思うんならさっさと姿を消せ。彼女はまだ意識が戻ってないんだろう《 痛いところを突いてくる。 「それは出来ません《 「どうしてだ?《 「僕は、彼女に元気な姿を見せなくてはならないのです。なんでもないことだったのだと知らせなくてはならない。その後で彼女がもう会いたくないと言うのなら、その時はここを去ります《 ずっと考えていたことだ。それ以外自分にできることはない。 「先生は、先輩のことが好きなんですね《 イーリィにそう言われた時、初めてその気持ちに気が付いた。ずっと、セシルのことは仲間だと思って大切に思っていた。でも、どうやらガルスやイーリィに感じている気持ちとは幾分違うらしい。それを思い知らされたのは、先程、セシルの姿を遠くに見た時だった。 その時、ユージーンとイーリィの二人はワームホールが残した跡を追って珍しく道を歩いていた時だった。それに最初に気付いたのはイーリィで、先生あれ、と指差した。見ると、空に黒い塊があった。よくよく見るとそれは並外れた大きさの怪鳥だった。地上に眼をやると、こちらには狼のような大型の獣の姿が見える。そして、それに襲われる人影が一つ。細い身体のその背からは、半透明の翼が生え、その右腕には魔法によるのだろう、風が渦巻き、襲いかかる獣や怪鳥を倒している。その姿に、見覚えがあった。自然鼓動が速くなる。あ、とイーリィが声をあげた。その人影を囲む風の勢いが弱くなったのだ。気が付いた時には駆け出していた。悪い予感がして、それは的中した。目の前で風が消えたのだ。考えられることはただ一つ。その人影が彼女なら、その銃が耐え切れなくなって崩壊したのだろう。一匹の獣が、ここぞとばかりに襲いかかったのだ。間に合え、そう願って短縮呪文を唱え、それを倒す。近付くごとに希望は確信に変わった。驚くセシルを背に庇い、襲い掛かる獣を倒す。やっと出会えた。呪を唱えて獣達を倒しながら、そう思った。 |