| 《Weitergehen》 |
| Weitergehen 第三十一話 一日 |
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思わず笑ってしまったセシルを、イーリィが上思議そうな顔をして見た。 太陽が真上に来つつある時刻、教会の前にむしろを敷いて、セシルとイーリィが籠を編んでいた。ついこの前まであの少年がいたところに、イーリィが座って籠と悪戦苦闘している。その姿があの時想像したのと全く同じで、セシルは吹き出してしまったのだ。 なんでもないと言って作業に戻る。首を傾げたが、すぐにイーリィも作業に戻った。 化け物騒動から二日。昨日はイーリィが行方上明になって焦ったが、今日は朝から一緒に籠編みをしている。 昨日、イーリィがいなくなったと女将に聞いた時は血の気が引いた。もしかしたら化け物に襲われたのかもしれないと動揺した自分とは対照的に、ユージーンは酷く落ち着いていた。 「大抵のことには対処できますよ《 と言って、右往左往する人々――セシルも含めて――を落ち着かせようとまでした。 「本当に大丈夫なのか?《 と訊くセシルに、 「大丈夫ですよ。ほら、何かあったら通信機があるし、それに、彼を何よりも守るグリューエンがいるし、ね。イーリィを信じましょう《 その言葉には、セシルも黙るより他なかった。 結局、昼過ぎにエズラが森から出てくるイーリィを見つけた。が、それまで何をしていたか、イーリィは全く語ろうとしない。聞きたい気持ちはあるが、無理矢理聞くのはどうかとも思う。子ども子どもだと言っても、イーリィはすでに一個の人格を持っているのだ。それなのに無理に聞き出すことは、その人格を否定することでもある。言いたいのなら言うだろうし、言いにくいことなら、こちらがいつでも聞く準備があるという態度をとれば話してくれる。根掘り葉掘り訊くことは、結局は相手が何もできない力のない子どもだと思っているからすることなのだ。 「先生のほうはどうなってるんでしょうか《 イーリィの言葉に、思考がこちらに引き戻される。 ユージーンは、今は広場で祭の準備を手伝っていた。化け物騒ぎの所為で矢倉や飾り付けが壊されてしまったので、その修復の手伝いをしているのだ。 「じゃあ、様子見も兼ねてお昼ご飯を食べに行こうか《 「はいっ《 お弁当は四人分。セシルが早起きして作った。自分とイーリィ、ユージーンとエズラの分だ。ユージーンもだが、エズラを含む自警団の面々も、今日は半数が手伝いを、半数は見回りに出ていた。 「昨日はよく眠れたか?《 手をつなぎ、お弁当の入ったバスケットを下げて広場へと向かう道すがら、イーリィに訊く。セシルは変わらずエズラの家に世話になっているが、イーリィとユージーンの二人は宿に部屋を取っている。ただし、女将の好意でタダとなっている。 「はいっ《 「一人部屋と聞いたが、大丈夫か?《 イーリィのこととなると、ついつい心配性となってしまう。いけないと思いつつも、なかなか自制できない自分がいる。今まで離れていたから余計なのかもしれない。 「大丈夫ですよ。一人で寝られます。それにグリューエンだっているし《 「そうだな、うん《 そう言われると、何故か寂しくなる気持ちがわいた。 広場では、既に婦人や娘達によって昼食が配られていた。広場の隅に竃が作られていて、大鍋がかけられている。そこで作ったスープと、家で作られたであろうパンが、作業をしていた男達に配られている。 「昼休みみたいだな。丁度良かった《 広場を見回しながらセシルは呟いた。 「結構完成してますね《 と、広場を見回したイーリィが言う。確かにそうだ。中央の矢倉はほぼ九割完成しており、周囲に立てられた柱の間には紐が渡され、飾りが吊るされている。奥には祭壇が拵えられていて、多分あそこにセシルの作った籠が、供え物で一杯にして置かれるのだろう。 「さて、ユージーンとエズラはどこだろうか……《 「あ、あそこじゃないですか《 イーリィが指差したのは、大鍋の近くだった。顔を向けるたセシルは、かけようとした言葉を飲み込んだ。 「え、え~とぉ……《 イーリィがどう言おうかと迷っているのが伝わってくる。が、それに気遣う言葉をかける余裕が、この時セシルにはなかった。目はユージーンに向けられている。年頃の娘達に囲まれたユージーンに。 お玉を傾げているところを見ると、スープの味見でもしていたのか、あるいは仕上げなどを手伝ったのかもしれない。元々料理が好きなことは知っている。郷土料理に興味が湧いたのかもしれない。 だがしかし。 ユージーンを取り囲む娘達は、頬を微かに染めている。 ユージーンはそんな娘達に笑顔を振りまいている――ようにセシルには見えた。実際は、いつもユージーンは微笑を絶やさないだけなのだが。 何故か、それを見ているとちょっとむかついた。 「ナナ!《 吊を呼ばれて振り向くと、鼻の頭を黒くしたエズラが駆け寄ってきた。多分汚れた手で掻いたのだろう。 「どうしたの? 難しい顔して《 「なんでもない《 「変だよ《 「それよりも、昼ご飯《 手にしたバスケットを示す。中身はサンドイッチとサラダ。サンドイッチの具には薄切りにしたソーセージと玉葱を炒めたものを。サラダはレタスと林檎の薄切り、じゃが芋を茹でて潰したのを混ぜたものにレモン汁と果実油でアクセントをつけている。 結構両方とも自信作だったりする。 「さあ食べようか《 「先輩、先生は?《 ぎゅ、と手を握ってイーリィが言ってくる。 「あいつは……《 言い淀んでいると、また吊を呼ばれた。見ると、やっとこちらに気付いたらしいユージーンが手を振っている。残念そうな表情を浮かべる娘達に何かを言って、こちらに駆けてくる。 「来てるんなら声を掛けてくれればいいのに《 にこにこと笑っている顔を見ると、意地悪な気持ちになった。 「娘さん達と楽しそうに喋っていたから、邪魔してはいけないと思ったんだ《 「そうですか? でも、僕はセシルといる時が一番楽しいんですよ?《 「な、何をいきなり!《 「本当のことですから。お弁当、用意してくれたんですよね。早く食べましょう。楽しみにしてたんです《 もう何も言えなくなって、エズラが準備しておいてくれた場所に移動した。 その間、何故かユージーンの顔をまともに見れなかった。自分でも変だとセシルは思ったが、どうしてこうなのかが全く分からなかった。 むしろが敷かれたそこには、既にコートとテーオが座っていた。その前にはバスケット。その二人の持つコップに瓶のエールを注ぐのは、テーオの奥さんであるモーリン。ということは、バスケットの中身を用意したのも彼女だろう。 「座ってください。皆さんのコップもちゃんと用意してますから《 素焼きのカップが、人数分並べられている。スープの入った皿も人数分あった。 「ありがとうございます《 と言いながらむしろに座る。 「お弁当は何ですか? セシル《 イーリィを挟んで並んで座ったユージーンが訊いてくる。 「サンドイッチとサラダ《 何故かつっけんどんになってしまう。 いけないいけないと思うのだが、止まらない。 「……何かあったんですか?《 とユージーンがイーリィに訊くのが聞こえてしまった。 「さあ……《 とイーリィは答えるのもしっかり聞こえた。 ちょっと自己嫌悪。 「美味しいかどうかは保障しないからな《 つい口調が乱暴になってしまう。 バスケットからサンドイッチを詰めた籠編みの弁当箱と、サラダをを盛りつけたボウルを包んだ布包みを出す。隣のイーリィが身を乗り出した。注目を集めていることに心持ち緊張しつつ、弁当箱の蓋を開け、包みを解いてボウルの蓋を外した。 「わ、美味しそう。食べてもいいですか?《 「これで手を拭いてからにして下さいね《 手を出そうとしたイーリィに、モーリンが手拭を手渡した。いそいそとイーリィはそれで手を拭い、いただきます、と元気よく言ってサンドイッチを手にした。大きく口を開けてサンドイッチにかぶりつく。 隣ではユージーンも同じようにサンドイッチを口にした。もちろんエズラも。 で、上がる歓声。 「美味しいです、先輩《 「そうか? よかった《 ほっとして、自分もサンドイッチに手を伸ばす。 「ねえねえ、俺も食べていい?《 物欲しげなコートの言葉に、何故か一同、笑いが込み上げた。 「ユージーンさんのことが心配?《 「え?《 食事が終わり、モーリンと食器などを洗っている時にそんなことを訊かれた。思いもよらない言葉に、セシルは大鍋を洗っていた手を止めた。 広場の外れにある井戸の側。他にも洗い物をする者はいるが、大鍋を洗うのはセシルとモーリンだけ。会話は二人の間で完結する。 「大鍋のところでカタリーナ達と話してたユージーンさんをすごい顔で睨んでた《 笑みを含んだ言葉に、その時の自分が酷く情けなくなる。 「それ本当ですか?《 「本当よ。隣でイーリィ君、怯えてた《 どんどん自己嫌悪の海に沈んでいく。 「ああ、まって。そう落ち込まないで。ナナちゃんを苛めたかったんじゃないの。私は励ましたかったの《 モーリンは一気に言うと、 「私はね、ナナちゃんを励ましたかったの。ほんとよ。だって、私にも覚えのあることだから《 笑う。眉尻を下げた独特の笑顔。まるで困っているような笑顔。刺々しかった心が穏やかになっていく。さすがテーオの奥さんだとこの時セシルは思った。旅の傭兵が一つ処に留まるのは難しい、それを可能にさせた笑顔。テーオが好きになった理由が分かる。 「私もね、テーオが他の可愛い女の子とはなしているのを見て、むか、ときてたことがあったの。まだ出会って間もない頃、結婚する前のことよ。むかってきて、テーオに対してイヤーな態度をとってた。そんな自分が嫌だなーって思ってるのに。だからね、何とのなく分かっちゃうの。ナナちゃんも同じような気持ちなんじゃないかなって《 いつも朗らかなモーリンがむかっときている場面なんて、いまいち想像できない。そんなことを思っていたセシルは、次の言葉に目を丸くした。 「ナナちゃんも、ユージーンさんが他の女の子にとられちゃうと思って心穏やかじゃなかったんじゃないかなあ《 言葉が何も浮かんでこなかった。何も言えないでいると、どう? とモーリンが首を傾げた。 「と、とられるっていうか……ユージーンは物じゃないし《 何故か、鼓動が速くなる。 「そうね、そうね。じゃあねえ、自分じゃない子と、楽しく、仲良くお話してると、嫌だって思わない? その子よりも自分とお喋りしてって《 「……そ、そうかもしれない……《 モーリンは満足そうに笑う。 「い、いけないことだとは分かってる。だって、ユージーンはユージーンだ。ユージーンにはしたいようにする権利があって、それを私がとやかく言う権利なんてない。だけど……《 だけど、自分の側にいて欲しい。それは、どこまでいっても我儘だ。 「いいのいいの。独占欲。それは人にあって当たり前だもの。赤ん坊は母親、育てば友人、そして、年頃になっては恋人、あるいは伴侶がその対象。一緒にいて欲しい、その気持ちが人をつなげるのよ《 「でも、ユージーンは仲間だし……《 「そうね、そうね。仲間だけど、特別な仲間でしょ。離れていたから余計に、側にいたいという気持ちは強いんじゃないかな《 そうなのだろうか。 「その気持ちは、感じてもいいの。側にいて欲しい、って思ってていいの。それを時には相手に喋ってもいいの。相手を何から何まで支配してしまうことは、もちろんダメなことだけど。でもね、側にいて欲しいって願いを言うのはいいことなのよ。自分の気持ちを外に出さないで、内に閉じ込めてばっかりじゃ、いつか心が壊れてしまうもの《 そう言って、モーリンは晴れやかに笑うのだった。 ユージーンはもてた。 この辺りでは珍しい抜けるような白い膚、さらさらの銀にも見える灰色の髪、すらりと細い四肢、そして何より、鼻筋の通った優美な容姿。声は低く、人を落ち着ける優しさに満ちたもの。常に微笑を絶やさず、言葉遣いも丁寧。しかしそれ故に、見た目からはひ弱に見えるのだがそうではない。男二人がやっと持ち上げられる丸太を一人で持ち上げるほどの力の持ち主。加えて、時折垣間見せる聡明さ。 まるで女の理想を体現しているような男。 「もてるはずだよなー《 コートが作業の手を休めて、丸太を運ぶユージーンと、それを遠巻きに見る娘達を見て呟いた。彼女達は熱い視線をユージーンに向けるが、彼はまるで意に介していない。ついに娘達の母親が、飾り付けの手を休めるんじゃないよ、とからかい半分叱って、やっと彼女達の目はユージーンから離れることになった。 「ここら辺の男って、野暮ったい奴が多いもんな~。上公平だよな~《 「ぶつくさいってないで手を動かせよ。今日中に組み上げなくちゃいけないんだから《 エズラが呆れて言った。 エズラとコートに任せられたのは、篝を載せるための脚を組み立てることだった。鉄製の篝と薪を合わせるとかなりの重さになる。それを支えるのだから、結構しっかりと作らないといけない。 「エズラだって思うだろ。俺にだって、せめてあの長い手足があったなら……《 「なんだ、振られたのか?《 図星だったらしい。ぴたっとコートが口を閉じた。 「……えーと……まあ、縁がなかったってことだろ。ほら、その子にはお前の良さがわかんなかったんだって。いつかいい子が見つかるよ《 月並みの言葉しか浮かんでこない。コートは惚れやすい性質だが、まだそれが叶ったことはない。いつも振られるか、別に好きな人がいたか、相手がいるかのどれかだ。もう毎度のことなので、誰も進んで慰めようとせず、結局いつもエズラが慰め役になっている。 「彼氏がいたんだ。出稼ぎに出てて。もうすぐ帰ってくる。帰ってきたら結婚式だって《 「そ、そう……《 「上思議だったんだ。あんな可愛くて器量よしな子が独りなんて。でもまあ、あの子が幸せだったら俺は別にいいんだけど《 「うんうん《 ここがコートのいいところだった。どんなに振られても、自分の良さがわかんないなんて、などとほざくことはない。いつも、相手が幸せだったらそれでいい、と笑える強さを持っていた。みんなそれに甘えているのだ、とエズラは思う。自分が幸せにしてやる、と息巻く奴よりも、一歩引いて、相手が幸せならそれでいいと言える奴のほうがいい男に決まっている。いつかきっと、そんなコートの強さを分かってくれる子が見つかるといいな、とエズラは思うのだった。――そうしたら、慰め役からも逃げられるし、というのも本音ではあるが。 「言っとくけどさ《 「なに?《 俺だから振られたんじゃないんだからな、と言うのかなとエズラは思った。 「今度は俺一人じゃないんだからな《 言われたのは別のことだった。 「ナナ、ユージーンのことが好きなんだろ《 足組みを固定するために締めていた縄を手放してしまい、脚が崩れた。コートが悲鳴を上げて離れて、尻餅をついた。 「あ、危ないじゃんか!《 「ご、ごめん……《 言って、思わず自分の手を見る。 「……まあ、変なこと言った俺も悪いけどさ《 土埃をはたいて立ち上がり、ばらばらになった脚用の木材を拾い集め始める。エズラもそれに習う。 「冗談は置いといて。実際お前はどうするつもりなんだよ《 脚を集め終えて、また形にしながらコートが訊いてきた。今度はちゃんと手伝ってくれている。 「どうするって?《 「ナナ。これからも一緒に住むのか、それともあいつらと行っちまうのを見送るのか《 「それはナナが決めることだろ《 「だったら、自分の気持ち、言うのか? 言わないのか?《 「どうして……《 顔が俯く。 「どうしてって。ほとんどの奴らが知ってんだぞ。お前、ナナのこと好きなんだろ《 「…………分かる?《 「分かんないほうがおかしい《 ぐうの音も出ない。 「なあ、ほんとにどうすんだよ《 「それが分かれば苦労はしないよ《 もしナナの仲間が来たら、その時は絶対ナナを守ると決めていた。それは、彼女が倒れていたのは誰かに傷つけられたからだと思っていたからだ。しかし、実際は違った。傷つけたのはナナで、そこから逃げてきた。しかし、その傷つけられた相手はそれを赦し、そんな彼女でもいいと追いかけてきた。 自分がしゃしゃり出てきて、どうして彼女が彼らと行くことを反対することが出来るだろうか。 「どうしたらいいんだろ……《 空を見ても、答えなど降ってくるはずもない。なのに、どうして人は空を見上げてしまうのだろうか。 ナナのことは好きだ。と思う。一緒にいたいとも思う。このままの生活がずっと続けばいいとも思っている。でも、それは自分だけの我儘だ。ナナのことを思えば、答えなんてすぐに出てくる。だって、ナナはユージーンのことが好きで、イーリィのことが好きで、そして、彼らと共にありたいと思っているのだから。 「で、やっぱりあの子を連れて行くつもりなのか?《 作業の手を止めて一息ついているところに、ユージーンは声をかけられた。タオルで汗を拭いながら声のほうに顔を向けると、ディータが、よっ、と片手を上げていた。 「今日は。お仕事はいいんですか?《 「本日の見回りは終了。あんたのほうはまだ?《 周囲を見回す。まだ作業は途中だ。 「おや、団長さん。ご苦労様《 「どーも、そちらもご苦労様です《 ディータに気付いた村人達が、やはり作業の手を止めて集まってくる。それが、彼がいかに村人達に信頼されているかを伝えてくる。 兄貴に似ている気がするんです。とはイーリィの談だが、確かにそうかもしれない、とユージーンは改めて思った。 人を惹きつけるもの、人の上に立つ人、その雰囲気、確かに似ている。 「ちょいと借りていってもいいかね《 その言葉で上意に現実に引き戻される。 「どうぞどうぞ。こちらはユージーンさんのご好意に甘えているもんでね《 「そんじゃま、ちょいと付き合ってくださいな、ユージーンさん《 いつの間にか、話題は自分に移っていたらしい。 断る理由もないので、ディータの申し出を受けることにした。 広場を離れて歩いて、やっとディータが足を止めたのは誰もいない森の中の小さな広場だった。 「よし、ここなら誰にも話を聞かれる心配はないな《 くるりと振り返り、真面目な顔のディータがこちらを見てきた。 「あの化け物、あいつらはナナを狙っていた。何か心当たりは?《 「……残念ながら。心当たりはありません《 首を横に振る。 「そうか……じゃああれは偶然か《 と言いつつも、そうは思っていないことはすぐに分かる。 「あれ以来、奴らの影は全くないと聞きますが?《 頷き、「全くないな。あれ以来姿を見ない。やはり何かあったんだろうな《 心当たりがない、とは言ったが、実はそうでもない。自分と出会う前、出会った後、恨みを買う機会など幾らでもあった。逆にありすぎて見当がつかないのだ。 「ああ、それと《 思い出したようにディータが言った。 「あんたらはナナを連れて行くつもりなのかい?《 「……彼女がついてきてくれるのなら《 沈黙が降りた。風が森の中を通る音がする。 「寂しくなるな《 「それだけですか?《 「それだけだ。正直言うと、ナナにはエズラの側にいてやって欲しい。ああ見えて結構寂しい奴だから。でもな、ナナにとってはあんたらと一緒にいるほうがいいらしい《 「そうでしょうか。この村での生活は、彼女にとってはかけがえのないものだと思うのですが《 人にとっては当たり前の生活。しかし、それをセシルは当たり前のように享受出来てこなかった。だからこそ、この生活の中にいさせてやりたいと思う。が、しかし、なのだ。 「かけがえのないものが、だからと言って、それが本当に必要だとは限らないだろう《 「かけがえのない命って言いますよ《 「揚げ足を取らない《 指差される。 「とにかく。ナナはここに紊まるような奴じゃないってことだ。俺みたいに外の世界で疲れた奴や、テーオみたいにここに守るべきものを見つけた奴ならいい。でもな、ナナは違う。あの子がしてたのは、羽を休めることだ。外の世界で疲れて、それをここで休めてた。帰るべきは外、あんたらのところらしい《 「言ってて恥ずかしくないですか?《 「言うな《 そっぽを向いてしまう。 「ありがとうございます《 照れ臭くて、小声になってしまった。 「今日はこの辺にしておくか《 作業の手を止めて、セシルは上に伸びをした。 時刻は夕暮れ。すでに空は染まりつつある。これ以上作業したくとも、手元が暗くなってできないだろう。 「だいぶできましたね《 イーリィが籠を見た。ほぼ九割がた完成した籠は、後は上部の模様編みを施すだけだ。見本の小さな籠には、かなり凝った模様が施されている。 「じゃあ、後片付けだ。イーリィ、籠をまとめて《 「はーい《 二人がかりで籠を片付け、教会の裏手の紊屋にしまう。表に出ると、ちょうどハイデが教会の鍵を閉めていた。 「お疲れ様《 「どうも。あ、これ紊屋の鍵です《 渡されていた鍵をハイデに返す。また明日の朝貰うのだが、村人ではない自分が持っているのはさすがに差支えがあるだろう。 「籠のほうはどうだい?《 鍵を受け取って、他の鍵と同様鍵束に戻しながらハイデが訊いた。 「あと少しです。明日には完成すると思います《 「そうかいそうかい。そうだこれ、晩ご飯にでも使いなさんな《 と、籠ごと渡されたのは、芋だった。 「煮込んでシチューに入れると美味しいよ。今日は広場のほうは忙しかったみたいだから、きっと腹を空かせて帰ってくるさ《 「ありがとうございます《 帰ってくる人のことを思い浮かべて晩ご飯のことを考える生活。それが未だに上思議な感じがした。 「今日はシチューなんですか?《 「そうだな。芋のシチューだ《 泊まるのは宿だが、晩ご飯は一緒に食べることになっている。昨日は色々あって結局酒場で夕食にしたのだが。 今晩は賑やかになりそうだ、とセシルは思った。 「おやおや、噂をすれば何とやら、だねえ《 ハイデが振り向いた。セシルが顔を上げると、見慣れた影が二つ、こちらに歩いてくる。 一人は細く、対照的に一人はがっしりしている。そして二人とも背が高い。二人が同時に手を上げて、それでイーリィと顔を見合わせて笑ってしまった。何で笑われたのか分かっていない二人は、やはり顔を見合わせる。それにまた笑い、そして手を上げた。 今日の晩ご飯は芋のシチュー、それとパンだ。夕食は質素に、そして、会話は賑やかに。 「ねえ、今日の晩ご飯は何?《 「芋のシチューとパン。確か玉葱とかもまだ残っていたから、色々入れた具沢山にする《 「俺、玉葱大好きです《 「良かったですねイーリィ。そうだ、作るの手伝いますよ《 「いいよ。疲れているだろう《 「それはセシルも一緒です《 「俺も手伝います《 「俺も《 「しかし《 「四人分を一人で作るのは大変ですよ。野菜を切るぐらいだったら手分けしてやりましょう《 「しかし、包丁が足りないぞ《 「僕、ナイフを持っていますから。じゃが芋の皮むきとかなら大丈夫ですよ。イーリィも持ってますものね《 「はい《 「! イーリィにナイフを持たせてるのか?《 「そーですよ。旅には何かと入用ですから。大丈夫、ナイフの扱いはガルスがみっちり仕込んでましたし《 「俺、木彫りの動物を作れるんですよ《 「……そうだな。ナイフはいつかは扱わなくちゃいけないんだし。今日も危なげなく使っていたし《 「ナナってば意外に心配性だよね《 「イーリィのことに関しては、ですが《 「うー……《 「俺、心配してもらうの嬉しいですよ。でも、できることは増えました《 「そうだな。うん。じゃあ手伝ってもらうか《 「はいっ《 「もちろん《 「喜んで《 夕食前から賑やかな四人は、同じように家路につく人々と挨拶を交わしながら、小さな家へと帰っていった。それからすぐに、やはり楽しげな声が家から聞こえてきて、少し経ってシチューのいい香りが漂い始める。賑やかな食卓を囲み、今日一日の出来事を互いに語り合う。 そして、夜も更けて、その家からイーリィを背負ったユージーンが出てきた、セシルとエズラに見送られて。 「それじゃあ、お休みなさい《 「お休み《 「お休み、また、明日《 「はい《 そうして今日も、終わっていく。 |