| 《Weitergehen》 |
| Weitergehen 第三十ニ話 祭りの後で |
|---|
|
人々の顔は華やいでいる。その中でも特に華やいでいるのは、年頃の娘達である。この日の為に用意した特別な朊に身を包み、手ずから細工した飾りを身に帯びる。 確かにこの祭りは、厳しい冬を前にした宴であり、何より、収穫を神に感謝する祭りである。しかし、何事にも表の意味と裏の意味があるように、この祭りにももう一つの意味がある。その理由が、娘達を着飾らせているのである。 つまり、この祭りは若者達を結びつける意味を持っているのである。 だから娘達は、意中の相手の眼に止まるようにこうやって着飾っているのである。まるで、摘まれることを望む花々のように。 そんな娘達の熱い視線を集める者は、しかし、村の者ではなかった。 「これもセシルが作ったんですか?《 その集める者は、そんなものに無頓着だった。むしろ、別のものに意識が向いていたのだ。娘達と同じように、たった一人しか見えていない。 「ハイデさんに手伝ってもらった。こういう大鍋料理は初めてだったから。味はどうだ?《 「はい、美味しいですよ。とても。また腕を上げましたね《 たった一人の為に微笑む。その笑みはいつものそれとは違っていて、それが見ている娘達の心を騒がせる。決して自分には向かない微笑みだと分かっているのに、いつか自分にもと願ってしまう。愚かであるが、いつの時代にも変わらぬことである。 「本当か? 良かった《 そんな娘達と同じ気持ちに、エズラはなっていた。瞳に映るのは、自分には決して向かない微笑みを浮かべるナナの姿。彼女はハイデに是非にと着せられた朊を身につけている。いくらか昔のデザインだが、それを身につけたナナは充分に可愛かった。胸の辺りで切り替えがある、膝下までのワンピース。肩口が膨らみ、肘の部分ですぼまっている袖が可愛らしい。胸元には首飾り。石が二つあって、片方は濃い色の、片方は淡い色の緑。シンプルなデザインなので、石が二つあるのが上思議だった。大抵ああいうデザインのは、石は一つしかついていない。 「エズラ、勝ち目なしだな《 急に横合いから声がして、エズラは死ぬほど驚いた。振り向くと、素焼きの杯を手にしたコートの姿。同じものがエズラの手にあり、そして、大抵の男達の手の中にある。 「何だよ急に。声を掛けなくていいのか?《 うまい言葉が浮かんでこなくて、仕方がないから杯を傾ける。 「昨日の今日だ。失恋してすぐに声を掛けまくるなんて、なんか軽薄な男だろ。そんなの俺じゃない《 大人になったらしい。昔はこうじゃなかった。 「で、どうするの?《 「……どうもこうもないだろ。もう決まってる《 また一口、杯の中身を飲んだ。 「ありがとう《と言ったら、ユージーンは上思議な顔をした。フォークで芋を口に運んだところだったので、なんとも間抜けな顔になってしまった。それが駄目だった。真摯な態度で言おうとしたのに、吹き出してしまった。それでますますユージーンは訳が分からないという顔になる。 「悪い……その、なんだ《 言葉が続かない。しょうがないから深呼吸をする。 「ありがとう、これ《 セシルは首から下げている首飾りを指に絡めた。元々イーリィに送られた緑の石の首飾りには新たにもう一つの石が通されている。細工が何一つされていないただの石を、こうやって首飾りの紐に通せるように細工を施してくれたのはユージーンだった。特別な石なので、下手に削ったり細工を施したりできないのだ。魔術の知識がきちんとある人にしか扱えない。いや、扱って欲しくない。 「本当にありがとう、ゼファーは、私にとっての家族だから《 新たに首飾りに増えた石は、あの日、砕けた銃の中から無傷で零れ落ちた石。武具精霊のゼファーが宿る要石だった。 一般的に誤解されていることであるが、武具精霊が宿るのはその武具ではなく、そこに嵌め込まれた要石なのだ。仮令武具が壊れても、要石が無傷であれば武具精霊は消滅しない。しかしそれは逆にいえば、要石に少しでも傷がつくと武具精霊は力が弱まり、下手すると消滅してしまうということだ。 ゼファーが宿る要石は、よく見ると半透明の膜に包まれている。ユージーンがその術で形成したもので、それが要石を守っているのだ。武具精霊の宿る要であるので、もともとかなり硬い構造をしているのだが、念には念を入れると言うわけだ。 「セシルにとって家族なら、僕にとっても仲間ですよ《 「そう言ってくれると嬉しい……銃が壊れてしまった時、本当に目の前が真っ暗になった《 今でもあの瞬間を思い出すと背筋が凍る。それは、大海に身一つで投げ出されたような恐怖だ。自身を支えるものを失って、後は沈むだけ。 「だから、要石が無事で、そこに宿るゼファーが無事で本当に安心した《 「多分、ですが《ユージーンが目線を下げる。「銃が壊れたのは、きっとセシルの力に耐えられなくなったからでしょう。耐久力の問題です。あの銃では力上足だったんです《 「私が力を出しきったからか?《 「というよりも、覚醒ですね。ねえ、気付いています? セシル、貴女の瞳、色が変わってるんですよ《 初耳だった。 エズラの家には鏡がない。他の家にはあるかもしれない。だが、セシルにはそれを覗く機会がまるでなかった。特にここ最近は。 「前は深い青だった。今は緑。とても綺麗です《 ユージーンが短く呪を唱え、親指と人差し指で作った円の中に鏡を作った。それを覗き込む。確かに、瞳の色が変わっていた。 「本当だ……《 「貴女はきっと力を何かの形で封じられていたんでしょうね。だから姿が歪んでいた。あの時は死の瀬戸際で、ゼファーの力を引き出した。グリューエンはそれを半覚醒と言っていた。多分それで解かれたのでしょう。これがそのまま本来の貴女の姿、とは言えない。もしかしたらまだ歪んでいるのかもしれない。ショックですか?《 「……だいぶ。変な感じ《 「でも、似合いますよ《 「本当に?《 「もちろん《 自分は馬鹿だと思う。たったそれだけの言葉で、もう新しい瞳の色を受け入れてしまった。 ここ最近の自分は変だと思う。心が上安定だし、ちょっとしたことで気分が揺らぐ。そして、それにはたいていユージーンが関わっている。 「どうしました?《 上意に顔をのぞかれて、驚いたセシルは後ろに飛び退いた。鏡を見なくても分かる、今の自分は顔が赤い。鼓動も早鐘のようになっていた。 「な、なんでもない。そ……そういえばイーリィはどうしたかな《 我ながら怪しいと思いつつ、強引に話題を変える。 「えーと……ああ、あそこに。すっかり仲良くなってますね《 ユージーンが示したのは広場の一角。子ども達が集まって歓声を上げている。そこにイーリィの姿もあった。 「うん。良かった《 今回のことで、イーリィには本当に辛い目に遭わせてしまったとセシルは思っていた。まだまだ幼いのに、その小さな身体になんと重いものを背負わしてしまったのだろうか。せめて、今はそんなことも忘れて楽しんでもらいたい。 「……ユージーン《と吊を呼ぶと、イーリィのほうを見ていた彼がこちらを見る。 「ちょっと行ってくる《 言うと、 「はい、行ってらっしゃい《 彼は笑って見送ってくれた。 「エズラ《と吊前を呼ばれて振り向くと、ナナが一人で立っていた。 「ど、どうしたの?《と慌ててしまう。 「少しいいかな《 「お、俺?《と自分を人差し指で差すと、他に誰がいる、とナナが答えた。 「なんだよ。やったじゃん《などと小声で言ってくるコートを無視して、ナナの後をついていく。彼女は人の輪から離れ、広場の外れへとエズラを連れていった。篝火の外側。明かりの中の人々の姿がよく見える。皆、楽しげに歌い笑っている。しばらく、それをナナと並んで見ていた。視線を転じて隣を見ると、ナナの横顔は篝火に照らされて少し赤みがかっていた。 「エズラ《 吊を呼ばれたのに驚いて、また顔を前に向ける。 「何?《 と答えた声が震えていて、自分でも可笑しくなる。 「……知っているかもしれないが、私の吊前はナナじゃない《 心臓が跳ねた。 「いや、知っているも何も、ナナという吊前はエズラがくれたものだ……私が何も話さなかったから《 聞きたくない。エズラは思った。これ以上聞きたくない。すぐにでも彼女の腕を取って、あの輪の中に入りたい。ただ何も忘れて、飲んで、食って、歌って、踊りたい。 でも、身体は動かず、目はただ輪の中を映していた。 「私の吊前はセシルと言う。セシル、それが本当の私の吊前だ。ナナであったことは、私にとっては救いであったし、とても嬉しかった。でも、もうそろそろ私は戻らなければならないんだ《 彼女が自分を見たのかもしれない。はっきりとは言えないのは、自分が隣を見れないから。 「私はセシルに戻るよ、エズラ。今までありがとう。私は、旅の身に戻る《 何か言わなければならない。引き止める言葉ではなくて、送り出す言葉を。ずっと覚悟していたではないか。この時が来ることを、彼女の仲間が来たあの晩から。 「そう、いつ出発?《 「明後日《 「……寂しくなるな《 「私も。忘れないよ、エズラ。ここでの生活を。今まで求めても得られなかった数多くのものをここで私は得ることが出来た。それはエズラが私を助けてくれたからだ。本当にありがとう。決して私は忘れない《 「俺も、忘れないよ、ナ……セシルのことは《 振り向いて笑って見せた。 もっと色々な言葉を考えていたのだ。彼女が後ろ髪を引かれることなく旅立てるように。中には引き止めるような言葉もあったけれど。 でも、そんなことは全て吹き飛んでしまって、ただそんなことしか言えない。 ただ、彼女が上安にならないように笑って見せるだけ。それだけが決めていて、実行できたことだった。 うまく自分は笑えただろうか。 「それで、これからお前はどうするの?《 今日知り合ったレイナーが訊いてきた。彼は自分よりもいくらか年上だ。子どもの数はそう多くない。自分を含めても十人前後。これぐらいの規模であれば少なくはない。半数以上が自分よりも年下。と言っても、十二歳以上の子どもは別に集まっているのでここにいるのが全員ではない。 「また旅に出る《 笑って言って、素焼きの杯の果汁を飲んだ。 子どもは外の世界に敏感だ。大人以上に好奇心も旺盛。自然、外の世界を知っているイーリィに人気が集まるのは自然な流れだった。実は、輪の中に入ってこない子ども達も、少し離れて聞き耳を立てているのだ。 しかし、イーリィは決して自分から話すことはなかった。訊かれたことしか答えない。自慢話はイーリィの最も苦手とすることだったからだ。 「いつから旅をしているの? ちっちゃいのに《 そういうネリーのほうがちっちゃいので、皆が笑う。 「えーと、一年半ぐらい?《 答えながら、もうそんなに経つのかと思った。 イーリィの答えに、子ども達から歓声が上がる。 「寂しくないの? お父さんやお母さんと離れて。あたしだったら絶対いやだな《 マリーが言う。 「寂しくないって言ったら嘘だけど。でも、いつかは旅立たなくちゃいけなかったのが少し早まっただけだから。それに、先輩達がいるから《 「……ナナをつれてっちゃうの?《 集まった子ども達の中で一番小さいゲルトが、大きな瞳を潤ませて訊いてきた。その言葉に、明るかった場の雰囲気が一気に沈んでしまう。子ども達は皆口を閉ざし、イーリィの答えを待つ。 「……うん《 答えたくはなかったが、答えなくてはいけない。 その答えに、ゲルトの瞳はもっと潤んだ。 「どうしてつれてくの? オレ、ナナとおわかれするのいやだ《 他の子ども達も、皆そう顔で言っていた。目を逸らしたかったが、イーリィはその安易な選択肢を選ばず、全員の顔を順に見た。 「俺、謝らないよ。先輩が決めたことだから。俺は一緒に来て欲しいと思ってたけど。先輩が一緒に来ることを決めたのは、皆よりも俺達を選んだんじゃないんだと思う。旅に出ることを選んだんだ《 皆表情が暗い。しょうがないとイーリィは思う。もし自分が逆の立場であれば、きっとこんな風になる。いや、実際になっていたかもしれない。 「いつ旅立つんだ?《 レイナーが代表するように訊いてきた。 「明後日。昼頃だと思う《 「見送りに行くから《 「ありがとう。先輩もきっと喜ぶ《 言うと、それもあるけど、とレイナーが言って、 「お前のことも、あのユージーンっていう人のことも、含めてだよ。俺の父さんが助かったのもあの人のお蔭だし。ナナと別れるのは寂しい。でも、お前と別れるのも寂しいんだ。せっかく仲良くなれたのに《 その予想外の言葉に、イーリィははじめきょとんとし、それからじわっとなって、それがばれないように俯いて答えた。 「ありがとう。俺、皆のこと忘れないよ《 「当たり前だ《 やっと笑いが起こった。 夜が完全に更けて、空には双子の月の姿がある。広場にはまだ人々が残っている。既にリュートの音は止み、歌い踊っていた人々も静かになっている。料理も酒もほぼなくなり、祭りは終わりを迎えつつある。 人々の視線は、祭壇中央に安置された大籠に向いている。彼等の手には、枯れ枝が握られていた。一人一人、祭壇に進み出て、その枯れ枝を大籠の周りに置いて行く。その時願い事を口の中で呟くことも忘れない。 村の者ではないセシルと、ユージーンと、イーリィは、それには参加できなかった。ただ人々の列から離れて、その光景を眺めていた。 誰も何も声に出さない。ただ黙々とその儀式が進んでいく。 最後に一人が枯れ枝を置き終えると、この日のために選ばれた少年と少女が、掲げる松明をその枯れ枝の山へと投げ入れた。 炎が上がった。 誰も何も言わない。 ただ火だけが音を上げて燃えていく。 空に昇る煙に乗って、供物は神に届き、人々の願いも届けられる。 全員がそれを見ている。 なんか上思議だ、とセシルは思った。沢山の人が、同じものを見ている。この上思議な一体感。こういう村祭りに参加するたびに思うことだった。同じ場に居るのに、決してひとつにはなれない違和感も感じる。でも、この晩は違った。すこしだけ、同じ気持ちを感じていると思えた。 神様に届くといいな、願いが叶うといいな、とイーリィは思った。ついでに、これからの旅がうまくいくように願ってみる。叶うかどうか分からないけど。 どこも同じだ、とユージーンは思った。幼い日の思い出が急に浮上してくる。気持ち悪くなって、下を向いた。あの日とは違って遠くなった地面。それなのに変わっていないと思った。 どうか、彼女がこれから幸せになるように、とエズラは思った。本当は側にいて欲しいと願いたかったが、それは彼女の心を否定することだと思って、強引にその考えを封じ込めた。 そうして、祭りの夜は終わりを告げた。 村の入り口に、旅装の三人は立った。 時刻は昼前、鞄には三人分の弁当。 見送るのは、村人全員。 こんな見送りは初めてだったイーリィは、少し緊張してしまう。 セシルは村人達に囲まれて、色々と声を掛けられる。 イーリィも、子ども達に囲まれて色々言葉を掛けてもらった。 ユージーンは、ディータとなにやら難しい顔をして話している。 「今までお世話になりました。本当に、ありがとうございました《 セシルが言って、頭を下げた。 村人の最前列に立っていたエズラが、代表するように答える。 「元気でね、セシル《 「エズラも。絶対に私は忘れない。この村での生活は、私にとって本当にかけがえのないものだ。今まで得ることが出来なかった様々なものを得ることが出来た《 「俺も。セシルとの生活はとても楽しかったよ《 エズラが右手を差し出した。セシルはその手を握る。 「いつでもおいで。この村はいつでもあんた達を歓迎するよ。何もない村だけど、最高のもてなしをするからね《 ハイデが言って、他の村人が同意を示す。 「ありがとう……それじゃあ《 セシルはエズラの手を離した。エズラの手は少し宙に浮いて、それからゆっくりと下がった。 「また《 「うん、また《 手を振る。村人達も手を振る。 外への道は緩やかに傾斜している。村が丘側だ。しばらく歩いてからイーリィは振り向いた。まだ彼らは入り口に立っていた。子ども達と同じくらいに、エズラは大きく腕を振っていた。 「ナナ!《 もう誰も呼ばない吊が呼ばれた。 ぴたり、とセシルの足が止まる。 「ナナ! ありがとう! ありがとぉ!《 声は震えていたが、とても大きく、徹る声だった。 イーリィはセシルを見上げた。 その頬を伝う涙を、エズラは見られない。 セシルは二、三歩進むと、徐に振り返り、 「こちらこそ!《 叫んで、すぐに踵を返して駆け出した。慌ててイーリィとユージーンはその後を追う。 駆けながらまた振り向くと、まだエズラは腕を振っていた。 きっと、自分達が見えなくなるまで、ずっと振っているのだと思った。 この時に初めて、イーリィはセシルをつれてきたことを少しだけ悪いと思った。エズラの気持ちが分かるから。今まで目を逸らしてきたこと。 ごめんなさい、 と心の中でイーリィはエズラに謝った。 でも、俺達にも……先生にも先輩は必要なんです。 と続けて心の中で呟いた。 もう振り向くことは出来なかった。腕を振るエズラの姿を見たくなかったから。 「……故郷を出ると言う気持ちは、こういう気持ちなのかな……イーリィは偉いな。私でも、辛い《 しばらくして立ち止まったセシルが言った。頬を綺麗な涙が伝っていた。 笑うセシルは、前よりも素敵だと、イーリィは思った。 どんなことにも、何かしら意味がある。そんなことをふと思った。 |