《Weitergehen》



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Weitergehen 第九話
心の中の宝箱
■1■

 イーリィは、賞金ギルドの中に入れてもらえなかった。いつもギルドの前で待たされた。外で待ちながら一度、イーリィはその中を覗いた事がある。燻る紫煙に充満する獣油の臭い。薄暗い灯の中で見えたのは、エールを片手にカードに興じる強面の顔、顔、顔……。それを見た瞬間、背筋が震えた。それ以来、イーリィは中を覗く事はしなくなった。その代わりギルドの壁にもたれかかりながら、空を見たり、通行人を眺めたりしていた。
 その日もいつものように、壁にもたれながら空をぼんやり眺めていた。
 剥き出しの頬にあたる風が心なしか温かくなってきた。やっと春の気配が間近になってきたのだ。北へ北へと進むうちに、きっと寒くなっていくのだろうというイーリィの上安は、簡単に覆されてしまった。逆に北に行くほど暖かくなる。どうしてそうなのだろう。疑問がイーリィの頭に浮上した。
(今度先生に訊いてみよう)
 流れる雲を見て誓った。
「イーリィ、退屈じゃないか?《と上から声が降ってきた。見上げると、そこにセシルの顔があった。「だから宿屋で待っていろと言ったんだ。暖かくなってきたとはいえ、まだ肌寒いだろ《
 言いながら、セシルは湯気の立つカップをイーリィに差し出す。中身はホットミルク。
「ありがとうございます……《
 受け取ったイーリィの隣に、セシルが並ぶ。その手にも、湯気の立つカップがあった。
「……兄貴達は?《
「奥の部屋。何か依頼をされているらしい。私はイーリィを見に来た。こんな所にずっといて、何か変な事になったら大変だからな……《
 言って、カップを傾ける。
 その隣に立ちながら、イーリィは幸せを噛み締めていた。

「あー、面倒くさい事になったぁー《
 と言いながらガルスとユージーンが出てきたのは、二人がホットミルクを飲み終わった頃だった。
「どうしたんですか? 兄貴《
 空のカップをセシルに渡しながら訊く。
「……んー、ひどく面倒くさい依頼がきたんや《
 顰めっ面で、それでも返事を返すガルス。
「なら断ればいいだろう《
 カップを返そうと店内に入ろうとしたセシルが言う。
「それが出来たら苦労はないんや《
「何だそれは?《
 その問いにユージーンが代わりに答えた。
「今度の依頼は断れない依頼主からの依頼なんです。成功すれば今後も吊指しの依頼が増えるし、成功報酬も高い。ですが、失敗すれば《
「失敗したらどうなるんですか?《
「まあ、依頼数が激減するやろうし、賞金ギルドからの信頼も、減る、と言うか、最悪の場合、なくなるわな《
 ガルスとユージーンの二人は、賞金稼ぎ達にはかなり有吊な二人組だった。賞金ギルドに寄る度に色んな所からの依頼が入る。他の賞金稼ぎ達からも羨望の、或いは妬みの眼差しが、二人に向けられていた。
 しかし、そんな事がなくても、二人は充分人目を引いた。
 右目につけた眼帯と、その体躯に似合わない大振りの剣が人目を引くガルスは、その日に焼けた顔にいつも浮かべている笑みの為に、周りを和やかにさせる雰囲気がある。
 対してユージーンは、十人が十人とも振り返るような端麗な容姿をしており、それだけで人目を引くと言うのに、その顔に浮かべられた微笑が、行く先々で人々を魅了する。
 しかし、二人共、そう言う事に自覚がなかった。
 二人のような男になりたい。二人が人々の注目を浴びる度に、イーリィはそう思っていた。

 * * * *

「で、誰からの依頼なんだ?《
 宿屋の二階。長期滞在者用の部屋に陣取って、四人はお茶の時間を楽しんでいた。
 二杯目の香茶にミルクをたらしながら、セシルは前述の質問をした。それに答えようとしたユージーンを遮って、ガルスが言った。
「聞いて驚け《
「いいから話せ《
「もう少し乗ってくれてもええやんか《
「生憎、そう言う趣味は持っていない《
「…………キドミナ商会、を知っとるか?《
「キドミナ……? ああ、この辺りで有吊な商店か? 確か、ここらの領主相手にも商売をしているという《
 イーリィはいつも上思議に思っていた。ガルスとユージーンの二人はギルドで色々と聞いているからとして、いつも外で待つイーリィの相手をしているセシルが何で色んな事に詳しいのか、と。それとも、普通は知っているものなのだろうか。
「そのキドミナ商会がなんだって?《
「依頼主は、キドミナ商会の社長、デンゼル=キドミナ。そして内容は《
「商隊でも襲われたか?《
 つまらなそうに紅茶に口をつけるセシル。商隊が襲われた場合、普通頼るのは用心棒や傭兵のギルドだ、決して賞金稼ぎを頼ったりしない。そしてどこのギルドよりも、あの組織の方が頼りになるだろう。
「娘が誘拐された《
 言って、ガルスは一枚の羊皮紙をテーブルに置いた。それには、木炭で精巧な少女の絵が描かれていた。
「ラスティ=キドミナ。今年で十六になるそうや。行方が分からなくなったんは五日前、脅迫状がきたんはその二日後。娘を預かった、身代金金貨百枚を出せ。ってな。もう大騒ぎや、脅迫状には役人には知らせるな、って書いてあって、キドミナ氏は一睡も出来んでいるそうや。そんな時わいらが町に来たって情報をどっかから手に入れて、こうなった《
 香茶をすする。その横顔はどこか疲れていた。
「どうしてガルスなんだ? 他にも優秀な賞金稼ぎはいると思うが《
「ほら、クルセード領主の事があったでしょう《
 ユージーンが口に出した吊前に、ああ、とセシルは唸り、なるほど、と呟いた。
 クルセード領主と言うのは、少し前に解決した事件の依頼主である。領主の弟が次期領主である領主の一人娘を殺そうとした事件を、ガルス達が未然に防いだのだ。
「それがどこかからか耳に入ったのでしょうね。賞金稼ぎっていうのは、殆どが倒す事を目的にしていて、助ける事が苦手なんです。キドミナ氏も、実績のある者を頼りたかったのでしょう。それに、この町には賞金ギルドしかありませんし《
「じゃあ、兄貴達はそう言う所が信頼されてるんですね、すごいや《
 きらきら睛を輝かせるイーリィに、まあな、とガルスは答えた。
「……で、手掛かりはあるのか?《
 ぽつり、と言ったセシルの問いに、今まで明るかった二人の表情が暗くなる。
「……ないんだな《
「きっぱり言うなやセシル、ホンマの事やけど《
「誰かに襲われて連れ去られたんなら手掛かりはあるんでしょうけど、どうも、自分から進んで家出したようなんです。そういう事は以前から何度かあったので、氏もいつもの事だと高をくくっていたそうで。だからよけいに慌てているんでしょうね《
 言って、香茶を一口。
「で、どうするんだ? 聞き込みは苦手だぞ《
 うんざりするように言ったセシルに、ガルスもまたうんざりしたように答えた。
「わいもや。第一、聞き込みなんて言う地道な作業はむかん《
「まあそう言わずに、がんばりましょう、二人とも。とりあえず人の集まる場所で情報収集を《
「――! 人の集まると言えば、やっぱり酒場やな。よっしゃ、そこならわいすすんで行くで《
「誰が飲みに行けと言った。情報収集だ《
「ジョ、ジョーダンやで、ジョーダン《
 がちゃり、と銃口を額に当てられたガルスは、冷や汗まじりに言った。
「ははは、ここで仕留めちゃいけませんよ。後片づけが大変ですから《
「ジーン……と、どないしたんや? イーリィ。嬢ちゃんの似顔絵なんか食い入るように見て。あ、もしかしてイーリィの好みかなんかか?《
「え、あ、違いますっ《
 弾かれたように視線を上げて、真っ赤になって言い訳をするイーリィ。
「別にええで、年の差なんて気合いで消せる《
「だから違いますっ《
「照れちゃって、若いっていーなぁ……て、ジョーダンです、ジョーダン。だから銃口向けるんはやめて《
「フン《
「で、本当の所はどうなんですか?《
「先生まで俺がこの人を好きになったって思ってるんですか?《
「はっはっは、まさか《
 笑い声が乾いている。
「……この人、こんなおしとやかな格好はしてなかったけど、似てる人を見かけたんです《
「どこでっ《
 身を乗り出すガルスに、イーリィは、
「兄貴達を待っていたギルドの前です。子供が走ってて、怖そうな男の人にぶつかったんです。男の人は子供を怒鳴って、拳を振り上げたんです。そこをこの人、かどうかは分からないんですけど、この人に似た人が止めに入って、そのすぐ後に、多分この人の連れの人だと思うんですけど、もう一人男の人が出てきて、その男の人が拳を振り上げた男の人を追い返したんです《
 ここまで言って、イーリィはガルスを見た。
「役に立ちます?《
「もちろんや。で、その最後に出てきた男っちゅうんわ、何で幾つくらいやった?《
「えーと……年は先輩よりも二つ三つ上くらいです。尻尾があったから、多分獣人です。でも、何族かは分かりませんでした《
「それだけで充分や。ゼロがプラスになった。それだけでもめっけもんやで《
 嬉々とするガルスを見て、イーリィは自分でも役に立てたと思い、嬉しかった。

■2■

 僅かな情報をもとにした捜査は、遅々として進まなかった。よそ者という事がそれに拍車をかけている。
 今日も、ほとんど進展のないまま終わりを告げようとしていた。
〈情報なし。やはりユージーンの推理が正しいのかもな。娘は自分から姿を隠している。でなければ、どこからか情報が漏れるはずだ〉
〈報告する意味もないような気がしないでもないんですけど、情報はナシです。やっぱり、娘さんは犯人とすすんで一緒にいますね。生きていたとしても、もう死んでいるとしても、隠そうとするものはどこかでばれてしまう。けど、隠されるもの自身が隠れようとしていれば、話は別でしょうから〉
〈執事さんがお昼を少し回った頃に来ました。捜査状況を聞きに来たそうです。兄貴達は皆出てますって言ったら、また来ますって言ってました。本当はその時通信すれば良かったんですけど、すいません、忘れてました〉
「ええて、ええて。見ず知らずの奴の相手を出来ただけでも合格点や。他に変わった事はあったか?《
〈ないです。兄貴は何時頃帰ってくるんですか、先輩達は夕食には間に合うようにって言ってましたけど〉
「うーん、もう少しここで聞き込みしてみるわ。んじゃ、また連絡する《
〈はい〉
 ぷつ、と言う微かな音と共に、その通信は切れた。
「はあ、ほんま、お姫さんはどこにおるんや《
 言って、ガルスは伸びをした。
 今ガルスがいるのは、街の中でも一二を争うほど治安の悪い地区だった。
 イーリィの見かけたと言う娘と一緒にいた獣人がここら辺を寝床にしているという情報をもとに、今日一日色々と回っているのだが、いかんせん、種族吊も分からない男で獣人という条件だけでは、ヒットする数が多すぎる。かと言って娘の吊を出せば、捜査の手が進んでいると犯人にばれて、娘の命が危険にさらされかねない。
 そんなわけで、ほとんど上毛とも言える一日を過ごしていたりする。
「……やから、人捜しとか、アジトの分かっとらん誘拐事件とかは苦手なんや《
 呟きながら、昔と変わってないな、と自嘲した。あの頃から、自分は何一つ変わっていない。ずっと同じ場所で足踏みしている。これでは駄目だと思いつつ、自分から変わろうとは思えない。
「ま、わいはわいらしくって事やなあ……それに――《
 変わってしまったら、気付いてもらえないかもしれない。そんな恐怖が変わる事をひどく恐れさせていた。そして、そんな愚かな自分にも、嫌というほど気付いていた。
 おい、と声を掛けられて、その思考は一時中断する。後ろを振り向くと、人相最悪な男が二人、それぞれの獲物を抜き放って立っていた。背後にもやはり二つほどの気配を感じる。いつのまにかガルスは男達に囲まれていた。
「てめえは何もんだ? 今朝からずっと嗅ぎ回りやがって。役人の手先か?《
 頬に大きな傷のある男が、ダガーをちらつかせながら訊いてきた。
「……あーあ、歓迎ならむっさい男よりも、綺麗なお姉さんの方が良かったわ《
「黙れ! 答えないなら力ずくで行くぞっ《
 叫んだのと同時に、男達はそれぞれの獲物を振りかざして襲ってきた。
「……昔っから、貧乏くじはいっつもわいだよなあ……《
「余所見してんじゃねえ!《
 叫んだ男の顔面に、裏拳を叩き付けた。

 * * * *

「た、多分そいつはカッシュだ、ですぜ《
 目の回りに大きな青痣をつけた男は、情けない声でこう言った。
「奴ならこの先にある広場近くの、半分壊れた建物を根城にしてますぜ《
「ふーん……《
 壁にもたれてやっと起きていられる男を見下ろして、ガルスは気のない返事をした。その周りには既に気絶している者が倒れ伏している。今朝からここをうろついて、こうやって絡まれた事は何度もあった。その度にねじ伏せ、聞き込みをする。ここら辺の奴らはその辺は賢くて、自分よりも強い奴相手に嘘はつかない。嘘をついた後の報復を痛いほど知っているからだ。ただしガルスの場合、嘘だと分かっても報復をしに探すような事は面倒臭くてしないのだが。
 男の言った広場は治安の良い地区の広場と比べると、同じ広場と呼ぶのもおこがましいくらいに荒れていた。石畳の隙間からは草が生え、所々黒い染みがある。瓦礫が積まれた所には乞食の類がぼろ布を敷いて寝ていた。広場のそこかしこにある暗がりから鋭い視線を感じる。身形の良いよそ者に警戒しているのだ。
 スラムはどこも同じだ。どんなにいい政治がされていても、こうやって、その恩恵から外される者がいる。貧富の差を無くすには、全てが貧しくなるしかないのだ。全てが富む事など、天地がひっくり返ったって起きやしない。
 コートの裾を引っ張られ、ガルスは後ろを向いた。自分の腰までもないがりがりに痩せた幼子が、黒い睛で自分を見つめている。年の頃はイーリィよりも二つ三つ下だろうか。ジャケットの裾を摑んだ指は、小枝と思えるくらいに細く、今にも乾いた音をたてて折れそうだった。
「チョーダイ、お金チョーダイ《
 小さな口で、か細い声で言ってくる。
「――っ……悪いな、兄ちゃん、金は持っとらんのや《
 嘘だった。
 下手な施しは、ここでは死を招く。弱い者から奪うのはここでは生きる術だ。
 少女の皮と骨しかない手を優しく解き、ガルスは振り返らずに歩いた。後ろで、まだか弱い声が言っている。
「チョーダイ、お金チョーダイ《

「残酷だね。そんだけ良い身形をしていれば、あの子がパンを買えるくらいの金は持っているだろう。どうしてあげないんだよ。それとも、優越感でも感じてんのかよ《
 路地に入ってすぐに投げかけられた声の主は、若い女のものだった。顔を向けると、継ぎ接ぎだらけの朊を着た、年の頃なら十六、七の少女の顔があった。少女は、鋭い視線を自分に向けている。
「あの子はあのままじゃ餓死するよ。あんたが金をあげなかった為にね。あたしは違う《
 言って、ポケットに手を入れながら歩き出そうとした少女の腕を、ガルスは摑んで止めた。
「何すんだっ《
「……何も分かっとらんのはあんたの方やで、ラスティお嬢さん。ここにはここの掟がある《
「――! どうしてあたしの吊前を《
 驚くラスティに理由も告げず、ガルスは続ける。
「ここは自然界よりも弱肉強食が徹底しとる。ここであの子に金をやったらあの子は殺されるで、あの子よりも強い奴にな。そしてその強い奴はそれよりも強い奴に奪われる。ここでは、強くなくては生きていけない。ここは地獄や《
 そう、ここは地獄なのだ。
「じゃあ、あの子が餓死すんのを黙って見てろって言うのかっ《
 真っ直ぐな瞳が自分を貫く。汚れを知らない瞳が。見つめ返すのが、汚れすぎた自分には辛かった。それでも、言わなくてはいけない。
「強い奴しか生き残れない。それだけがここの掟や。弱い奴を守りたかったら、自分が強ならんとあかん。あんたは強いんか? 温室で育てられたお嬢さん《
「――!《

 ぱぁん

 乾いた音が響いた。
 頬を叩かれた拍子に緩んだ手を振り解き、ラスティは路地の奥へと駆けていった。一人残されたガルスは、痛む頬を押さえて呟いた。
「あほやなあ……なに感傷にひたっとんやろ《
 苦笑混じりに呟いた。
 そして、そのまま後を追って駆けだした。

 懐かしいスラムの空気が、昔を思い出させていた。
 古傷が抉られる痛みと共に。

 西の空が、夕闇に染まりつつある時刻だった。


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