| 《Weitergehen》 |
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■3■ 「はい、分かりました。それでは勝手にとらしてもらいますね。それでは《 通信が終わったのを見計らい、イーリィは顔を上げた。 「兄貴、どうしたんですか?《 「ラスティさんを見つけたそうです。このまま追いかけるんで、先にご飯を食べていてくれって。応援はいらないそうです《 いつもは泊まらない長期滞在者用の部屋は、調度品の類が充実している。本棚に置いてあった本を読んでいたセシルは、ベッドから起き上がって靴を履きながら呟いた。 「あの莫迦は……《 「まあ、今回はあの人に任せましょう。それで失敗したら、存分に嫌みを言ってください《 爽やかな笑顔で言い切る。 「……先生、何か言ってる事恐いです《 「猫の皮が少し剥がれたと思えばいいだろう《 「え、先生って猫の皮を被ってたんですか?《 「イーリィの良い所は、そうやって何でも信じる所ですよね《 「素直すぎるのも、困りものだがな《 それぞれ勝手な事を言いながら、部屋を出た。 * * * * スラムは大抵、旧市街地にある。まだ街が出来たばかりの、整備なんてろくにしていない、空き地があればとにかく建てろ、なんていう頃に造られた街だから、路地が入り組んでる入り組んでる。スラムの住人さえ自分達の居住範囲以外の所に行けば、まず間違いなく迷う。仮令地図があったとしても、それはあまり変わらない。スラムでは日々新しい道が出来、また同時に、道が塞がれる。日々変わる街、それがスラムだ。 「つーかまえた《 がしっと、今度は振り解かれないようにその腕を摑んだ。摑まれた少女は、きっ、と、鋭く睨んでくるが、今まで幾つもの修羅場を抜けてきたガルスにとっては、そんなのかわいいものである。 「あたしに何の用だよっ《 意味がないと気付きつつ、少女は睨む事を止めない。 「なに、簡単な事やで。わいは依頼を受けたんや、家出した娘を探してくれって《 誘拐の文字は出さなかった。 「親父に頼まれたのか? 言っとくけど、あたしは絶対に帰らないよ。あんな家より、ここの方があたしに合ってる《 「いいや、あんたにはあの家の方が合っとるで《 いきなり真面目な顔で言われ、ラスティは鼻白んだ。 「な、何だよいきなり、何も知らないくせにっ、何でそんな事言うんだよっ!《 束縛から逃れようと暴れるが、摑まれた腕はまるで万力にでも締められたようにびくともしない。 「知らないのはお嬢さんの方やで。あんたが知っとるスラムはほんまのスラムやない《 「何であんたにそんな事が言えるんだよっ、今まで安穏と暮らしてきましたって顔してるくせに《 最後は自分でも気付かずうちに、悲鳴になっていた。 「ほんまに、そんな顔してるように見える?《 「――!《 顔をいきなり近づけられラスティは後退る、しかし背中がすぐに壁に当たり、至近距離で見つめ合う形になってしまった。唯一自由な手で叩いて逃げようとしたが、その手も摑まれた。 「いい事教えてあげようか《 ガルスの方が頭一つ分高い。見上げると、吸い込まれそうな切れ長の睛に映る自分の姿が見えた。 「わいもスラム出身や。裏切り、強奪、喧嘩、薬、一通り経験したで。両足とも突っ込んでもうたら、抜けるのは難しい。片足だけで済んでる頃に離れた方がお嬢さんの為やで《 「……それで、それであの家で、世間体ばっか気にする親父の人形になれってか? 仕事狂の親父の、仕事しか目に入んない親父の、操り人形になれって言うのかっ!《 ごん、いきなりの頭突きに、思わず手を離してしまうガルス。 「あたしはそんなのごめんだ。あたしにだって夢があるんだっ、親父の跡継ぎなんて押しつけられてたまるかっ《 自分も痛かったらしく、額を押さえながらラスティは叫んだ。 「…………わいも、親父が嫌いやった《 「なに? 自分も同じ境遇ですって説得すんのか? そんな使い古された手、引っかかるもんかっ!《 しかし、ラスティの言葉など耳に入っていないようにガルスは続けた。 「大っ嫌いやったんや、大嫌いだったんだ。憎んでもいた。仕事ばっかりして、俺の事も、おふくろの事も顧みない親父。それをおふくろが容認してたのにもむかついた《 路地の暗がりで、その表情が読めない。だけど、ラスティは動けなくなってしまった。 「親父はいつも仕事場にひきこもってた。俺がどれだけ剣術で強くなっても、誉め言葉の一つもくれなかった。たまに稽古をつけてくれる時だって、始終怒鳴りっぱなし。俺の記憶の中の親父はたった二つだ、仕事場の背中と、俺を叱りつける鬼のような形相だけ《 「……だったら、何であたしに家に帰れなんて言うんだよっ《 ガルスがラスティの方を向いて笑った。 「今、分かるからや。あの時の気持ちの真実が。わいは嫉妬しとったんや、親父に。たった一つ、ほんまに打ち込めるものを持っとった親父に、嫉妬しとった。それが分かったのは、全てを失った時やった《 ガルスは、空を仰いだ。スラムの廃屋の向こうに夜空が見えた。 「親父は、そこそこ有吊な刀鍛冶だった。頑固で、気に入った客にしか刀を打たない。でも、その腕前は確かだった。俺の国はそれは酷い所で、何十年もの間王様が圧制をしいていて、それが反乱で終わってからも何人もの奴が頂点に立とうと争ってた。巷には野党や盗賊の類が闊歩して、女や子供は泣いていた。俺の住んでた所は田舎だったから、そんなに被害はなかったけれど、それも長くは続かなかった《 ガルスはラスティを見た。その睛は、とても暗かった。 「ある日、家に人相の悪い男達が来た。そいつらは親父に刀を造れと言ってきた。親父はそれを断った『お前らのようなろくでなしにやる刀なんぞない』男達は文句を言いながら帰っていった。おかしいと思ったんだ。その日に限って親父は俺に対して口数が多かった、食事中は黙りしてる親父が、俺にいろいろ訊いてきた。剣術の事、友達の事、今夢中になっている事。そして、最後に言ったんだ。たった一度しかない人生なんだから、後悔のないよう精一杯生きろ、って。何言ってんだよって、その時は思った《 くすくす、とガルスは笑った。笑っていても、それは本心からじゃないとラスティは痛いほど感じた。すうっと、潮が引く様にその笑みは凍った。 「その晩、親父は死んだ。昼間来た男どもが逆恨みして殺した。親父の打った刀で。俺はその時、おふくろに紊屋に閉じ込められて無事だった。男達の声と、親父やおふくろの声と、漂ってくる血の臭いが恐くて、ずっと紊屋の奥で震えていた。朝になって、静かになった頃にそこから這い出て、親父とおふくろを呼んで走り回って、そして、親父の作業場で、肉塊になった二人を見つけた《 「――っ《 「それで、そこで茫然として、座りこんじまって、どれだけの時が流れたんだろうな、焦げ臭(くさ)い臭(にお)いで我に返った。奴ら、人を殺したのが恐くなって、証拠を無くそうと戻ってきて家に火をつけたんだ。木造だったから、火の手が回るのが速い速い、このまま死んじまうのもいいかもなって思った時、棚が壊れたんだ。棚から落ちてきたのは、一振りの、鞘はおろか、柄さえもない刀身だけの長剣。これや《こつん、とガルスは腰に佩した剣の鞘を叩いた。 「これ見て、親父が言ってた意味が分かった、分かった気がした。親父はあいつらが逆恨みして殺しに来ることが分かったんだ。それでも、ここを離れようとしなかった。仕上げ途中のこいつがあったから。仕上がってすぐに布に慌てて包んで、突っ込んだ、てな感じで……こんなのに構わずに逃げればよかったのに……《 切れ長の睛が、自分を見つめてくる。 「莫迦だろ? 親なんて皆莫迦なんや。いい意味でも悪い意味でもな。自分の言動がどれだけ子供に影響するか知らん莫迦、子供の為に良かれと思ってやった事が、実は子供を苦しめてたって気付かん莫迦、子供の存在の大きさに、失ってから気付く莫迦、子供を束縛しすぎて、壊してしまう莫迦、子供の為なら簡単に死ねる莫迦。莫迦、ばっかや《 一歩、ガルスは近づいた。ラスティは、今度は逃げなかった。 「お前の親父さんも、やっぱ莫迦や。どっかに行ってまうのが恐くて、娘をぐるぐる巻にして、それで娘は反発して、逃げて、誘拐されて、それで後悔して、一睡も出来んで、わいらみたいな賞金稼ぎに一縷の希望託して《 何も言えなくなっていたラスティは、ガルスの発したある単語に気がついた。 「……誘拐って、何だよそれ、あたしは家出しただけだっ《 「脅迫状がきたのは確かやで。写しを見せてもろたからな。お前さんは誘拐されてる事になっとる《 「嘘だろ……何で……《 絶句したラスティの顔面は蒼白だ。 「……一緒に行動しとる奴は誰だ? お嬢様育ちのあんたがこんなとこでも生きていられるんは、誰かの助けがあるからだろ《 「でも、まさか《 「そいつを信じとるんならなおさらや、そいつのとこまでわいを連れて行ってくれ《 「…………ついてきてくれ《 歩きだしたラスティの後を、ガルスはついていった。 ■4■ 広場に面した廃屋の一室を、ラスティは根城にしていた。正確には、ラスティを匿っている者の根城。 「ラスティ、どこに行ってたんだ、捜したぞ《 二人を迎えたのは、焦げ茶の毛を持つ獣人。 「ジャッコ……ごめん《 「とにかく無事で良かったぜ……そいつは?《 ラスティの後ろにいたガルスに気付いて訊いてくる。 「ああ、ちょっと、ね……《 どう説明すればいいかラスティは迷う。その隙に、ガルスが口を開いた。 「ラスティの親父さんからの依頼で、お嬢さんを迎えに来た者や《 「――! どういう事だ? ラスティ《 顔色をまともに変えるジャッコ。 「え、あの……なんかさ、あたし誘拐されてる事になってるみたいなんだ。おかしいよね、あたし、自分からここに来たのにさ《 はは、と笑っているのはラスティだけだった。 「本人に誘拐された自覚がないんなら、そら、やりやすいわな《 「――え? 何それ、まるでそれ、ジャッコ達が誘拐犯のような……《 「ようなやのうて、その誘拐犯なんや《 がたっ、左手にあった扉が開いた。体当たりをして開けたらしいその男は、顔中痣だらけで、ロープでぐるぐる巻にされていた。 「……カッシュ……カッシュっ、どうしたんだよっ《 駆け出そうとしたラスティを、ガルスが止めた。 「逃げるんだ、逃げるんだラスティッ、こいつら、金を手に入れたらお前を殺す気だっ《 さるぐつわを自力で噛み切って、男は叫んだ。 「てめえっ《 ジャッコが腰の後ろに佩していた短剣を抜いた。 「弟のくせに裏切るのかっ《 「逃げるんだ、ラスティッ、君はここにいちゃいけない。日の光の当たる明るい場所にいなくちゃ《 「カッシュ……嫌だ、あんたを置いていくなんて――きゃっ《 いきなり腕を引っ張られて、ラスティは悲鳴をあげた。 「今はあの兄ちゃんの言う通りにするんや《 走りながら、ガルスが叫んだ。 「嫌だっ、カッシュを見捨てろって言うのかよ《 引っ張られるので駆けるラスティは、後ろを気にしつつ叫んだ。 「無駄にする気なんかっ、あの兄ちゃんの努力を無駄にする気なんか!《 怒鳴られて、ラスティは黙った。 「…………あんたを安全な所につれてったら、も一回戻ってきてやるわ《 「ほんとか? ほんとにほんとか?《 「ああ……男に二言はない《 「絶対だぞ《 「ああ。その前に、こいつらをどうにかせんと《 外に出た二人は、いつのまにか囲まれていた。 君、ここの奴じゃないだろ。 何で分かったの? だって身形がいいもん。ここの奴はそんな朊着ないよ。大抵こういうぼろだもん。 ………… 家出してきたの? もしかして。 そうよ、何か悪い? ……もったいないよ、そんなにいいの着られるだけお金あるのに、家出するなんて。 お金があるから幸せってわけじゃないわ。お金なんかいらないのに、パパがいてくれるだけでいいのに。 ……僕カッシュ、君は? …………ラスティ 目の前で、昨日まで仲間だと思っていた奴等が倒されていく。そんな光景を、ラスティはただ見ている事しか出来なかった。 「な、何もんなんだよ、てめえは《 「何もん?《 襲いかかってきた男どもを全て斬り伏せた長剣を担いで、ガルスは上適な笑みを浮かべて言った。 「ただの、賞金稼ぎや《 「ちくしょっぉぉぉ!《 そう叫んで突っ込んできた最後の一人も、すぐに地に伏した。 「……仲間、だと思ってたのに……《 死屍累々と横たわる男達を見て、ラスティが漏らした。 「…………言ったやろ、お嬢さんにはここは合わないって。ここの空気が、人を狂わすんや。ここでは裏切らないと生きていけないんやから《 剣についた血を拭いながら言う。 「でも、カッシュは、カッシュは違う。あいつは、あいつだけは……《 「…………そうやな、あいつは、お嬢さんの味方や《 ぽろぽろと零れる涙を拭うのは、自分の役目ではない。 ■5■ 「え、旅に出た?《 キドミナ商会社長の自宅の応接間、そこですっかりお嬢様な恰好をしているラスティと、ガルスは再会していた。彼女をここに送ってきたのはもう二日も前の事。事後処理やら何やらで、こうやって会うのが遅れてしまった。 テーブルに出された香茶に手をつけず、ガルスは淡々と続ける。 「会わす顔もないって、手当もそこそこに行ってもうた。せめてラスティに会いに行ったらって言ったんだけどな。ごめん、て伝えてくれって《 「……そんな……《 茫然とするラスティに、ガルスは手を差し出した。 「これに見覚えある?《 手を広げると、そこには皮の紐にぶら下がった木のペンダント。 「カッシュのお守り……《 手渡されたそれを食い入るように見るラスティに、ガルスは説明した。 「またこないな事が起こらんように、お守り。渡してくれって頼まれたんや《 「…………ありがと……《 大粒の涙が、頬を伝った。 「嘘が、上手ですね……《 屋敷を出たガルスを迎えたユージーンは、真っ先にそう言ってきた。 「なんや、聞いとったんか?《 「スイッチを切らなかった貴方が悪いんですよ《 言って、左耳につけた通信機を指差す。 そんなユージーンの横を通り抜けるガルス。その後にユージーンが続いた。 どれだけの距離を、無言で歩いただろうか。上意にガルスが口を開いた。 「……宝箱の中身が実は空だった、なんて、お前は言えるか? ジーン《 背中で聞いてくるガルス。 「言えませんね。地獄に突き落すには、あまりにも残酷なやり方です。今のままでも、充分地獄を見たというのに……《 表情を消して、ユージーンはそれに答えた。 「やろ……やから……《 「でも《 ユージーンは、ガルスの背中を見つめて言った。 これを言うのは、自分の役目だとでも言うように。 「キドミナ商会の力があれば、いつかは分かってしまう事ですよ《 「……《 いつのまにか、二人は大通りへと出ていた。雑踏の騒がしさが、よけいに二人の沈黙を浮き彫りにする。 「……それでも、それまでは夢を見ていられるやろ?《 声が、微かに震えている。 「それが、残酷って言うんです《 立ち止まったガルスに、ユージーンは並ぶ。 「でも、それ以外の方法を、僕達が持っていないのも事実です……僕達は、神じゃないんだから《 組んだ肩が、震えていた。 「……くそぉ……《 あたしね、いつか孤児院を建てる。そこで、皆のお母さんになるんだ。 ラスティならなれるよ。元気だもん。 本当にそう思う? カッシュに言われるのが一番嬉しいよ。そだ、その時はカッシュも手伝ってよ、皆のお父さんになって。 ……ねえ、その意味分かって言ってる? え? …………! いや、その、変な意味じゃなくて。その、なんて言うか…… くすくす……いいよ。僕がお父さんになるよ。 幼い日の約束を胸に、青年は… 【おわり】 |