| 《Weitergehen》 |
| Weitergehen 第四十話 木馬 |
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古代文明にも一応学術的な名称が与えられている。が、大抵の者はそれを竜文明と呼ぶ。竜族が治めていた文明だからである。竜族といっても、一般に知られているあのとかげを大きくしたような存在ではない。本体こそ獣である竜と同じであるが、彼らは術によってヒトの姿を保ち、高い知能を持っている。エルフ以上の存在として、この地上に古くから存在する種であった。その竜族が、歴史上初めて世界全体を支配した。それが竜文明である。その史上最大の文明の最後の皇帝が、光輝帝、なのであった。 光輝帝は、歴史的に邪竜と呼ばれている。それは何故か。光輝帝統治下の最後の数百年が暗黒の時代と呼ばれているためである。栄華を極めた竜文明は、この光輝帝の時代に翳りを見せた。だけでなく、光輝帝による恐怖統治の為に多くの命が失われた。故に、邪竜と呼ばれ、畏れられていた。 その光輝帝に戦いを挑み、それを封じたのが同族の若い竜族達であった。虐げられていた者達は解放され、世界は解放された、故に、この時の光輝帝との全面戦争は、解放戦争、と呼ばれている。 しかし、それで終わったわけではなかった。 この光輝帝は一度、復活を遂げようとしたのである。今から千年前のことである。その復活により、世界は一度、安定を欠いた。が、この時は七人の竜眼持ちによって阻止された。そしてまた世界は安定し、動いてきた。 以上のことが、紫晃の知っている光輝帝に関する全てのことであった。 「竜族って、確かポテンシャルが人間の数十倍って聞いたんですけど」 人込みを避けて、路地を辿りながら駆ける中、誰に言うともなく呟いた。それが聞こえたのか、 「なに、光輝帝といっても欠片じゃしの、歪みの者も、光輝帝を復活させる存在であって、戦闘能力は低いじゃろう。お前さん方なら、荷はまあ重いかもしれんが、不可能なことではない」 蒼いフードの、その二つに割れた尖った角を揺らしながら、アルケーが答える。 「で、それがこちらにいるんですか?」 「そうじゃ。気配を感じるからの。あちらには何があるんかの?」 「島外れの遺跡が、確かあるんとちゃうかったっけ? ねえ、そうやなかったっけ? 洸流さん」 「そうだな。確か、大きな石があった」 散策だけが趣味の洸流が、淀みなく答える。 「そこかのう。石は大きな力の拠り所になることが多い」 「それが欠片だって言うの?」 熾志が言うと、 「いや、欠片はそのような形にはせんかった筈じゃ。肉体は封じたが、それはただの器に過ぎん。力の源である魂を分けたはずじゃからのう」 「なんだよそれ。分かってないのかよ。七人の竜眼持ちに何か聞いてこなかったのかよ、じいさん」 「そう言うな。あの時はわしは力を失っておっての。竜眼持ち達も、それどころではなかったんじゃ。確認する余裕などなかったのじゃよ」 「つまり、それほどひどい戦いだったってことですか?」 「そうだな。あれはひどかった。多くの者が命を落とした」 「それはいいからさ。さっさと終わらせて、早くサリスにその体を返せよ」 「分かっておるわい」 「これからどうするんだ?」 足早に資料室を後にして、外へと続く回廊を進みながら、堪らずシオンは声を張り上げた。回廊には、自分しかいない。 「さっきから呼びかけているのに、全く反応がないんだ。二人とも町に出ているはずなのに」 声が否応なく響く。反響して、どこかに消えていく。 〈こちらも連絡が取れません。やはり何かあったみたいですね〉 声は直接頭に響いた。頭に埋め込まれたチップを介した人工的なテレパシーに拠るもの、ではない。仲間に対する呼びかけは確かにテレパシーに拠るものであるが、この呼び掛けはそうではなかった。これは純粋に相手の能力に拠るものだった。 「やっぱり全チャンネルに対して呼びかけたほうが早くないか? 事は緊急を要するんだ、なるべく多くの戦闘員がいたほうがいいだろう」 〈いえ、それは……〉 言葉が濁る。彼にしては珍しいことだったので、シオンは表情を曇らせた。「何かあるのか?」 〈こちら側から見ると、信じたくないことですが、嫌な影が見えるんですよ〉 「影?」 〈……とにかく急ぎましょう。手遅れになる前に〉 廊下に足音が響く。一人分の足音が。 一つの大きな球体の、その内側のような空間。その中央に浮かぶ蒼い球体に今、無数のヒビが生じ続けていた。小さな音すら立てずに生じていく。その球体を挟んで、男と少女が向かい合わせに立っていた。それぞれ目を閉じて、男は低く呪を唱え、少女は高く詩を歌っていた。男が一句唱える度に、少女が一節歌う度に表面のヒビがひとつずつ消えていく。しかし、それよりもいくらか速い速度でヒビは増えていく。 その光景を目の端で捉えながら、エミリオは渋い顔をした。闇と光、この世界を構成する大きな二つの要素。その力の代行者となっている二人。だからこそ、今バランスを崩されている世界を立て直すことが出来る。しかし、それは二人だけでは無理なことなのだ。 空間の内壁、そこに広がっていく染みのような黒い影を、水の魔力で消しながら、エミリオは思う。 ヤラレタ それが正直な感想であった。全て用意周到に仕組まれたことなのだ。全ては、ここから自分達を遠ざからせるために。歪みが減っていたのも、それを不審に思って自分達が世界に散らばるように仕組まれたことなのだ。裏を掻かれないために動いた自分達の行動そのものが、全て相手に仕組まれたことなのである。 なんて嫌なことなんだろうか。それはエミリオが最も嫌う状況だった。 しかし、それが分かったからといって、この状況が劇的に好転することにはならない。ただ黙々と、目の前の問題を一つひとつ片付けていくことしか出来ないのだ。たとえたった一人でも、自分の役目を黙々と全うする。一つひとつ、積み木細工を積み重ねていくように。ただ黙々と。そうすることで、いつからそれら積み木細工が幾つも集まって、ひとつの大きな塔になる、城になる、街になる。 ずっと昔、人間の時であれば遙か昔に言われた言葉。言った人はもういないというのに、言葉だけが力を持って脈打っている。 「だから、僕達を甘く見るな」 エミリオは誰に言うともなく呟いて、また黒い染みを洗い流した。 一年最後の狂乱に沸き踊る街路には、人々が溢れている。それも一番多く人が集まり、まるでごった煮のようになっている大通りを、五人は苦労して横断した。真っ先にそれを抜けた熾志が振り返ると、体の大きい奴ほど苦労して抜け出してくる姿が見えた。いつもだったら、だっせーの、なんて笑い飛ばせるのだが、今はそうもいかない。 「なんとも、賑やかなのは良いことじゃが……」 もみくちゃにされたためにひどい状態になったのを手で直しながら、アルケーは高い声でジジ臭い言葉で言う。それに対する違和感は、すでに想像外の事態によって消失していた。 た、と駆け出したアルケーの後を、全員で追う。 「少々困るのう。まあ、だからこそ」 「やからこそ、この平和を守りたいと、思えるんですよねえ」 アルケーの言葉の後半を引き継いで、霧亜がいつもの笑顔で言った。 「そうじゃのう。力ある者には、それ相応の役目というものがある。力ない者には出来ないことを代わりにすることこそ、それだ。どんなに小さな力だとしても、それにはそれぞれ与えられた意味がある」 「力ってもんは、いつもどこかの誰かのために振るわれるもんで、自分のためだけに振るわれるもんではないんですよねえ。こういう仕事をしてると、よう思います」 全力疾走と言ってもいい速度で走りながら、霧亜はまるで立ち話をするように言う。 「そして今がそれじゃ。ほれ、雲行きが怪しくなってきおったぞ」 風が吹いた。夜風が建物と建物の間の谷のようになった狭い路地を吹き抜ける。その瞬間、背中が粟立ち、総毛立った。思わず空を仰ぐと、夜空がまるで海面のように波打つのが見えた。驚いて眼をこすって見上げると、そこにはいつもと同じ星が瞬く夜空があるだけだった。 「世界が揺らぎ始めたわい。どうやら、あちらのほうが一枚上手らしいのう」 アルケーの言葉に前を向くと、フードの角が揺れているのが見えた。見慣れた後ろ姿なのに、雰囲気が違う。 その時、背後から何かの破裂音が聞こえて、熾志は思わず振り向いた。大通りから悲鳴が上がり、何やら煙が上がっている。そう言えば、吊るされていた提灯の明かりが幾つか消えている。 「世界を駆け巡る風に含まれるマナがバランスを欠いておるんだ。それで魔力を動力源とする機器が暴走したんじゃろう」 なんでもないことのように言うが、それはこの島では大問題だ。「何言ってんだよ。この島の生活は、その魔機によって成り立ってんだぞ。それが狂ったら」 考えるだに恐ろしい。 「それを止めに行くんだ。臆してんじゃねーよ」 いきなり紫晃に頭を叩かれた。何すんだよ、と顔を上げると、不敵に笑う顔がある。 「いつものことだろう。俺達がどうにかしないと、そこに住む奴らがどうにかなっちまうなんてさ」 言われてみるとそうである。ただ規模が大きくなっただけなのだ。その思考の展開は、すとんと熾志の中に落ちてきて、しっくりと在るべき場所に納まった。 「そうだよなあ。結局同じなんだ」 「そうそう」 「おっし。やるぞ」 「おう、やれやれ」 拳を振り上げて、そのまま動かす足を速めた。ぐいっと紫晃達を追い抜き、アルケーさえ追い抜いてしまう。 「何ちんたら走ってんだよ、さっさと手遅れになる前に行こうぜ。ほら」 言葉を掛けて、また前を向く。 どうにかしなくてはならない。その対象がひとつの地域から世界に広がっただけなのだ。ただそれだけのことだと、この魔狼族の若者には思えるのだ。単純だと自分でも思えるが、思考の単純さは一種の強さだと思う熾志なのだった。 その石は島の外れ、岬の突端にあった。とても大きな一枚岩で、矢尻のような先端を天に突き立てている。触れたら切れそうな鋭さを持っていて、不純物が剥離したような幾つもの面で構成されたその岩の前に、男が一人立っていた。背の高い男であったが、石の中ほどに頭があった。石の方を向いているので、見えるのはその背中と、ハリネズミのように逆立った髪の毛だけであった。しかしその後ろ姿は自分達にとってよく見慣れたものだったので、一瞬張り詰めていたものが解けた。が、 「気をつけるんじゃ」 アルケーの厳しい声に、その表情に、冷水を浴びせられたように我に変えり、そして、その変化に気がついた。 その背中は、確かに見慣れたものだった。いつも、自分よりもずっと背の低い背中を追いかけていた背中。極悪人のような顔で、とぼけたようなことを、素で言うような、そんな男の背中。しかし今は、何かが違う。 「……ハリー、どうしてこないとこにおるん?」 霧亜が口を開いた。名を呼ばれた男は、ゆっくりと振り向く。その腕に抱えられた小さな身体に、また息を呑む。 「ルース、どうかしたん? ぐったりしとるように見えるんやけど」 太い腕に抱えられたルースは、遠目から見ても気を失い、顔色が悪いのが分かった。全身から力が抜け、全てを男に委ねている。そんな姿、誰もが初めて見た。 「現在の状況報告。休止状態。起動コード、ラン。ゲート確認」 男が口を開いた。その喋る言葉はどこまでも平坦で、いつもとの隔たりが、その異様さを際立たせる。 これは誰だ? 「誰なんだ、てめえは!」 我慢しきれなくなったらしく、熾志が咆哮した。それを無表情で受け止めて、男は言った。 「我は探索者であり、起動するもの」 その瞳は、前を向いているのに、こちらを映していなかった。ただただ深い闇がそこにはあった。 「我が存在理由は、全てここにある」 そして、男はルースに口づけた。 その瞬間、島中の魔力による明かりが消えた。 「起動プログラム?」 〈復活の呪文みたいなものですね〉 暗闇の中を、危なげなく走りながら、シオンは翠戒の説明を頭の中で聞いた。 〈三千年前も、千年前も、光輝帝を完全に消滅させることは出来ませんでした。三千年前には、その肉体を檻として、その魂を封じました。千年前はその肉体と魂を分離して、それぞれを別にして封じました。特に魔力の源となる魂は、幾つにも分割して、それぞれ封じたんです。起動プログラムは、それら封印を解き、光輝帝を復活させるために存在する魔力の塊のような存在で、そう、魔族みたいなものです〉 た、と屋根を蹴った。大騒ぎの下界を見下ろして、シオンは家々の屋根を駆け抜けていく。 〈三千年前の光輝帝を封じた時、その間際に光輝帝自身が放ったとも言われていますが、その正体は謎のままです。ただ、それは地下に潜伏し、淡々と復活のための手順を踏んでいったんです。そして〉 「千年前の光輝帝復活か?」 頷いたような気配がした。 〈あの時は竜人が世界の支配権を失くしたことを良しとしなかった竜人達が暗躍していました。しかし、その裏で、彼らをそう導いていき、実際に復活させようとしたのがそのプログラムなんです〉 「それは壊せなかったのか?」 〈残念ながら。破壊したと思っていたんですが、間際に自分の複製を作って飛ばしていたんです〉 その声に悔しさが滲む。 「それが今、活動を再開したわけだ」 〈ええ。迂闊でした。時の変わり目は不安定になるものです。千年前には何もなかったことが、こちらの油断となったのです〉 「……お前がそれほど前に気に病むことはないんじゃないか? 私達はただの駒だ」 〈いえ……僕は約束したんです〉 「約束?」 〈存在し続ける限り、この世界を守ると〉 「誰に?」とはシオンは訊けなかった。ただ、翠戒が示す先に足を向けるだけ。 世界は闇に包まれていた。人口の明かり全てが消えていた。ただ天空に浮かぶ双子の月と星々だけが下界を照らしていた。その微かな光によって生まれた影から、異形のもの達が浮き上がる。あるいは人の姿を、あるいは獣の姿を、あるいはそれこそ化け物の姿をしていた。それらが男を守るようにして全員の目の前に厚い壁のように立ち塞がった。その壁の向こうにアルケーは、石の前に立つ男を見た。金色の髪の子どもを抱え、表情のない顔を石に向けていた。 あれこそがあの時捕らえ損ねた影だとアルケーは思う。光輝帝を復活させるために送り込まれてきた存在。それが作り出した影。 何度も世界をスキャンしたのに、見つけられなかったもの。それが今、目の前にいる。 「どうしてハリーが」 熾志という名の少年が叫んだ。無理もない、とアルケーは思う。 「安心せい。お前さん達が知っとる男と、あの男は別物だ。あの男の精神の一画に、あの影が寄生しとったんだ」 「寄生?」 「あれは肉体を持たない精神体なんじゃよ。魂だけの存在。いや、魂すら持たぬかも知れぬ。ただ目的だけを、役割だけを持っている抜け殻だ。それが、どこでかは知らぬが、あの男に寄生したのじゃろう。そして、この時まで、その奥深くで眠っていた」 「まるで、昔話のあの木馬の話みたいやねえ」 霧亜という女が呟いた。誰よりも落ち着いていて、そのことにアルケーは内心感心していた。 「木馬?」 「むかーしの話やねんけどな。二つの国が戦争しとって、その片方の国が休戦の申し出として、大きな木馬を贈ったんや。とても大きな木馬でな、それこそ小さな砦ぐらいある木馬やった。でな、その申し出をもう一つの国は受けて、木馬を城内に引きこんだんや。そしたらまあ、その木馬ん中から敵兵がばっと出てきて、あっちゅう間にその城を落としてもうて、木馬を送った国が勝ったっていう話」 「……なんかひどい話だな」 「そやねえ。戦術としてはとてもいいものやけど、確かにひどい話やねえ」 霧亜が首から下げていた数珠から、珠を一つ引き千切った。そしてそれを口に含み、噛み砕いた音がした。と、途端その気配が膨らむ。その細い体から何かが溢れ出ようとしている、そんな気配である。 「紫晃、洸流さん、武器は?」 「持ってるように見える?」 肩をすくめたのは紫晃であり、 「祭見物だと油断したな……」 渋面を浮かべたのは洸流だった。 「しょうがないのう」呟いて、掌を地面に向ける。念じ、存在を変換。地面から柄、鍔、剣身と順番に浮かび上がった剣を、一振りずつそれぞれ左右の手で取った。 「ほれ、武器じゃ。これでどうにかなるだろて」 差し出された剣を、二人はそれぞれ躊躇しながらも受け取った。一振り、その重さなどを確かめたのだろう。その疑り深かった表情が晴れ、厳しいものに変わる。剣士のそれに。 「で、どうしたらいいんです?」 「欠片には厳重にプロテクトがかかっとる。そう簡単には解けんはずだ。それまでに、わしをあの男の元に連れて行ってくれ」 「リョーカイ。心配しなくても、じいさんには指一本触れさせねーよ」 熾志が叫ぶと、そのまま黒い化け物の群れに飛びかかった。その後を剣士達が続き、最後に霧亜が言った。 「ほんまに、何とかなるんですか?」 「何とかせんといかんのう。そのためにわしがここに出向いたんだからの」 さっそく、黒い壁が崩れ始めた。 |