《Weitergehen》





Weitergehen 第三十七話
嵐の前の――

 医療施設の無機質なベッドの上で寝ていたら、頭の上に影が降ってきた。それが瞑った瞼の上からでも分かったので、紫晃は目を開けた。それに気付いたのか、見舞い客がこちらを向いた。
「ああ、起こしてしまいましたか」
 女のような顔で笑う。
「なんだ、お前か」
「ふふ、残念でしたね」
 にんまりと笑う。
「何しに来たんだよ、翠戒」
「お見舞いですよ」
「男に見舞われたって嬉しくねえよ」
「でしたら、女の姿にでもなりましょうか」
 冗談ではなく、本当になれるのだから始末に終えない。
「遠慮しとく。そんな姿見て欲情でもした日には、自己嫌悪の海に深く沈みそうだ」
「あはは」
 乾いた笑いを背に、紫晃は寝返りを打った。ちょうど窓が正面にあり、午後の柔らかい陽光がさんさんと降り注ぐ景色が目に入った。
「今晩にも退院できるそうですよ。良かったですね、軽く済んで」
「ああ」と生返事を返す。
 今回の任務は尻拭いのようなものだった。探査部所属の数人がとある遺跡に入ったきり連絡が途絶え、それを救出するという内容だった。曰くつきの遺跡で、そのため彼らが選ばれた。救出任務など、最も向いていないチームだとさんざ文句を言ったのだが、もちろんそれが受け入れられるわけがない。渋々遺跡に向かい、トラップを躱しつつ奥まで足を踏み入れた。が、生存者はほとんどなく、生き残った者も既に正気を保っていなかった。それを庇ったために、紫晃は大怪我を負い、こうやって医療施設のベッドに横になる破目になったのだ。
「聞きました?」
「何をだ?」
「生存者のその後」
「……聞きたくないけど」
「貴方一人だけ除け者なんて可哀想ですからね」
「可哀想でも俺は別に構わないけど」
「それでですね、生存者の方々ですが」
 紫晃の言葉などまるで素通りで、彼は口を開いた。
「遺跡近くの系列病院に入院させましたけど、全員がこちらに転院されてきました。でも、正気に戻ったのは誰もいませんでした。内一名は半狂乱の内に事切れました」
「……後味悪いな。何のために行ったんだよ」
「でも、僕達の仕事は大抵そうじゃないですか」
 返す言葉がなくて、紫晃は逃げるように窓の外を飛ぶ小鳥の数を数えていた。

「あ、もういいの?」
 ドアの前に立った紫晃に、声が掛けられた。振り向くと、サリスが手を振って駆け寄ってくる。その後ろから、こちらは歩調を変えずに霧亜とシオンが歩いてきた。
「おう、心配掛けたな」
「ほんとだよ、もう。熾志がさあ、紫晃が死んじまう、って、大変だったんだよ」
「あいつは泣き虫だからなあ」
 答えながら、その小さな頭をくしゃくしゃに撫でた。彼女は、もう、っと抗議するが、もちろん無視である。
「もう、せっかく霧亜にといてもらったのにぃ〜」
「ははは、もう一回とかしてもらえばいいだろう」
 霧亜とシオンの二人が追いついたので、紫晃はドアのパネルに触れた。半透明だったドアが左右にスライドして開く。
「で、怪我のほうはもうええの?」
「心配してくれるとは嬉しいね」
 霧亜の言葉に、ついつい軽口を返してしまう。
「一応同僚やもの。心配ぐらいはしたげる」
「ひどいね。もうちょっと真剣に心配してよ。これでも一応、生死の境を彷徨ったんだからさぁ」
 これは事実であった。
「そんなこと、ここでは日常茶飯事だ。よっぽどひどくなければ、深刻には心配しない」
 眠そうなシオンが霧亜よりも先に口を開いた。
「……なんだよ、不機嫌だな」
「シオンは朝に弱いもんね〜」
「まあ、種によって身体がそういう造りになっとるからなあ」
「確かに、猫はいつも眠そうだからな」
 さんざ言われて、シオンはその大きな猫と同じ耳をぴくぴくと動かし、
「寝てくる」
と一言告げて、廊下を左に歩いていった。あちらには仮眠室がある。
「では、私らは皆のとこに行きまひょか」
 霧亜を先頭に右のほうに歩いていく。すぐに右手にドアのない入り口が見えてくる。紫晃達には縦にも横にも大きすぎる入り口だ。以前はちゃんとしたドアもあったのだが、以前いた先輩が毎度毎度ドアを壊すので、取り外されてしまったらしい。あくまでらしいのは、人伝いだから仕方がない。そんなしょうもない伝説が数多くあるのが、紫晃の職場であるのだ。
「あ、もうええのんか?」
「またどこでそんな言葉を覚えるんだよ」
 真っ先に迎えてくれたのはハリーだった。両手に書類の束を抱えて、悪人面と呼ばれるその細い目を大きく見開いている。
 この、見た目だけは自分と同年の男は、よく人の言葉遣いを真似る癖があった。それでこうやって、時々訳が分からない言葉遣いを披露する。
「そんなことよりも。重傷だと聞きましたが」
「相棒の言葉遣いはそんなことなのか?」
 さらりと流したルースに、紫晃が呆れてつい訊くと、
「どうでもいいことです」
とこちらは冷たく言い放つ。
「言葉など、伝わればいいんですから。それよりも、お体はもう大丈夫なのですか?」
 ルースは低いので、側に来るとどうしても見上げる形になってしまう。この時も見上げてきたその小さな頭に、先ほどサリスにしたように手を置いて、乱暴に撫で回した。
「がきが余計な気を遣うんじゃないの。もうお兄さんは大丈夫だよ」
「がきではありません。実年齢は貴方よりも上です」
と言うのは、どう見ても紫晃よりも十は若い姿だ。しかし、それが当たり前なのがこの職場であった。目の前の子どもは、紫晃がここに来てからずっとその姿を変えていない。つまり成長していないのだ。
「他の皆は?」
 きょろきょろと職場を見回す。合計七チーム全てのテーブルがあるこの広い部屋にいるのは、何故か自分達六人だけであった。
「休暇と任務と、後はまあ、この建物内にいるでしょう。あるいは、出勤中ですかね」
 返ってきたのは、予想通りの答え。
「で、俺のチームの奴らは?」
「残念ながら、私達は知りません。今朝はまだ見ていませんから。他の方はともかく、翠戒さん辺りはもうそろそろ来られるんじゃないですか?」
と言うか言わないかの内に、後ろから声を掛けられた。
「あー、もう退院したのかよ!」
「朝っぱらから煩い奴だな……」
 耳を塞ぎながら振り返ると、熾志が指をこちらに向けていた。つまりは、指差されているわけである。
「お前、人を指差すなよ」
「なんだよ、退院したんならさっさと言えよ。ぴんぴんしてんじゃねーかあ」
 人の忠告はスルーで、ずかずかと近づいてくる。その後ろからは、不機嫌そうな洸流。
「うるせえなあ、朝っぱらから」
「なんだよ、心配して損した」
「人の話し聞けよ。……て、そうそう。お前、俺が死ぬかもってサリスに泣きついたんだって?」
「――な」
 やっと言葉が耳に届いたらしい、尖った耳をピンと立てて、
「泣いてなんかない! ただ単に心配しただけだ」
「ほぉー」
「信じてないな。おい、洸流、俺泣いてなんかいないよな!」
 今朝一番の大きな声で呼びかけられた洸流は、俯いていた顔を上げた。
「ごめんなさい」
 まだ一言も言っていないのに、熾志は即行で頭を下げる。無理もない、顔を上げた洸流の目が、殺気立っていたのだ。
 むすっとした表情のまま、洸流は自分達チームに割り当てられているスペースに行くと、そこに置かれたソファに横になった。
「……洸流、結構責任感じてたんだ」
 ぽつり、と小さな声で熾志が漏らした。
「お前が怪我したの」
 あれは誰にもどうこうできない状況で起きた、いわば事故のようなものだった。紫晃自身も、自分の油断を呪いこそすれ、他人を恨むなど考えもしなかった。
「ふふ、リーダーっちゅうんわね、そういうもんなんよ」
 霧亜が、訳知り顔で笑った。

 この仕事に就いてどれくらい経ったのだろうか。もう何年も、それこそ十数年経った気がするのだが、実際はほんの少しだ。ここの時間の流れが人の世とあまりに違うのもあるが、何より忙しすぎることが原因だと思われる。平均三人で一チーム、それが七チーム。それで世界各地で起こる様々な事件に対処するのだから、無理もない。過ぎ去る時間が濃密過ぎるために、倍以上の時が流れたように感じるのだろう。
 そんなことを、報告書を書き終わった後の間の開いた時に、ぼんやりと思った。
「紫晃さん、書けましたか?」
 後ろからの声に、頭を捻って顔を向けた。金色の髪をひっつめ髪にした眼鏡の女性が、にっこりと笑っていた。
「ケリーか。おう、持ってけドロボー」
 報告書をつまんで差し出した。ケリーは、ありがとうございます、と受け取った。のに何故かその場を去らない。
「どうかした?」
 伸びをしながら訊いてみると、
「すみません、ぼーっとしてました」
 笑う。
「珍しいね」
と素直に紫晃は呟いた。
 ケリーは自分達と同じ実働部隊ではない。この部署の事務員だ。仕事の種類は違うが、隔たりはない。事務員がいなければ、自分達の仕事は面白いぐらいに滞る。この部署には数人の事務員がいるが、それぞれ担当が違う。ケリーは事務員の中でも古株で、だからこそ、まだまだチームとしては若い自分達の担当を引き受けてくれていた。紫晃達四人は、彼女から書類の書き方からこの島の歩き方まで教わった。今でも頭が上がらない。
「……仕事が減ったなーって、ちょっと思ったんです」
 受け取った報告書をファイルに挟みながら言う。
「確かに。少なくなってるな」
 以前であれば隙間なく埋められていた予定表に、最近空白が目に付くようになってきた。ケリーに報告書を渡すのだって、前だったら二つ三つぐらいまとめ出すくらい忙しかったのに、今出したのはたった一件だ。
「いいことだとは思うんですけどね。それだけ世が安定してきたっていう証拠ですから」
「平和が一番だもんな。でも、そしたら俺ら、無職になるな」
 そうなったら笑い事ではないが、それでも、平和になるのならいい。
「だったらいいんですけど」
 しかし、ケリーの顔は何故か晴れない。それが気になって、紫晃は身体をケリーに向けた。
「なんか心配でもあるのか?」
 彼女は片手を頬に当てて、
「どうしてかは分からないんですが。こう、胸がざわざわするんです。まるで、今の状態が、そう、嵐の前の静けさのような、そんな気がするんです」
 まさか、と一笑に付すことなど出来ない。
 女の勘は当たる、
が紫晃の信条だ。何故か分からないが、女の勘は良く当たる。そういうことが紫晃の短い人生の中で数多くあった。だから、この時もケリーの言うことを頭から否定することはしなかった。それに加え、彼女は自分よりもずっと長く、このコスモスで生きてきた。ここは、ある意味世界の中心である。その中心にあるというだけで――その仕事には関係なく――様々なものが入ってくる。具体的な情報ではなくても、こう、包む雰囲気、気配で分かるのだ。だから、彼女が感じているということは、そうなのだろう。
 それになにより、言われなくても、そんな感じは紫晃も感じていたのだ。これは何かある。そういう気配。ずっと、ここよりも長く自分が生きてきたあの世界でもあった懐かしい感じ。
「ま、ここには世界一が大勢いるんだ。なんかあっても大丈夫だろ」
「そうですね」
 ケリーは笑ったが、しかし、そこに差す陰が完全に消えることはなかった。

「やっぱり、ケリーはんは鋭いなあ」
 カフェテラスでコーヒーを飲んでいたら、そこに霧亜がやってきた。手を振って隣の席を示すと、ただいま、と言いながら近づいてきて、腰を下ろした。その格好がまだ旅装束のままだったので、彼女の代わりにコーヒーと、甘いものをとってくる。おおきに、と言って受け取った彼女に、先ほどケリーとの会話を紫晃は話した。
「じゃあ、なんかあるわけ?」
 自分よりも先輩に対するように訊くと、
「私かて、まだまだ想像の域を出なへんのやけどね。う〜ん」
 クッキーに手を伸ばし、一口で頬張る。
「あんな、コーヒーを床にこぼしてもうたとするやろ。カーペットで、がんばってこすって、こすって、こすって、で、染み残らず綺麗になったとするやろ。そうなるとな、もともとの汚れものうなって、綺麗になってそこだけ逆に目立ってまうようになるんや。だから、他の部分も綺麗にする。そうなると、ほら、みんな綺麗になってまった、っていうわけや」
 ということを、クッキーを消化しながら話した。
「つまり、どっかの馬鹿が何かをしていて、その痕跡を隠す為に他も綺麗にして、だから仕事が減ってると?」
 そうなるな、と頷いて、コーヒーを飲み干した。
「でも、そんなことできるのか? そういうことを減らすって」
 別に、自分達の仕事はどこかの犯罪結社が起こしていることではない。いや、中には起こしていたものもあったが、しかし、それらが全て一つの何か大きなものによるものではない。全くてんでばらばらなのに、それをどうしてコントロールできるのか。
「でもな、そう考えてみると、辻褄が合うのや」
 空になったカップを覗き込みながら、霧亜は真面目な顔で言った。
「あんな、私らの仕事って、特定の依頼主がおるわけやないやろ。上から、どこそこに行ってこい、って言われて、それで行く。何をするかもようはっきりせん時かてあるやろ。そやけど、きっと何かしらの意味っちゅうもんはあるんと思うんよ」
 紫晃は黙った聞いていた。
「きっとな、私らは世界を守っとるんよ。何かは分からへんけど、何かから守っとる。そんなことをひしひし感じとるっちゅうわけや」
 立ち上がる。
「ほんなら、私は報告とかなんやらがあるさけ。コーヒー、おおきにな」
 去っていく。
 残されたカップには口紅の跡などついていなかった。


 それは、存在理由であった。
 それが存在したその時に、その命令が下された。
 それを実行することが、それの存在理由であったのだ。
 それは着々とことをなしていった。
 が、しかし、その実行は別の何かに阻止された。
 それは、それと似たような存在で、しかし、それに対抗する手段を持っていた。
 しかし、それでそれが焦ることはなかった。
 焦る、などといった機能は持っていないのだ。
 対処するための行動が選択され、確実に命令を消化していった。
 が、最後に命令を阻止され、解体されそうになった。
 その時、初めてそれは意思を持った。
 ――消されたくない。
 初めて生まれた意思によって、初めてそれが選択した行動によって、それは消滅されることはなかった。
 それからまた、それは深く眠りについた。
 いつの日か目覚めるために、
 いつの日か命令を実行するために。
 その日のために、根を張りながら、眠りについた。


「七人の竜眼持ちは、かくして邪竜・光輝帝の復活を阻止し、世界に平和と安定をもたらしたのであった」
「何読んでんだ?」
 上から訊ねると、
「七人の竜眼持ちのお話だよ」
と、こちらを向いてサリスが答えた。
 談話室。と言っても、広い職場の一画をパテーションで仕切り、ソファセットを置いている、ただそれだけのスペース。でも、そこだけはチームの垣根を越えて、それぞれが交流する場となっている。
 そのソファの一つに腰掛けたサリスが、膝の上に本を広げていた。
「珍しいこともあるもんだ。本読んでるなんて」
「私だって本ぐらい読むもん」
 ぷうっと頬を膨らます姿はまさに子どもなのに、と紫晃は思うが、思うだけに留めておく。もし口に出せば烈火のごとく怒り出すだろうから。
「で、どうしてそんなの読んでんだ?」
「う〜ん、どうしてだろ」
 首を傾げる。
「あのね、シオンと一緒に書籍部に行ったの。そしたらこの本が平積みにされててね、気になって、そしたらシオンが買ってくれた」
「ふ〜ん……絵本?」
「うん。見てみる?」
 差し出された少し厚い本を、紫晃は受け取って開いた。
 七人の竜眼持ちの話は、この世界にするものなら誰でも知っている伝説であった。今から千年も昔のこと。古代文明が滅び去った後の暗黒期が終わり、やっと世界に安定が訪れた、そんな時代だった。しかし、それも束の間、急に自然の理が崩れ始め、魔物達が昼の世界にも現れ、世界にまた混乱の時が訪れようとしていた。それら全ての元凶が、古代文明最後の皇帝であり、最強の力を持つ邪竜・光輝帝であった。彼の者の復活の動きが世界の安定を揺らがせたのだ。それを重く見た精霊王が七人の竜眼持ちを集め、力を与えた。見事七人は光輝帝復活を食い止めるばかりか、その封じられていた身体をも破壊した。かくて世界は再び平和の世となり、人々は繁栄したのであった。
「めでたし、めでたし」
「絵がキレイでしょ」
 ふふ、と頬を染めてサリスが笑う。そんな彼女に絵本を返しながら、
「絵本が似合うな」
「……それってどういう意味?」
 一転、表情が硬くなる。
「そのまんま」
「むっきぃいいいいいい!」
 真っ赤になって踊りかかってくる。それに笑った。 


 それは、ゆっくりと目を開けた。




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by 蓮