| 《Weitergehen》 |
| Weitergehen 第三話 双子の月が視るもの |
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■1■ 大きな山を背に持つ町の大通りを歩きながら、セシルは感じた。人々がどこかピリピリしている。男達は険しい顔で歩いているし、女子供は集団で歩き、何かに怯えているようだった。この町に関してはあまりよく知らないセシルだが、何となく嫌な気がして、長居はしたくない。それがこの町の第一印象だった。 「お帰りなさい、セシルちゃん」 テーブルを拭いていた宿屋の女将が、買い物から帰ってきたセシルを迎える。 今三人は、町に唯一ある宿屋に逗留していた。いつもなら一泊ほどして旅立つのだが、今回は少しばかり事情が違っていた。 「お、セシル。どうや、あったか?」 「ガルス……」 階段から下りてきたガルスに、セシルは視線を移す。 多くの宿屋がそうであるように、この宿屋もまた一階が酒場で、二階からが宿泊施設になっているのだ。 「あった。数は少ないが」 手に持っていた紙袋の中に手を入れ、掌に乗るぐらいの革の袋を出して、近づいてきた相手に渡す。ガルスは中を確かめて、満足そうに笑みを浮かべた。 「こんだけあれば充分やろ」 言って立ち去ろうとしたガルスの服を、セシルが掴む。 「……何や? セシル」 顔だけ振り返ると、セシルが真っ直ぐに睨んで言ってきた。 「…………どうして、私は部屋に入ってはいけないんだ?」 渋面が浮かんでいる。 「なんや、そないなことか」 「そんなことじゃない。私だってユージーンの事が心配だ。それなのに」 一行がこの町を離れられないでいる理由。それはユージーンにあった。 獣人の血をひく彼は、満月が近づくとその血によって魔力が異常に高くなり、しかも凶暴性が増す。その為彼は、いつもそれを押さえる『封印具』を体中に身に付け――彼がいつもジャラジャラつけているピアスや指輪、チョーカーやバングルは全てそれである――、力が暴走する事を防いでいた。しかし、満月の前後は用心の為に、宿屋などでそれをやり過ごすことにしていた。 そして今回もまた、そんな理由で逗留しているのだ。 「どうして駄目なんだ?」 宿屋に逗留する事今日で三日目。その間セシルは、一度もユージーンが使う部屋に入ったことがなかった。入るのをガルスに止められているのだ。 「セシル……ええか、満月が近づくと、ジーンはピリピリしてくるんや。それはお前も気づいとったやろ」 確かに、この宿屋に泊まる前のユージーンはいつもと少し違っていた。 「特に今晩は双子の月が両方満月になる。何かあってセシルが傷つくことになったら、悲しむんはジーンなんやで」 その言葉にセシルは押し黙った。 「……辛いかもしれへんけど、我慢するんやで、セシル」 セシルは静かに頷いた。しかし、その顔は納得などしていなかった。 こんこん、とノックがしてドアが開いた。 入ってきたのはガルス。 それをユージーンは、カーテンを閉め切った暗い部屋で迎えた。 「調子はどうや?」 ドアを閉めながら訊く。 「あまり、いいとは言えませんね」 ベッドの上のユージーンは答えた。 「セシルがすねとったで、部屋に入れてもらえんって」 声に笑みが含まれている。 「セシルが?」 革袋を受け取りながら、おうむ返しに問う。 「ああ、自分だけが入れてもらえんって。まあ、そないな姿見せたないことは分かるが。ドア越しででもええから話したらどうや?」 調度品の椅子を引き寄せ、腰掛ける。 「……何をしでかすか分からないんで。それはちょっと」 革袋の中身をベッドの上に転がす。暗闇の中でその黒い物体を見るのは常人では難しいが、らんらんと輝く金色の睛をしたユージーンには造作もないことだった。 「……傷つけたないって言ったかて、それはとりもなおさず、自分が傷つきたないってことやろ」 さらりと言う。 「まあ、そんなところですか」 あっさりと肯定しながら、掌でその黒い物体を転がす。 「ふむ、結構いいものですね、これは」 「どや、なんとかなりそうか?」 「ええ。まあ作ってみないと分かんないんですが」 言って、ユージーンは口の中で呪文を唱え出した。その対象となった物体は淡い光に包まれ、物質の最小単位にまで分解される。そして新たな形へと変化していった。光が止んだその掌にはバングルが一つ、乗っかっていた。 「まずは一つ」 今彼は、セシルに買ってきてもらった材料を使い、自分専用の封印具を作っているのだ。 『封印具』 力のコントロールが出来ない者、或いはわざとそれを押さえたい者などが身に付けるアミュレットみたいなもの。防具屋などで売ってはいるものの、取り扱っている店は少なく、その中から自分に合うものを探すのは骨が折れる為、多くの者は直接工房に原材料を持って行き、自分に合ったものを作ってもらっていた。中には自分で作る者もいる。 もちろんユージーンは後者のほうである。 セシルに買ってきてもらったのは『封印具』によく使われる鉄。鉄は魔力を封じる力があるからだ。 「でもやっぱこのままではあかんやろ。セシルかて、一人だけ除け者なるんはかわいそうやし」 ブレスレットをはめながら、ユージーンは黙ったままそれを聞いていた。 「セシルやったら、それを見たってなんも驚かんと思うんやけどな」 二個目を取った手が止まる。 「……そうですね。彼女なら、何も驚かないでしょう。けど、どうしてかな。怖いんですよ」 「珍し。お前が弱気になるなんてな」 椅子から立ち上がる。 どちらに、と尋ねるようにユージーンが顔を上げたので、ガルスは振り返らずに答えた。 「セシルの様子を見てくるわ」 階段を降りると、そこに目当ての姿はなかった。ホールにはモップをかける女将のみ。 「女将はん、セシルはどこです?」 女将は厨房の入口を指さして、 「ガルスさんが二階に行ったすぐ後にね、貸してくれって言われたんだよ。材料ももう買ってきてたみたいでねえ、何を作るんだいって訊いても、教えてくれないのさ」 この宿はとても小規模なもので、この女将と、今は買出しに行っている主人とで切り盛りをしていた。もともとこの宿は春の花見と秋の行楽客を見込んで建てられたものだそうで、このような中途半端な時期に来る客は滅多にいないそうだ。季節になれば期間だけ従業員を大勢雇うのだが、時期外れの為に今は女将と主人だけ。厨房もその為空いていたのだ。 首を傾げつつ、ガルスが厨房に足を踏み入れる。その途端顔をしかめた。厨房には何とも言えない臭いが充満していたのだ。その元は煉瓦造りの竈にかけられた鍋。女将から借りたらしいエプロンをつけたセシルが、件の鍋をかきまぜている。 何やっとるんや? 鼻を押さえながら訊いた。 「ガルスか……見れば分かるだろう、薬湯を作っている」 一瞥だけして、また鍋の中を見る。 「分かるか、薬湯? これが? わいには魔女の鍋に見えるがな」 もっと近づいて鍋の中を覗き込むと、何やら緑色の液体がぼこぼこと泡を吹いている。見た目では限りなく苦そうだ。そして、体に悪そうにも見える。 「ほんまに薬湯なんか? 毒薬やなくて?」 「毒ではない。れっきとした薬だ」 憮然として答える。 「で、何に効くんや?」 「精神を落ち着ける効果があるし、それに」 「それに?」 先を促す。 「…………暴れそうになる魔力を収める効果がある」 ガルスは狐につままれたような顔をした。それから、長い息を「ふー」と吐いて、 「喜ぶで、ジーン」 セシルの頬が、ほんのりと染まった。それを悟られないようにか、気が散る、と言ってガルスを追い出しにかかる。ガルスの方は既に体制を整えたらしく、余裕の笑みでその手を避けた。 「にしても、ようそんな事知っとったなあ。どこでそんな薬草学を修めたんや?」 その言葉に、セシルの手が止まった。俯き、小声で答える。 「どうでもいいだろ、そんなこと」 最後にガルスの知らない薬草の汁を入れた液体は、緑から鮮緑色へと変わった。それと同時に、あれだけ酷かった臭いも幾分かは和らいだ。それを大匙ですくい、木製の湯呑に入れて盆に乗せる。それをガルスに渡し。 「すごく苦いけど、砂糖とかを入れたらダメだ。効果がなくなる。ちゃんとユージーンに言ってくれ」 「……まだ、だいぶ残っとるようやけど、どうするんや?」 「壜に詰める」その視線の先には、隣の竈にかけられた大鍋。泡を吹いて沸騰する鍋の中には、大口の壜が二個、煮沸消毒されている。「日持ちはするんだ。状態にもよるが、大体一日に三回くらいは飲めば、大丈夫だろう。酷いようなら一定時間毎だな。まずはこれで様子を見る。治まらなかったら行ってくれ」 分かった、と言って、ガルスはそれを部屋へと持って行った。 それから暫くして、女将が入ってきた。丁度セシルが換気の為に窓を開け、煮沸消毒していた壜を注意深く上げた所だった。 「女将さん、厨房を貸してくれてありがとうございました」 口を下にして布巾の上に置くと、セシルは女将に言った。 「壜詰をしたらすぐに片付けるので、……女将さん?」 セシルの前に立った女将は、いつもとは打って変わった暗い顔をしていた。しわだらけの手を胸の前で組み、ひたっとセシルを見つめている。ただならぬ雰囲気である。それに、作業をしていた手が止まる。 「セシルちゃん、いいかいよくお聞き、今晩の稽古は外でやらないほうがいいよ。いや、やっちゃいけない。それに、はやくに寝たほうがいい」 「どうかしたのですか?」 真剣な表情になったセシルの問いに、女将は答えてはくれず、ただただ難しい顔をして押し黙ってしまった。 「苦い……」湯呑の中身を一口含み、ユージーンはしかめっ面で言った。 「どんなふうに苦いや?」 興味津々でガルスが訊いてくる。 「人事だと思って。飲んでみます? 一口」 「いや、遠慮しとく。わい、苦いの苦手やし」 椅子に座った身を引く。それを恨めしげに見ながら、ぼそりと言う。 「お酒は好きなくせに。……にが……」 そうやって我慢をしながら、ちびりちびりとなんとか全部飲み干して、ユージーンは湯呑を盆に乗せた。そして、盆に乗っていた包みに気付く。 「飲み終わった後やったらいいんやと」 ガルスはにやにやと笑っている。 包みを開けるたその中には、星屑の金米糖がつまっていた。口直しの為だろう。それを用意したセシルの優しさを思うと、見たユージーンは思わず口元に笑みを浮かべた。 「……なんか、外が騒がしいですね」 金米糖を口に含みながら、ユージーンは気になっていたことを口にした。 カーテンが閉め切られた窓の向こうで、なにやら人の動く気配がする。こんな小さな町で、賑わうシーズンでもないのにこれだけの気配がするのは珍しい。 「騒がしい? そういや、この町なんか変やなあ。人も何かピリピリしとるし、いくら行楽シーズンやないと言ったって、客がわいらしかおらんなんて。普通こういうとこは、町の社交場となっとるはずやから、夜とかは仕事帰りのおっちゃん達が来るはずやのに、そういうのもあらへんもんなあ」 ここ数日の事を思い浮かべる。朝も昼も夜も、食堂で食事を取るのはガルスとセシルの二人のみ――ユージーンは部屋で。それはあまりにも変だった。 「ええ。何かを恐れているようにも感じます。後で女将さんに訊いてみたらどうですか?」 口の中で広がる甘さを楽しみながら、ユージーンが提案する。 「せやな、このまんまやと、何か気持ち悪いしな」 ■2■ 真夜中。遠くで聞こえる人の声に気づいてユージーンは目を醒ました。元々満月の晩は気持ちが高ぶってよく眠れないのだが。 「ガルス、起きてますか?」 隣のベッドに寝ている相棒に声をかける。 「ああ、起きとる。外を見てみるから、布団かぶんな」 言われてユージーンは、月光を浴びないようにすっぽりと布団にくるまった。それを確認してから、少しだけカーテンを開けて外を見る。町の裏手にある山に、明かりが幾つも見えた。 カーテンを閉める。 「なんやおかしいで。山狩りでもしとんのか、山ん中に松明らしき明かりが見える」 「山狩り?」 ユージーンが顔を出す。 「女将さんは何か言ってなかったんですか、昼間のことを訊いたんでしょう」 「………………あ」 沈黙の後、ユージーンはジト目で、 「……もしかして、忘れてたんですか?」 「わりぃ」両手を合わせて頭を下げる。 はー、と溜め息を吐くと。 「何も言わないからおかしいとは思ってましたが……こんなに遅くじゃなかったら、女将さんにでも訊けたんですがね……」 「まあ、起こったもんはしゃーないで、わいがちょっくら見てこよか」 「ですね。ガルスの所為でもあるんですし」 「今のはジョーダンやったんやけど……」 ――どんどん いきなりドアがノックされて、二人の会話が中断される。ガルスがドアに取り付き、誰何の声を上げる。 「誰や?」 「私だ。今女将からとんでもないことを聞いたんだ。開けてくれ」 返ってきたのがセシルの声で、二人は顔を見合わせる。 「分かった、今開ける」 ガルスが目配せすると、ユージーンはまた布団をすっぽりとかぶった。それを確かめてから、鍵を開け、ドアを開く。そこにはいつもの深緑のズボンとシャツを着たセシルが立っていた。 「おま、またそのまんまで寝とったんか?」 その格好に溜息をつくガルスに、セシルはうんざりした様子で言う。 「そんなこと今はどうでもいいだろう。それより気づいているか?」 いつも以上の渋面が、その顔に浮かんでいる。 「ああ、山狩りの事か? さっき窓から見たで。もしかしてそのことでなんか」 「そうそのことだ。さっき喉が渇いたから水を飲もうと下に降りたら、女将がまだ起きていたんだ。それで不思議に思って理由を聞いたんだ」 何かを決意したような表情を浮かべ、言った。 「あの山狩り、山に住み着いた狼人間を狩る為なんだそうだ」 「なんですって!」 その叫びには怒りが少しまじっていた。ユージーンは布団をかぶったままベッドから飛び降り、セシルの前に立つ。 「それは本当なんですかっ?」 いつもと少し雰囲気の違うユージーンに戸惑いながらも、セシルは頷いて、 「町の若者が総出で、宿の主人も出ているそうだ。だから女将は私に夜の稽古をやめさせたんだ。それと昼間騒がしかったのは、今晩の山狩りの恐怖を紛らわす為だったんだろうな、それだと納得できる。何より町の人がピリピリしていた事が証拠だと思う」 いつものように顔が見れず、毛布の奥の暗闇の中で光る金の瞳から眼を逸らし、セシルは言った。 「…………捕まえたら、どうする気なんでしょうか……」 まるで爆発しそうな怒りを押さえつけているように、ユージーンは震えている。 「……まあ、何をやったかは知らんが、山狩りをするんや、殺すんやろうな……」 言いにくそうにガルスは答えた。 「……です、よね……」 背を向ける。 「ジーン……?」 「……僕も行きます」 「は?」「え?」 「僕も行きます。山に僕も行きます」 その言葉に、二人は耳を疑った。 獣人であるユージーンが満月の光を浴びれば、それこそ大騒ぎになってしまう。二人はあれやこれやと説得を試みたが、ユージーンは頑として聞き入れなかった。結局、今三人は山へと向かう道を歩いていた。 「大丈夫か?」 前を行くユージーンにガルスが訊いた。 大丈夫ですよ、と答えたユージーンの格好はいつもと違っていた。黒い大きなマント――女将から借りた。町を出て行った彼女の息子が使っていたそうだ――を頭からかぶって体の全てを覆い、要所要所を銀や金、鉛や鉄などの鎖で縛っている。他にも両腕には幾つものバングルをはめ、足にもアンクレットを幾つもつけていた。そのどれもが彼の力が暴走するのを押さえる役目をしている。全てが鉱物製の為、いつも以上にじゃらじゃらと音をたてるが、気にしてはいられない。 「重く……ないか?」 少し後ろを歩くセシルが、おずおずと訊いてきた。 「大丈夫ですよ。それに、辛くもないし」 フードの奥の顔が、ふわっと笑った気がしたようにセシルには思えて、一瞬でもそれを怖く思った自分を恥じた。ユージーンはいつもと何も変わらない。変わったのは自分の態度だ。 「セシル? 貴女の方こそ大丈夫ですか?」 ふるふる、と頭を振る。 「大丈夫だ。それより、苦しくなったら早く言うんだぞ」 「……はい」 女将の話では、その狼人間は満月が近くなる度に里に下りてきては、家畜や作物を荒らしていたそうだ。それだけなら町をあげて山狩りをするほどでもない。実際、相手が奪っていくのはほんの少しの量で、売っても金にならない傷物の野菜や、年老いた山羊だったりしたから。 しかし、五日前に事情は変わった。 町外れで獣医をしていた夫婦が殺され、一人息子が行方不明になったのだ。家の至る所に落ちていた狼の毛と遺体に残された爪痕から、犯人は山に住む狼人間と判断され、今日のこの晩、山狩りが行なわれることになった。 本当なら、満月の晩――しかも双子の月の両方が――などにはしたくなかったのだが、これ以上の犠牲者を出さない為に決行された。何より、大きな町に使いに出た者が凄腕の冒険者の一行を連れて来た、ということが大きかった。 三人は山に足を踏み入れた。夜の森は暗くて深い。全てを包み込む包容力と、全てを拒む拒否感を感じさせる。 「こっちで本当に大丈夫なのか?」 迷うことなくずんずん歩いていくユージーンに、たまらずセシルが声をかけた。 「大丈夫、匂いはちゃんと追えています。どうやら本当にこの森には狼人間がいるようですね」 フードの下の鼻をひくひくと動かす。 「……見つけたらどうするんだ?」 ずっと気になっていたことを、セシルはこの時ようやく口にした。相手は人を既に二人殺している。そんな奴に会って一体何をするというのか。 「女将さんの話を聞いたでしょう。今までは農作物や家畜が襲われていたって。なのに今回は人が二人だけで預けられていた家畜や、飼われていた鶏や山羊には一切被害が出ていない。食べる物に困ったのであれば、そんなもったいないことはしません」 答えながらも、ユージーンは今山にいる人々の気配を探っていた。まだ目的は遂げられていないようだ。 「それに、家中に残った毛も怪しい。毛の生え変わりの季節でもあるまいし、家中に散らばるわけありません。そこは町外れで、朝早くに人が訪れることは滅多にない、僕だったら目立つ毛は除いておきます。何より、反撃が予想される人間より、簡単に仕留められる家畜のほうを襲いますよ、フツー」 「せやな。それに遺体に残っとったて言う爪痕もおかしいで。狼の主な武器は牙や、爪はよお使わん。セシルかて知っとるやろ、それぐらい」 頷く。 「家畜の襲撃中に襲われたのであれば死体は家の外にあります。狼人間をおっぱらうために外に出て、返り討ちに遭ったというやつでね。それなのに家の中にある。おかしいでしょう」 「狼人間が家の中に押し入ったとか」 「そんなことをして何の利益があるっていうんです? ただ食料が欲しいだけなら気付かれないよう家畜を襲います。山羊や鶏、弱った家畜の方がはるかに襲い易いし仕留め易い。人を襲って得することなんて、はっきり言って皆無です。怪我をするだけで、見返りは限りなくゼロに近いんですから」 断言する。 「せやなあ。女将さんの話でも、そいつは人をわざと避けてたそうやから。いきなりそないなことをする理由はないもんなあ」 「だから、おかしいんです。もしかしたら今回の事件は……」 不意にユージーンが立ち止まった。町の者に気付かれないよう明かりなしで歩いていた為、いきなり立ち止まったユージーンの背中に、セシルは気付かずぶつかってしまった。 「あ、大丈夫ですか?」 「大丈夫だ……」 鼻を押さえている。 「それよりいきなりどうしたんだ?」 「せや、いきなり立ち止まって」 三人はユージーン、セシル、ガルスの順で歩いていた。先頭のユージーンが止まれば自然と全員の足が止まってしまう。 「すみません。でも、ほら、あそこをよく見てください」 ユージーンが指差したのは、岩が剥き出しの小さな崖だった。その一部が、上から垂れた蔓草によって覆われている。 「巧くカモフラージュされていますけど洞窟みたいなものがあります」 「そうなんか?」 普通の人間の目をしている二人には、暗い闇の所為でよく分からなかった。しかし、獣の眼をしたユージーンには、その蔓草の向こうの洞窟がありありと見えるのだろう。 「狼人間の住処かもしれません……」 言って、一人でずかずかと近づいていく。 「あ、おいジーン、一人で勝手に行くな」 警戒もせずに進み出したユージーンを慌ててガルスが追いかけた。その後にセシルが続く。 ちょうど雲が流れ、月光が森中に降り注いだ。そこでようやく、二人にも蔓草の奥にある洞窟が見えた。 二人が後ろに来てから、ユージーンは中を窺うこともなく、入り口を塞いでいた蔓草をはねのけた。 コワイ…… 深い深い森の中、小さな影が隠れた茂みを、双子の月が照らしていた。 小さな肩は小刻みに震え、その頬を泪が濡らす。 コワイ…… 遠くに、人々の声が聞こえる。 「こっちにはいないぞ!」 「そっちはどうだっ!」 「足跡があるぞ!」 「本当だ、奴はこっちだっ」 近づいてくる、近づいてくる。 早く逃げなきゃ、早く、早く。 捕まったら…… 小さな頭を振った。 ここにいちゃいけない。 自分を隠していた茂みから出た。 危険だけど、逃げるにはこれしかない。 耳に神経を集中し、人の声のしないほうを突き止める。 逃げなくちゃ、逃げなくちゃ。 人のいない方、いない方へと、その小さな影は移動していく。 それを、双子の月は静かに照らしていた。 空に浮かぶ双子の月は、全てを照らしている。人の全てを、罪も、咎も、悲しみも。 全てを吸い上げ、月は悲しみの泪を流す。 泪はやがて星になり、空に散らばり、そしてまた人に戻る。 金色の睛に映る空は、いつも悲しい。 ■3■ 自分が普通じゃないってことは、もう、ずっと前から分かっていた。どこに行っても、石を投げられ、罵声を浴びせられ、傷は絶えなかった。それでもいいや、とは思えなかった。逆に、死にたい、と思ったことは何度もあった。 どこに行っても疑われるのは自分。 自分なんていなくても、いや、いないほうがいい存在なんだ。本気でそう思っていた。 でも死ぬのは怖くて。 だから、だらだらと生きていた。 でもあの時…… セシルからその話を聞いた時、ユージーンの頭に真っ先に浮かんだのは昔の自分だった。 洞窟の中はがらんとしていた。隅にはヒカリゴケが生え、仄かな光を放っている。 「なんや、何もあらへんやん」 「…………」 出入り口付近で洞窟内部を見回していたユージーンは、いきなり中に入り地面を掘り出した。 「ジ、ジーン?」その行動に驚くガルスだが、セシルはその行動の意図が分かったらしく、向かい合うようにしゃがんで同じように地面を掘り出す。 「?」 「ここの地面だけ、掘った後があるんです。もしかしたら、誰かが何かを埋めたのかも」 それを聞いて、慌ててガルスも加わった。 嫌だ、あんなふうになるのは嫌だ。殺されるのは嫌だ。 まだ死にたくないのに、まだ、まだ。 まだ死にたくない。 助けて、誰か助けて。 小さな影が、森を横切った。 「なんや、これ……」 地面から顔を出したそれを見て、ガルスは驚愕した。セシルも言葉が出ない。 「死後一週間といったところでしょうか……」 一人だけ落ち着いているユージーンが、灯を創りだして言った。 土の中に埋まっていたのは狼人間の半分腐った死体だった。地上に出ているのは横たわった上半身のみ。道具もなしにこれ以上掘るのは大変なので止めた。ヒカリゴケの僅かな光と魔術の灯の中に浮かぶその顔は、人と狼を交ぜた人形のように思えた。 いきなりセシルが腰の後ろに差していたナイフを抜いて、その狼人間の胸部の毛を剃りだした。驚く二人の目の前に、それが姿を現す。小さな傷痕だった。それをセシルは、矢尻によって出来たものだ、と断言した。そして、その傷痕の周りの皮膚は醜く変色している。触ろうとしたガルスを制し、 「毒草を使ったんだ。この感じなら多分……ケスティアの葉だな。傷口から入ると神経が麻痺して呼吸困難に陥り、しまいには死ぬ」 セシルが断じた。 「ケスティアですか。南部のほうに自生している木ですね。この辺ではあまり見かけない」 「じゃあ、犯人はこの辺の者やないな」 いや。セシルが否定した。 「ケスティアの葉なら、今日見た」 「どこでです?」 「どこって、今日作った薬湯の材料の一つだ」 しばしの沈黙。 「材料って、毒草なんやろ、それは!」 「適切な処理をして使えば毒は薬になる」 「はいはい、その話は後にして。どこでそれを手に入れたんですか?」 延々と続きそうだったので、止めに入る。 「町の薬屋。あるかどうか不安だったのだがあってほっとした。ないと完成しないんだ」 「ふむふむ……なるほど。どう思います?」 見回す。 「……わいは、大体は読めてきたで」 「私も。とんだ食わせものだ」 「早く捜しに行かないと手遅れになってしまいますね」 その言葉に、ガルスとセシルは頷いた。 三人は立ち上がり、外に出る。 「二手に別れましょう。そのほうが早く見つけられる。ガルスはセシルと一緒に行ってください。僕は一人で探しますから」 その提案にセシルは異を唱えた。 「一人になるのは危険だ。もし町の奴らに正体がばれたら」 大丈夫ですよ、とユージーンは軽く言った。 「ちゃんと気をつけますし、人前にも出ないようにしましょう。月の明かりにも気をつけます。それに体調もいい。貴女の作ってくれた薬湯が効いているみたいです。ありがとう」 「…………連絡、かかしたりするな」 「はい」 「さて、わいらのほうが先に見つけんと、したいことも出来んくなるぞ」 ガルスの言葉に、一同顔を引き締めた。 |