| 《Weitergehen》 |
| Weitergehen 第四話 涼風の森のイーリィ |
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■1■ どこでも夜は静かだな。 イーリィは窓から月を見ていた。ここに来てからもうどれだけの時が経ったのだろう。外の様子が分かるのは鉄格子のはめられた小さな窓だけ。昼か夜かの違いは分かるが、それ以外のことは全く分からない。外の音といえば、時折聞こえる馬車や人の声のみ。ここがどこなのかなんて察する事さえ出来ない。それに何より、森から一度も出たことのないイーリィが、森の外の事を音だけで察すれ、というのがそもそも無理な事なのである。 ここが森ではない、というのは匂いで分かった。森の匂いがしないのだ。風の匂いからしてイーリィの暮らしていた森とは違っていた。 窓から、この部屋に唯一ある出入り口のドアへと視線を移した。重い金属製のドアには大人の目の高さに覗き窓が一つと、下には食事を中に入れるための小さな戸がついている。無論鍵はかかかっている。 ここに入れられてすぐの頃は、何とか脱出しようとドアに体当たりなどをしたものだが、ドアはびくともせず、生傷が増えるし、少ない体力も消耗するだけだったので諦めてしまった。 今は狭い部屋の隅っこにうずくまり、来もしない助けを待っている。 燃えるように赤い髪が、窓から流れてきた夜風に吹かれて揺れた。赤いのは髪だけではない。イーリィの双眸もまた、髪と同じ燃えるような赤だった。その瞳孔は月と同じ円ではなく、爬虫類のように細長い楕円形をしている。そもそもこの事態はこの睛の所為で招かれたものだという事を、イーリィは薄々気付いていた。 「……もう寝よ」 イーリィは四つん這いで隅に敷かれていた布団へと移動した。ないよりはましとしか言えない薄い毛布に包まり、目を閉じる。瞼に映るのは、あの日以来一度も帰っていない森の姿。皆は元気にしているだろうか。会いたい気持ちが増し、一層目が冴えてしまう。 異変に気づいたのはやっと瞼が重くなってきた頃だった。はじめは気のせいだと片づけていたのだが、どうもそうではないらしい。何となく外が騒がしい気がしたのだ。人の気配を察するのは森で充分に鍛えられている。 イーリィは毛布から這い出て、窓の前に立った。窓は彼の頭の上の高さにあるので、そのままでは外を覗けない。イーリィはなんとか背伸びをして、窓に手を届かそうと、 「どけっ」 「え?」 聞いたことのない声で言われて驚いたのと、その言葉の意味が理解できたのとの両方で、イーリィは慌てて横手へと飛び退いた。 飛び退いて正解だった。鉄格子が吹っ飛んだのだ。目の前で。 がこん、と床に鉄格子の残骸が落ちたのと同時に、人影が一人、部屋に滑り込んできた。 「…………潜入成功」 人影が呟く。 それはイーリィより頭一つ分高い人間だった。夜空と同じ黒い髪が風に揺れている。月明りに照らされたその横顔は、鋭い印象を受ける少女の様に見えた。 「誰だ?」 その問いにイーリィは即座に反応できなかった。彼は自分以外の人に会った事が殆どなかったし、会ったとしても偶に森に来るのを遠くから眺めているか、悪戯の対象にしか見ていなかったからだ。加えてここに連れて来られた時の印象が最悪だった為に、いきなりの侵入者に対して怯えていた。 「子供? ! ……その睛は……」 少女が手を差し伸べてくる。 「! 来るなっ」 殆ど条件反射でその手を払い除けていた。少女は驚きつつも、手を引っ込め、 「すまない。……ここの者じゃないだろう」 声が優しかったので、イーリィは頷いた。 「やっぱり……」 少女は姿勢を低くし、イーリィの目をまっすぐに見て訊いてきた。 「お前はここを出たいか?」 その目を見ているうちに、不思議とイーリィの恐怖心は消えていった。そして今まで萎んでいた感情が膨らんできて、気が付くとイーリィははっきりとした口調で言っていた。 「出たい」 「よし、私についてくるんだ」 「大丈夫なの?」 突然の侵入者をすぐには信用できなかった。悪い人には思えなかったが、だからといっていい人とは言えない。思わずそう言ってしまってから、イーリィは両手で口を押さえた。 「……大丈夫、悪いようにはしない。ここにはちょっとした用があって来たんだ。お前はただ、そんな私を利用すればいいんだ」 「……でも、ここをどうやって出るんだ? このドアは開かないよ。鍵がかかってるんだ」 「ドアから必ず出なくてはいけないなんて法律、どこにもないだろ」 悪戯っぽく口の端を吊り上げた。そうすると怖いという印象が和らいで、年相応の少女の顔に見えた。 彼女は手にしていた銃に新たに弾を込め、ドアの右の壁に銃口を向けて、引き金を引いた。 ガウンッ どがしゃあっ! 壁は、呆気なく目の前で崩れ去った。 茫然とするイーリィの腕を取り、走り出す。その途中振り返り、その少女は言った。 「自己紹介がまだだったな。私の名はセシル、お前は?」 問われて、イーリィは答える。 「俺はイーリィ、涼風の森のイーリィ」 部屋に連れてこられるまで、イーリィは目隠しをされていた。最後に見たのは森と、自分を助ける為に戦って倒れた友人。 「どこに行くんだ?」 セシルと名乗った侵入者は、出会う男共を次々と倒していった。銃も使ってはいるが、体術で倒しているほうがどちらかというと多い。自分よりも小さなセシルにいともあっさりと男共は倒されていく様は、魔法を見ているみたいだ。 今も襲いかかってきた男数人をセシルは倒したばかりだった。戦闘の邪魔にならないよう物陰に隠れていたイーリィはそこから出て、近付いてきたセシルにそう訊いた。それにセシルは落ち着いた声で答えた。 「ここのボスの部屋に行く。私はその男にかけられた賞金を狙う賞金稼ぎ。……安心しろ、お前は途中でどこか安全な場所に隠すから」 恐怖が顔に出たのだろう。セシルは安心させるように言った。 「ありがとう」 「それは完全に安全になってから言ってくれ。……ちっ、新手か」 セシルは角から出てきた男達と対峙した。 「セシルのほうは大丈夫やろなあ」 ガルスは向かってきた男の腹を横に薙ぎながら呟いた。 「大丈夫ですよ。殆どの人数はこちらに来てますからね」 答えながら、ユージーンは押し寄せてきた団体さんに、殺傷能力の低い――しかし広範囲の――攻撃呪文をおみまいした。 「えーい、何をしている。相手はたかだか二人だけではないかっ!」 二階の手摺から身を乗り出した、痩せ気味の中年男がヒステリックに叫んでいた。その声に後押しされてか、屈強な男達が次々と二人に襲いかかってくる。 戦闘の場所となっているのは大きな玄関扉から入ってすぐの、吹き抜けとなっている玄関ホール。天井は優に三階分ぐらいまであり、扉から入って正面の女神像を中心に、半円を描いた階段がシンメトリーとなって二階へと続いていた。 ここはどこかの金持ちの別荘。と表向きはなっているのだが、実際は人身売買組織のアジトだったりする。 ガルス達三人の今回の獲物は、その組織のボスである。 そいつを生きたまま役所に突き出せばかなりの間楽して暮らすことができる。更にその部下の二、三人もついでに捕まえれば、久し振りに豪勢な食事が待っている。俄然、やる気が出るというもの。 今回の作戦は王道の王道を行く陽動作戦であった。 『ガルスとユージーンの二人が玄関口で大騒ぎを起こす。そこで人を引きつけておいて、セシルが裏手から侵入、ボスを倒す。後は臨機応変にいこう』 これが作戦内容の全容であった。因にこの作戦立案者はガルス。 その陽動であるガルスとユージーンの二人だけで敵の大半を引きつけているのは、決して相手が弱いからではなく、彼らの実力が飛び抜けている為である。 敵に悟られるかもしれないという事で、今回は耳の通信機は使わないことにしていた。セシルが失敗するかもという不安はないが、純粋に彼女の身が心配だ、という感情はあった。それともう一つ。 「セシル、ちゃんと殺さずに仕留めてくれるやろなあ」 賞金のほうも心配だった。 ■2■ どさり、と頭から血を流して倒れたのは、セシルを倒そうと無謀にも挑んできた強面の男。 「…………いきなり出てくるからだ。突然の手加減は苦手なのに……よし、死んでないな」 ぶつくさ言いながらしゃがんで男の脈を取る。 その後ろに立ちながら、イーリィは廊下の奥を見ていた。スカンスに灯が点っていない為、窓から差し込む月の光だけが唯一の光源。ずうっと先には闇しか存在していない。 イーリィを横目で見ていたセシルは、その視線の先にあるものに気付き、振り返って訊いた。 「……闇が怖いか?」 それにイーリィは首を振った。 「森はもっと暗い。闇自体は怖くない。含まれるものが重要だから。ここの闇は悪意を含んでいる」 「それだけ分かれば充分だ。何が闇に含まれているか、それさえ分かれば対処法を選べる」 セシルは立ち上がって前を向き、間を置いてから言った。 「ここで別れよう」 「どうしてっ」 自分でも、その声の高さに驚いた。 「……ここから先は私の仕事場だ。子供の来る所ではない。守る自信も、ない」 セシルは言いながら、銃の中身を確認する。 「いいか、とりあえずこの辺の部屋のクローゼットの中にでも隠れてるんだ。これをつけて」 右耳にしていたカフスを外し、イーリィの小さな掌に落とした。 「通信機、耳につける。擦るとオンになるから、辺りが静かになったらこれで呼べ。もしかしたらこっちのほうから呼ぶかもしれないがな」 イーリィは言われた通り、それを右耳につける。つけながら訊く。 「セシルにつながるの?」 これにセシルは首を横に振り、 「私の仲間につながる。大丈夫、私より優しい人達だ」 セシルが笑ったので、イーリィはその言葉を信じた。 別れてすぐイーリィはその場を離れた。森で鍛えた勘の為に、人のいないほうに行くのは思ったより簡単だった。暫く進んで人の気配がしなくなってから、手近の部屋に忍び込む。 「うわっ、広いや」 客間か何かだろう。床には赤い絨毯が敷きつめられ、大きなベッドとアンティーク調のテーブルセットがある。クローゼットはなかったが、代わりに大きな洋服ダンスがあった。 「これでもいいよね」 一応辺りを見回してから、イーリィは洋服ダンスの扉を開けた。 「あ、空っぽ」 さぞかし沢山の洋服が入っているだろうと思っていたイーリィは、少し拍子抜けした。でもこちらの方が好都合である。イーリィは中に入り、扉を閉める。途端に自分の手さえも見えなくなった。すると急に忘れていた眠気が復活した。ここは暗いし、人の気配もしないし丁度いい。イーリィは眠ることにした。タンスの隅に移動し、膝を抱える。膝小僧の上に頭を乗せて、目を閉じた。 視覚を遮断した為に、聴覚が鋭敏になる。 遠くで悲鳴と、銃声と、爆音が聞こえる。 まだセシルが戦っているんだ。でも、音が別の方向からもする。多分、セシルの言っていた仲間だろう。 仲間。友達みたいなものだろうか。イーリィには沢山の友達がいた。森でいつも遊んでいた友達、色んな話をしてくれた友達、常識とか、世界とか、神様とか、魔法とか、生きる術とか、そういうことを教えてくれた友達。今でもこうやって生きていられるのは、彼らのお陰である。 しかし今、彼らに会うことは出来ない。 ここがどこなのかも分からないのに、どこにあるのか分からない森に帰ることなど、逆立ちしたって出来やしない。 もし今ここから逃げられて自由になったとして、自分は一体どうすれば、どこに行けばいいのか。森には帰りたい、けど。 イーリィは、いつのまにか眠っていた。 夢を視た。あの日の夢を。あの日、自分は森の外れに遊びに行っていたのだ。本当は外れには行くなと言われているのだが、あそこまで行かないとなかなか人が来ないのだ。 その日も、いつもの遊び相手と一緒によく人が通る道の近くの茂みに隠れていた。 遊びの方法は古今東西、どこのいたずらっ子でもやったことがある遊び。 つまり、来た人を驚かすのだ。 「今日は人が来ないなあ、折角新しい驚かし方を考えたのに」 その日もいつものように二、三人を驚かして、そのことでマーマ達に叱られて、それでも懲りずに次の遊びを考えるはずだった。 「あ、来た」 道の向こうに現れたのは、旅人の姿をした男だった。どこか弱々しい雰囲気を持っていて、絶好の獲物である。 「いいか、俺が霧を出すから、イーリィは」 「分かってる、何度も言われたもん」 クスクスと笑いあう。そしてそれぞれの持ち場についた。 霧が、いきなり空間に出現した。これで普通は慌てるものである。本当にいきなり出現したのだから。予想通り、男は面白いくらいに慌て出した。 今度はイーリィの出番である。 茂みから出て、両手を目に当てて泣き真似をする。リアルに涙まで流して。男がその姿に気づいた頃を見計らって、震える声で言う。 「名前がないよぉう、名前がないよぉう」 オリジナル、とこれを彼は言ったが、森一番の長生きのトレント爺の話で聞いた覚えがあった。しかしそれは無視しておく事にした。何より、彼と遊ぶときが一番楽しいのだから。 「名前がないよぉう、名前がないよぉう」 おかしい、普通ならもう悲鳴でもあげていい頃合だと言うのに。 指の隙間から、そっと前を見る。 「…………×××××××だ……」 「! イーリィ、逃げるんだっ」 声が耳に響いた。でも、体が動かなかった。 いつのまにか、後ろに近づいていた誰かに口を塞がれた。その手には変な臭いのする布きれが握られていた。その臭いを嗅いでいたら、徐々に意識が遠退いていった。 「イーリィ、イーリィっ」 名前が呼ばれているが、返事が出来ない。 「イーリィに何するんだ、イーリィを離せっ、うわあっ!」 自分の所為で、自分の所為で友達が…… 「こいつは高く売れるぜ、髪の色と同色なんて。しかもガキだ。金持ちの趣味人には、こっちの言い値で買ってくれる奴だっているさ」 薄れゆく意識の中で、聞いたことのない男の声が聞こえた。 だからマーマは禁止していたんだ。俺が森の外れに行くのを、俺が人に会うのを。こうなるって、知っていたんだ。だからマーマは。 ごめんなさい、マーマ。ごめんねロビン。 もう会えないかもしれないけど、ごめんね。 俺はずっと、皆のこと好きだから。 イーリィは捨て子、イーリィはみなしご。 森の中に捨てられた。 森の奥に流れる川に流された。 小さな桶に、毛布一枚に包まれて。 たった一人で流された。 捨てられたことが分からなくて、イーリィは気持ち良さそうに眠ってた。 マーマは森の中でも一目置かれる存在だった。 マーマはイーリィを拾ってくれて、トレント爺が名前をくれた。 森の皆がイーリィを育ててくれた。 イーリィは捨て子、イーリィはみなしご。 イーリィは、森の皆の子供。 |