| 《Weitergehen》 |
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■4■ 酒場は紫煙と獣油の臭いで埋め尽くされていた。テーブルに着く客はカードに興じたり、法すれすれの儲け話に熱狂したりしている。 そんな一角に、二人は腰を落ち着けていた。 手にするのは、上等とは言い難い安物のエール酒。片方がその味に耐えられなくなり、コップを置いた。 「口に合わんか」それに声をかける者がいた。頭からフードをかぶり、顔を隠した男である。ランプの暗い灯の下ではその姿から年齢などを知る事は出来ないが、声からそこそこ年をとっている事は察すれた。 「またあんたか。依頼主はどないしたん?」 コップを置いたまま、ガルスは上目遣いで訊いた。その横に腰掛けているユージーンも、鋭い視線を向けている。 「主は多忙な方でな。そこ、いいか?」 代理はそう言うと、返事を聞く前にユージーンの隣に腰掛けた。そこは丁度、ガルスの正面に位置する席だった。 「初めの襲撃は、失敗、したそうだな」 その態度は尊大。 「逃がすつもりやったから当然の事や」 ガルスは手の中でコップを回した。 「……それと、娘と一緒にいる奴らは、お前達の仲間だと言う情報も入っているのだが」 フードの下の眼が、ガルスを睨めつける。 「仲間、やったとしてもや、わいらはあんさんから依頼を受けて、もう前金ももろうとる。関係あらへんで」 「信用していいのか」 「それはお宅の勝手や。それよか、もうそろそろ行ってもええか? これ以上こない所で油売っとっても、引き離されるだけや」 代理は低く唸ると、分かった、と一言言った。 「じゃあ、ここのお会計よろしゅうな」 二人は伝票を残し、店を出ていった。 * * * * あれからどれくらい走っただろうか。もうすっかり日は暮れ、空には双子の月が上っている。場所は深い森。もう、自分達が今どこにいるのかも見失っていた。 「ここまで来れば大丈夫か……」セシルが立ち止まると、その後に続いていたイーリィとペチカも立ち止まった。二人は肩で息をし、止まると同時にその場にへたり込んでしまう。 イーリィの場合は、疲れだけではないのだが。 まだあの光景が現実の事とは思えなかった。ガルスが剣を振り上げ、ユージーンが魔法を自分達に放つ。セシルが銃を抜き、撃つ。 体が震える。冬の森は空気が冷たく、運動した事によって熱せられた体が急速に冷え、吐く息も白い。呼吸をする度に、熱を奪われているみたいだ。 「大丈夫ですかっ」突然ペチカの悲鳴があがって、イーリィも我に返る。幹にもたれかかるようにしてうずくまるセシルの左腕から、赤い鮮血が滴り落ちていた。 「先輩っ」声が裏返っていた。 「大丈夫だ、少し掠っただけだがから」 「先生の魔法ですね」イーリィは思い出す。茫然としてしまった自分とその陰に隠れていたペチカに、ユージーンが風系列の魔法を使ったのを。それに気付いたセシルが自分達を庇い。 「す、いません……すいません、先輩。俺がぼんやりしてたから……」泣いてもどうにもならない。分かっているのに涙は次から次へと溢れてくる。 「大丈夫、お前の所為じゃない。それより、イーリィは回復魔法を習っていなかったか?」 その言葉にイーリィは、はい、と頷くと、口の中で呪文を唱え始めた。淡い光に包まれた傷口は徐々に塞がり、後も残らず消えた。 「……これで大丈夫です」 「うん、ありがとう……ペチカ?」 傷口が塞がった事を確認して顔を上げたセシルは、ペチカの暗い表情に気付いた。 「…すいません……」その声は、掠れていた。 「……何がだ?」 「私の所為で、お二人は……」ガルスとユージーンの事を言っているようだった。 「その事なら気にするな。二人は二人。私達とは違う。私は先に君の依頼を受けた。それならば仮令二人と争う事になっても、私は君の依頼を優先しなくてはいけない。それよりも、今問題なのはここがどこだと言う事だ。まずは街道に出なければ……」言って、セシルはイーリィの方を見て、「早速お前の出番だ」 「え、俺ですか?」 思わず自分を指差して驚くイーリィに、 「この森の精霊や妖精に、人の道はどの方向にあるのか訊いてくれないか」 「…………はいっ」返事をして、イーリィは辺りをキョロキョロ見回し、一本の老木に駆け寄った。そして、セシルとペチカには意味不明な言葉で語りかける。 「驚いたか」目を丸くするペチカに、セシルは説明する。「イーリィは、妖精に育てられたんだ。だから妖精や精霊とはああいうふうに言葉を交わすことが出来る」 ペチカは、しゃがんで木と会話するイーリィの姿を羨ましそうに眺めていた。 分かりましたっ、と叫んで、イーリィが満面の笑みで戻ってきたの、暫くしてからだった。 「こっちの方向に人が通る道があって、そこを西に行くと、小さな村があるそうです」 「よし、じゃあそこまで歩くか。野宿は危険だからな。それと、イーリィ」 何ですか? イーリィはセシルを見た。 「通信機のスイッチを切っておけ。今のままだと、こちらの位置が丸見えだ」 その時、やはりあの二人に追われているのだ、と、イーリィは改めて突きつけられた。 ■5■ 森を抜けた所にあるその村には、宿屋がなかった。森で迷ってしまって、と嘘の事情を言った三人に、気のいい村長が一部屋貸してくれ、そこで三人は夜を明かす事になった。 「嘘を、ついていたわけではないのです……」 布団の上に座って、ペチカは打ち明けた。 「敵の目を欺く為に男装をしていた。ただそれだけで。意味は、なかったようですが」 村長の奥さんが貸してくれた寝間着に着替えたペチカは、長い髪を軽く結わえていた。 「分かっていたさ。そんな事で謝る事はない。それより早く寝るんだ。明日は長く歩く」 「……はい……お休みなさい」 ベッドは二つしかなかったので、ペチカに一つを丸々使わせ、セシルとイーリィとで一つを使った。ペチカは強く反対したが、慣れない事をして疲れが取れなかったら元も子もない、とセシルが説得した。 むくり、とセシルは布団から出た。真夜中である。手には銃が握られている。二人が寝ているのを確認すると、窓辺まで歩いた。銃を顔の前まで持っていき、低く呪文を唱えた。銃口から淡い光を身に纏い、ゼファーが姿を現した。 * * * * クルセード・シティまでの道程は、意外とあっさりとしたものだった。刺客は一応あるものの、セシルに軽くのされてしまう。ガルスとユージーンの姿はそこにはなかった。 「このまま、何事もなく過ぎればいいのですが」 荷車の後ろで揺られながら、ペチカはぽつりと呟いた。 三人は同じ方向に行くと言う農夫の好意で、荷車の後ろに座っていた。速度は速いとは言えないが、ここ数日歩き詰めだったのでその好意に甘える事にした。何より、歩く事に慣れていないペチカの疲労が激しかったからだ。目指す目的地はもう目の前。こんな所で体を壊したら、今までの努力が無駄になってしまう。 「まあ、それは無理だろうな。相手が仕掛けてくるとすればここら辺でだ。目的地が目の前で相手の気が緩む。絶好のポイントだからな」 「先輩、そうさらりと言わないでください……」 「すまん、すまん。でも、本当の事だ。覚悟はしておけ」 それは奇襲に対しての事だけではない事をイーリィは分かっていた。そして自分はまだその覚悟が出来ていない。 「この荷車を下りるのは小高い丘の前だ。それから丘を越えればもうクルセード・シティとは目と鼻の先。多分、その丘の上で襲われるだろう。聞いた話ではその丘の周りには木が生えていて、てっぺん付近が野原になっているそうだ」 セシルは、そこでペチカを見た。 「ペチカ、君は黒幕の正体を知っているか?」 「え……」ペチカが口籠る。 「……今ここで奴らを退けて君が無事戻れても、黒幕を捕まえない限りこれからもこんな事が続く。それは目に見えている。それならこの機会に黒幕とその一味を捕まえればいい。これは絶好のチャンスだ。私も力を貸そう」 「俺もです、俺もっ。力になれないかもしれないけど……」こう付け加えてしまうのがイーリィの良い所だと思って、ペチカは強張っていた表情を和らげた。 「それで……分かるのか?」 「……はい」表情を引き締める。そして「多分、黒幕は名をガルバート=クルセード、私の叔父にあたる人です」 「な、何で叔父さんが狙うんですか?」 「それは……私が庶民出の母を持つからです」 ペチカは、膝に置いた両手を固く握った。 「私の父は今時珍しく、家柄などに無頓着な人でした。だから、商家の娘である母を后に迎えた。それを反対したのが父の弟である叔父でした。叔父は家柄などにひどく執着する人で。だから、庶民出の母を持つ私を許せなかったのでしょう。そして、私の膚の色も」 「え、どうして? ここら辺の人は皆ペチカと一緒だよ」今まで出会った人達を思い出しながら、イーリィが訊く。 「それは、クルセード家が東の出身だからか」 「……どうしてそれをっ」ペチカが驚きの表情を浮かべ、イーリィはますます頭を抱える。 「私なりに調べたんだ。いいかイーリィ、この国は東と西で膚の色が変わるんだ。東は私達のように白く、西はペチカのような褐色。クルセード家は元々東の貴族だったのが、荒れる西の地を治める為にこちらに来たんだ。だからクルセードの人間は膚が白い」 「でも、ペチカは……あ、お母さん」 「はい、母がこの西の地出身なのです。今でこそ西と東での差別は少なくなってきましたが、叔父は膚の色が自分達と違うと言うだけで西の者を嫌っていました。だから、膚の色の違う私がクルセード家を継ぐのが嫌なのでしょう。それも仕方のない事なのかも……」 「そんな事ないっ」ペチカの言葉をイーリィが遮った。「膚の色とか、そんなので差別するなんて。仕方のない事なんかじゃないっ。人は違って当たり前なのに、そんなので差別なんて」 「……イーリィ君……」 ペチカは大きな睛を更に大きくする。 「俺、俺そんなの許せない……」 「ああ、そうだな。ちゃんと決着をつけないとな……」 イーリィの頭にセシルは自分の帽子をかぶせた。涙が隠れるように。 許せない……その叔父さんも許せないけど、そんな奴についた兄貴達も…… ■6■ 農夫に別れを告げて、三人は丘の道を歩く。 周りの木々には、人が充分隠れるだけの陰がある。その中を三人は歩く。 そして、丘のてっぺん、遠くにクルセード・シティが見えた時に、動きがあった。 「危ないっ」「――え」 セシルに腕を引かれ動きを止めたペチカの足下に、ナイフが深々と刺さった。 「どうやら来たようだ……姿を見せろっ!」 セシルが空に咆哮する。ざっ、と姿を現したのは旅人の格好をした男達。どうやらペチカ達を仕留めた後、何事もなかったように散れるようにだろう。 そして、その中にはイーリィの見知った顔も。 「ここまでや……」 剣をすらりと抜き放ち、ガルスは冷たい目を三人に向けた。隣のユージーンも、胸の前で印を組む。 この二人と戦う覚悟は……どうしてもイーリィには出来なかった。 「イーリィッ」突然歩き出したイーリィに驚いて、セシルが悲鳴をあげる。 「兄貴……先生……俺、どうしても二人と戦えません……だから……こんな事、止めてください」イーリィは、二人より三メートル程離れた所で止まった。 「……ええい、何をしている。さっさと始末してしまえっ」 その時、男の声が四方から響いた。多分魔法か何かを使ったのだろう。その声にペチカは顔色を変えた。 「早くその娘を殺すんだっ。お前らには高い金を払っているのだ、しっかり働けっ」 「…………叔父様」ペチカは掠れる声で呟いた。 「早く殺せっ。殺すんだっ」声の主の姿は見えない。どこかの陰に隠れているのだろう。 「……殺すんですか? ……兄貴達はペチカを、殺すんですか? ……何も悪い事してないのに……何で、殺すんですか?」 「煩いっ、誰かそのガキを黙らせろっ」 「煩いのはお前の方だっ」イーリィが叫んだ。声の主がたじろぐ気配がした。 「何で殺すんだ、何でペチカを殺すんだっ。たかが膚の違いじゃないか、たかが家柄の違いじゃないかっ。それがペチカに何の関係がある、何で殺していい理由になるんだ。何で膚の色とか、家柄とかで、殺すとか言えるんだっ。自分勝手に、人が人を殺していいはずがないっ」 体が熱い。まるで、燃えているようだ…… 「……煩いッ、私は王になる器の持ち主なのだ。弱い考えの兄に代わって王になる者なのだ。そんな、そんなくだらない庶民の血を引いた奴が王を努められるわけがない。だから、害虫は早めに始末しておくのだ」 何かが、イーリィの頭の中で弾けた。 ごおっ、と耳元で風が唸る。 「……嘘、だろ……」誰かが呟いた。 人々の視線はすべてイーリィに注がれている。 イーリィは、真っ赤な炎に包まれていた。 「ペチカは害虫なんかじゃないっ」 叫ぶと同時に、炎が揺らぐ。 「う、撃てぇぇぇぇぇぇぇぇ!」 叫び声が人々を我に返らせる。男達はクロスボウを構え炎に包まれたイーリィを狙い、撃った。が、矢は全て体を包む炎に焼かれ炭と化す。 「そいつはいい、先にペチカを狙え」 クロスボウの向きが一斉に変わる。しかし、その僅かな隙を彼は見逃さなかった。 『烈風』 突然発生した強風に男達が薙ぎ倒されていく。無事残った男達も、突然の事態に浮き足立った。そこを斬撃が襲う。最終的に立っているのはセシル達三人と、森に隠れていた男と、男達を倒したガルスとユージーン。 「な……何だ貴様ら、なぜ奴らを攻撃しないっ」 悲鳴にも近い声が森の一角から響いた。 「そこかっ」セシルが吠えた。素早く銃を抜くと構え、撃鉄を指定の位置まで起こし、そして、 ぼひゅっ 銃声とは思えない音を出し、それは撃ちだされた。木々の合間を縫い、目も止まらぬ速さで目標まで飛び、そしてその体を縛り上げる。それは、束縛の鎖となったゼファーだった。 「ゼファー、連れてこい」 セシルの言葉に反応し、木々の合間からゼファーと、それに捕まえられ体の自由を奪われた男が姿を現した。男は魔道士特有の黒いローブを着、フードを深々とかぶっている。 その突然の事態に、炎に包まれたままのイーリィと、セシルの後ろにいたペチカは、何が起こったのか分からず呆然としていた。 「な、何をする貴様らっ」そしてそれは、この男も同じだった。 「何をするって、依頼を実行に移しただけやで、おっさん」長剣を肩に担ぎ、ガルスがさも当然と言うように言う。それに男はますます訳が分からないという表情を浮かべ、 「依頼人は私のはずだっ」 と叫ぶ。それに答えたのはユージーン。 「ええ。二番目のは。これ、何だか分かります?」 男の前に差し出したのは、半透明の平たい宝石。それを見て男は顔面蒼白になる。 「そう、記憶球です。声を封じる為の物。これでもうお分かりでしょう。僕達の本当の依頼人はカレイシス=クルセード。貴方の兄上です」 「……まさか……」 「その、まさか、です。貴方の兄上は、貴方が自分の娘をどうにかしようと画策しているのを察知して、僕達に賞金ギルドを通じて依頼をしたのです。弟を止めてくれ、とね。まさか、貴方が娘を殺そうとしているとは思っていなかったようですが」 「ほんま、びっくりしたで、領主の娘を殺せってあんたが言ってきたのには」 「しかも、代理人のフリをしてまで。でもま、それで僕達の仕事もはかどったわけですし」 「せやな。こうやって、動かぬ証拠も手に入れられたんや」 ガルスが目配せすると、ユージーンは呪文を唱えた。記憶球から声が漏れる。 〈クルセード領主の娘、ペチカ=クルセードを殺してほしい。礼金はたっぷりと払おう〉 〈……煩いッ、私は王になる器の持ち主なのだ。弱い考えの兄に代わって、王になる者なのだ。そんな、そんなくだらない庶民の血を引いた奴が王を努められるわけがない。だから、害虫は早めに始末しておくのだ〉 「とまあ、これじゃあ言い逃れは出来んよな」 「ですね。では、皆さん出てきてもいいですよ」 ユージーンの言葉に、森の気配が変わった。一体どこに隠れていたのか、皮の胴着や胸当てをつけた兵士達が現れた。その全ての胸元には、クルセード家の紋章であるカスクとチルルの刺繍があった。 ■7■ 兵士達は倒れる男達を縛り、或いは首謀者であるガルバートを取り囲む。ゼファーが戒めを解き、代わりに兵士が縄でその体を縛った。 「ペチカ姫、ご無事ですかっ」 兵士の一人がペチカに駆け寄ってきた。その姿を認めたペチカは兵士の名を呼ぶ。 「トム、無事だったのですねっ。良かった」 「それはこちらの台詞です。力の至らなかった私をお許しください、姫」 「そんな、貴方は充分戦ってくれました。でもどうして貴方がここに?」 「私が彼らに助けを求めたのです」トムと呼ばれた兵士は、他の兵士と会話をするガルスとユージーンを見た。「……本当は、私が貴方を殺すようにと命令されていたのです」 その突然の告白に、ペチカは目を丸くした。 「でも、私にはどうしても出来なかった。そこで、ガルバートが彼らと接触したのを知っていた私は、姫とはぐれた後彼らに。でも、その時には既に王が彼らに依頼をしていたのです。彼らは私にこう言いました、早くクルセード・シティに帰って、この丘を見張っていてくれと」 「……そうだったのですか……」 「申し訳ありません、姫。騎士として城に入った者が、守るべき主君を殺めようとしたなど」 腰の剣に掛けた手を、ペチカはそっと包んだ。 「いいのです。貴方はこうして私を救ってくれた。それでいいじゃありませんか」 「……姫……ありがたき幸せ……」 そんな二人を横目に、セシルは地面にへたり込んでしまい炎の消えたイーリィに近寄った。周りの地面は焦げて変色しているのに、彼と身に付けている物には何の変化も見当たらない。これが竜眼の力なのだろうかと、セシルは思った。 「大丈夫か?」声を掛けると、イーリィは顔を向けて一言。「どういう事なんですか? 先輩」 「え……まあ、結論から言うと、二人は裏切ってなかったと言う事になるな、うん」 「……先輩は、知ってたんですか?」 「まあ、な。ユージーンが私に魔法を放った時、明らかに手加減をしていたし……それに」 「それに?」 「黙っていたんだが、依頼を受けた晩、二人の下にゼファーを使いにやったんだ。それで……」 「…………ずるい。ずるい。ずるい。ずるい!」 叫び声を聞いて、ガルスとユージーンもやってきた。「何やイーリィ、何叫んどんの?」 「ずるいって言ってるんです。知らなかったの俺だけなんて」 「何や、イーリィ気付いとらんかったんや」 「話さなかったんですか?」 「……顔に出ると思って……」 「俺すっごく心配して、悩んだのに。みんなお芝居だったなんて、ずるいですっ」と言いながらも、その声にはどこか嬉しさが滲んでいる。で、目には涙も滲んでいる。 「で、でもまあ、あの炎は凄かったぞ」 セシルが話題を転換する。それに他の二人も乗る。 「せや、いつのまにあんな大技使えるようになったんや」 「そうですよ、もしかしたら睛の力を引き出せたのかも」 言われて初めて、イーリィは自分が炎に包まれていた事を思い出す。あわてて体中を見るが、焦げている所などどこにもない。 「俺、あの時体がかぁーっと熱くなって、自分でもどうしてあんな事になったのか……」 「それでも、力を発揮出来たんや。一歩前進やで、イーリィ」言われてガルスに背中を叩かれ咳き込みながら、それでもイーリィはいつのまにか破顔していた。 「ありがとうございます、皆さん」 声を掛けてられ、四人は振り返りながら立ち上がる。そこにはペチカとトムが立っていた。 「特にセシルさんとイーリィ君には、何と言ったらいいか」 「別にいい。私達はほとんど何もしていない。やったのはこの二人だ」 「確か、ガルスさんとユージーンさんでしたね、トム……この者から聞きました。この度は本当にありがとうございました」 「いいですよ。僕らは仕事をこなしただけですから」 「しかも、結構楽やったしな。大変だったのはこの二人やで。特にイーリィ」 ほっといてください。イーリィが呟く。 「それよりも、早く父上の所に行ったらどうだ。病気なのだろう」 セシルの言葉に、ペチカは、それなら心配ありません、と微笑んだ。 「先程トムに聞きましたら、それは父上の芝居だったそうです」 『……芝居!』セシルとイーリィが、同時にすっとんきょうな声をあげる。 「ええ、叔父の尻尾を掴む為の。まったく、我が父上ながら、呆れてものも言えません」 くすくす笑うペチカ。これが彼女の本当の顔なのだろう。ここまでの旅程の間こんな笑顔を見せた事がないな、と、イーリィは思って嬉しかった。その反面、叔父が自分を殺そうと画策した心の傷は消えていないのだろうとも思い、心が痛んだ。それを察したのだろう、ペチカがイーリィの顔を覗き込んできた。いきなりの事に、イーリィは耳まで真っ赤になる。 「……私は大丈夫です、イーリィ君。領主となる者、これ位の事で落ち込んではいられません」 その頭に、ぽん、と手が置かれた。ペチカが驚いてその腕を辿ると、セシルが微笑みかけていた。 「無理はするな。何事も程々にな。無理は体に悪い。これもいい機会だと思って暫く城で休息しろ。ま、どうせこんな事があった後だ、学院に戻るのは暫く後になるだろうからな」 「……セシルさん」 頭から手を離すと、セシルはこれからの事をガルスとユージーンに訊き始めた。 「…………あの、ちょっと来て下さい」 「――え」いきなり腕を引っ張られ、イーリィは訳の分からないうちに他の四人から引き離された。ペチカは誰にも聞こえないように、小さな声で言ってきた。 「あの……その……言い難い事なのですが……」その頬が仄かに赤い。「その私……好きになってしまったみたいなのです……」 どきん、とイーリィの心臓が跳ね上がる。 「セシルさんの事が」 その瞬間、イーリィは頭から冷水を浴びせられた気がした。 「自分でも自分が分からないのです」と告白する声を遠くで聞きながら、イーリィは一言。 「…………先輩は」言いかけて止める。その事実は余りにも残酷だろう。イーリィは視線をセシルに泳がすと、決意を固めて言った。 「俺よりも、本人に直接言ったほうがいいよ」 「そう、ですよね。ありがとうございますイーリィ君。私達、友達になれるかもしれませんね」 にこにこと笑うペチカを見ながらイーリィは、心にちくんと刺さった刺をどうしたらいいのか考えていた。 ■8■ その晩、四人は領主と謁見の間で面会した。 約束の報酬を受け取った四人は、その後の晩餐会に招待され、そこで姫の装束に身を包んだペチカと再会した。その夜は城の客室で疲れをとった。次の日の朝、旅立つ前に王と挨拶し城を後にしようとした四人は、ペチカに呼び止められた。用事があったのはセシルで、三人と離れた場所で二人は言葉を交わした。 なんなんやろな、ガルスが呟くのを聞きながら、イーリィは複雑な表情を浮かべていた。 暫く後、セシルはそこにペチカを残し、戻ってきた。会話の内容を聞きたがるガルスを無視しセシルが歩いていくので、三人もその後を追いかけるようにして旅路についた。 門を出る時、イーリィは振り返った。 白いドレスを着たペチカが、いつまでも手を降っていた。 いつまでも、いつまでも。 旅人の姿がすっかり見えなくなってから、ペチカは振っていた手を下ろした。 結局、最後まで自分の気持ちを伝える事は出来なかった。初めて好きになった人。初恋は実らない、と言う先人の言葉は正しいと、身をもって実感した。 本当なら、あの隣に立って一緒に冒険したい。 色々な事を訊いてみたい。 一緒に笑ったり、感動したりしてみたい。 でも、それは全て叶わぬ夢。自分には、ここでやらなければならない事が多すぎる。 人は皆、何かしらの役目を持って生まれてくると言う。自分の場合、それはこの地の治世をより良いものにする事だろう。自分でも、そう思っているのだから。 でも、出来る事なら、あの隣に立って、ここよりも大きな世界に触れてみたい。 あの睛が捉えるものを、一緒に感じたい。 だから連れていって、私の代わりに。 素直になれなかった、私の代わりに……。 「イーリィ、ちょっと待て」言われて、イーリィは立ち止まった。そのケープの胸元に、セシルが木彫りのブローチをつけた。花をくわえた鳥の形をしている。これは、と首を傾げるイーリィに、セシルは、 「お守りだ。大切にしろ」 その返事は、イーリィの疑問を晴らしてはくれなかったが、とりあえず頷いた。 カスクの花言葉は、いつもあなたの傍に。 さようなら、私の初恋。 嘘をついてごめんなさい。 【おわり】 |