《Weitergehen》



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Weitergehen 第八話
仲間
■1■

 どうしてこんな事になってしまったんだろう。
 丸く切り取られた空を見上げながら、イーリィは嘆息しながら思った。時を計るものがないので正確には分からないが、真夜中近くであることは間違いないだろう。そうなると、もう既に四時間近くはこの中にいる計算になる。
 ぐぅぅぅぅ、と、情けない虫の声。昼に食べて以来なにも口にしていない。腹が減るのは当然の事だ。
 無駄だと思いつつ、ポケットの中を探ってみる。やはりなにも入っていない。
「……このまま夜が明けたらどうしよう……」
 抱えた膝に頭を乗せながら、イーリィは半分泣きながら呟いた。
 徐々に春は近づいているが、まだまだ明け方は冷える。このままの状態が続けば、下手すれば死んでしまいかねない。痛めた足の鈍い痛みが、イーリィの意識を辛うじて現実に繋ぎ止めている。しかしそれも徐々に寒さによって薄れている。早くここから出なければ、最悪の想像が現実のものになってしまう。

 事の始まりは、夕食間近の頃だった。

「混まないうちに席を取りたいのに、二人は何をしているんだ?」
「俺、呼んできます」
「……では私は先に席を取っておくよ」
 階段を下りるセシルに背を向けて、イーリィは宿屋の廊下を早足で歩いた。宿屋の事情で隣り合わせの部屋を取れなかった為に、お互いの部屋はかなり離れた場所にあった。イーリィとセシルの部屋からガルスとユージーンの部屋までは、階段を一つ昇り、廊下をいくらか歩かなくてはいけない。
 宿屋のドアはどれも同じ造りなので、部屋番号の印されたプレートに気を付けながら、イーリィは二人の借りた部屋の前に立った。
 ノックをしようとイーリィが手を上げた時、中から声がした。
「イーリィには君付けするんやなあ」
 いきなり自分の名を言われ、イーリィはあげた手を止めた。
「いきなりなんですか?」
「いやな、ふとそないな事思ってな。ずっと不思議やったんや。お前は他人にはくそ丁寧やけど、それって、そうする事によって相手との間に壁を作っとるからやろ。全てをオブラートに包んで、綺麗で爽やかな好青年に見せる為に。きったない自分なんか、見せへん。好青年を演じたほうが、人受けはええからなあ」
「……で、何が言いたいんですか? 結局」
 ユージーンの声に、少し苛立ちが混じった。
「そのまんまや。ジーン、お前、イーリィの前では演技しとるやろ」
「――っ」
「セシルの前でもしとるけど。けどそれは、自分がどうとも思ってない奴にするのとは別の意味での演技や。嫌われたないっていう気持ちからの演技、ええかっこしいや。けど、イーリィに対する演技は、どこか毛色が違う。わいが思うにそれは……」
「だから、何が言いたいんですか?」
「……確かに、イーリィはいつか別れてまう仲間や。けど、それまではわいらの仲間やで」
「――波風立てないようにして何が悪いんですか、ここで僕とイーリィ君の仲が悪くなって、旅をしている間ずっと気まずかったら、困るじゃないですか!」
 頭が、真っ白になった。

 廊下を駆ける足音に最初に気付いたのはユージーンだった。すぐにドアに飛びつき、開け放つ。音の主の姿はもう消えていたが、立っていたらしき場所に、点々と水の跡が残っていた。
「……ガルス、貴方は知っていましたね」
「何がや?」
「とぼけないでくださいっ、貴方は、ここでイーリィ君が僕達の話を聞いていたのに気付いていましたね!」
「だったらどうやっていうんや、嘘をついたんか? そしてこれからも嘘をつき続けるんか?」
「――!」
「少しは、自分に素直になったらどうなんや」

 ごすっ

 いきなり頬を殴られ、ガルスは体をよろめかせた。それでも、鋭い視線をユージーンにぶつける。
「……怒るんわ、自分でも自覚があるからやろ。変わってへんな、ユージーン」
「…………っ」
 ユージーンは、駆け出していた。

■2■

 どこをどう走ったのか、既にそんなのは覚えていない。いや、そもそも覚える気などなかった。頭の中で、言葉がぐるぐる回っている。
 あんなふうに思われていたなんて。
 涙が止め処無く溢れて、風にさらわれ飛んでいく。足はほとんど自動的に前に出され、目的地など存在していなかった。周りの景色なんて目に入っていない。ただ、闇雲に走って、いつのまにかここに足を踏み入れていた。
 暗い、月光だけが頼りの暗い森。見ていたのは、前ではなく自分の足だけ。それも涙によってぼやけている。だから気付けなかった。だから気付かなかった。
 がこっ、と言う鈍い音と共に、体がぐらついた。足の下に確かに感じていたはずの大地の感触は消失し、ぽっかりと開いた穴に、体は意識ごと沈んだ。
 どれだけの時、気を失っていたのだろうか、気が付くと、まあるく切り取られた夜空が見えた。どこで見ても星空はきれいなんだな、その時ばかりは、何もかも忘れてそう思ったのだ。
 でも、足の痛みが思考を現実に引き戻した。
 多分ここは枯れた古井戸なんだろう。イーリィは石造りの壁を見て思った。地面は何となくじとっとしているし、苔がみっしりと生えていたからだ。この苔のクッションのお陰で、自分は足を痛めただけで済んだのかな、そう思ったりもした。
 けど、その思考の全ては、ここから助かる道だけは与えてはくれなかった。
 空を飛ぶ魔法がある。イーリィ自身も、よく森でその魔法を使って飛ぶ妖精を見た事があった。彼らは飛ぶ為に必要な羽根や翼がないのに、大空を自由に飛び回っていた。けど、イーリィはその魔法を知らない。だから、魔法でここから脱出する事は出来ないのだ。
 壁の窪みを使ってよじ登るという考えも浮かんだが、それはすぐに却下された。痛めた足で登れる距離などたかが知れてる。それよりも、かなり登った所から、何かの拍子で落ちてしまったら、それこそ洒落にならない。
 ぐだぐだ考えているうちに、夜はとっぷりと更けてしまった。
(ああ、こんな所が駄目なんだな……)
 納得してしまった。結局、自分はユージーンには好かれていなかったのだ。御荷物だと思われていたんだ――本当の事だけど。魔法を教えてくれたのだって、少しでも足手纏いをなくそうとしたからで、竜眼の力を引き出せた時に喜んでくれたのも、周りに合わせたからなんだ。本当は、自分に勉強を教える事だって煩わしかったに違いない。折角のんびり休める時間を、こんな物覚えの悪い莫迦の為に使ってしまうんだから。
 暗い思考は、それよりも暗い思考を呼び寄せ、それが堂々巡りの悪循環。無限のループ地獄に落ちてしまう。
 でも、こんなに思っても、やっぱり、イーリィはユージーンが好きだった。
 落ち着きのある物腰、豊富な知識、綺麗な動作、誰をも和やかにする微笑、そして、あの優しい声。
 全てが、イーリィは好きだった。
 嫌われてもいい、嫌われたままでもいい。それでも、イーリィはユージーンを嫌いになれず、ずっと、ずっと好きなままだった。それだけは、どんなに恐ろしい事を考えても変わらない。これだけは、イーリィの中の真実だった。
「……決めた、決めた決めた! もしここで助かったら、先生に迷惑をかけないようにしよう。勉強も教わらない。自分で出来る事は全部する。絶対に、先生に頼らない……」
 ぽろぽろと、流し尽くしたはずの涙が溢れる。
「……だから……もう迷惑かけないから……嫌いになら……ないで……」
 好きでいて、お願いだから、俺を好きでいて、何もしなくていいから、ただ、好きでいて。俺を好きになって……

 朦朧とする意識の中で、誰かが呼んだ気がした。自分の事を、呼んだ気がした。
 うっすらと開けられた目が見たのは、やっぱり石造りの壁と、それを覆う苔。
 微かな希望を抱いていただけに、その現実はイーリィの心を傷つけた。
 今までの事が全て、夢だったら良かったのに。
「――?」
 けど、これだけは、気の所為ではなかった。
「イーリィ君! イーリィ君!」
 自分を呼ぶ声。自分の名前を呼ぶ声。声の主は……
「せん……せい……?」
 何で? どうして? どうして先生が、どうして自分を嫌いな先生が、どうして……???
 頭の中を、疑問符が乱舞する。
「イーリィ君! 聞こえていたら、聞こえていたら返事をしてくださいっ」
 声は、暗い森の中を響く。
「お願いですっ、返事を。僕は、謝らなければならないっ。お願いだから、返事をっ、返事をください……イーリィ!」
 叫ぼうとして、声が嗄れている事に気付いた。気付いてすぐに叫びすぎたからだ。声が出ない。
「イーリィッ」
 でも、返事をしなければ、ここで返事をしなければ。だって、呼ばれているのだから。

■3■

 まずは宿の中をくまなく探した。そして宿屋周辺、少しずつ、少しずつ範囲を広げて、人に聞いて、赤い髪の子が森に入ったのを見たと聞いて、森に入って、呼んで、呼んで。
 でも、あんな事を言った自分のもとに、果たして来てくれるのだろうか。
(人の事、言えないじゃないですか)
 自嘲気味に笑う。叫びながら走った為に、息が乱れてきている。
 絶望しかけた時だった。
「…………!」
 明かりが見えた。木々の向こうに、明かりが見えた。始めはどこかの家の明かりだと思ったけれど、すぐに違うと分かった。明かりは、ゆっくりと上昇していく。ウィル・オ・ウィスプの類とも思ったけれど、それも違う。あれは、あの光は、魔法によるものだ!

 これしか思いつかなかった。光の魔法。拳ほどの光を生み出す魔法。ただ、光るだけの魔法。見なければ分からない。目に入らなければ分からない。後ろを向いていては、意味がない。
 それでも。
 上がれ、上がれ、天まで上がれ。そうして、目に入って。気付いて。俺はここだよ、先生!

「イーリィッ」
 まあるい夜空がまた切り取られた。人影が黒く自分を見下ろしている。
「先生っ、はい、俺ここにいますっ」
「良かった……今そこに行きますっ」
 言って、返事も聞かずにユージーンは身を乗り出した。慌てて、イーリィは出来るだけ壁際による。それでも、残ったスペースは微々たるものだ。このまま飛び降りたら、自分とぶつかってしまう。止めようと顔を上げたイーリィの目に映ったのは、ゆっくりと下降してくるユージーンの姿。
 とん、と、音もなくユージーンは井戸の底に足をつけた。
「イーリィ……」
 井戸の底には明かりがないので、表情を読み取ることは難しい。
「……ごめんなさい……傷つけてしまって」
「違うです、悪いのは俺のほうだから。先生の気持ちに気付かなくて――」
 急に体の自由がきかなくなった。それが抱きしめられた為だと気付くのに、イーリィは少しかかった。
「違います。悪いのは僕のほうなんです。貴方は少しも悪くない……僕は、怖かったんです」
 いつもと違う、少し震えた声が懺悔する。
「貴方はいつか僕らから離れてしまう。森に帰ったら、貴方は僕らと別れてしまう。それが、怖かったんです。いつか別れが来ると分かっているから、その別れが辛いから、だから、必要以上に近づかないよう、必要以上に好きにならないようしていた。臆病だったんです。いつか来る別れを恐れて、貴方を傷つけてしまった」
「…………」
「嫌いじゃないですよ、イーリィ。大好きです、僕は貴方が大好きなんです」
 ぎゅっ、と抱きしめる力が強くなった。
「……俺も、俺も先生の事大好きです」
 ぼろぼろと零れる涙は、少し温かかった。

 ユージーンに抱きかかえられて、やっとイーリィは井戸から出られた。
 自分の体が宙に浮く、不思議な浮遊感を味わいながら、イーリィは上を見上げるユージーンの顔を盗み見た。その頬に、涙の跡がある。
 井戸の近くの岩に腰掛け、足の治療をしてもらった――後から思えば井戸の中でこれを使えば良かったのだ。あの時は気が動転していて思い浮かばなかった|低く紡がれる呪文。歌っているように聞こえるそれを耳に、イーリィは夜空を見上げた。井戸の底から見えた空と違い、それは丸く切り取られていない。葉叢によって遮られてはいるものの、それは果てしなく続いている。
 やっぱり、この空の方がいい。
「……これで大丈夫です。立ってみてください」
「はい」
 二本の足で大地に立つ。この感触がこれだけ安心をもたらしてくれるなんて、イーリィは何度も足踏みをし、その感触を楽しんだ。
「……イーリィ……」
「はい?」
 見上げると、ユージーンが微笑を浮かべて自分を見つめていた。
「……ありがとうございます」
「…………? お礼を言うのは俺のほうですよ、助けてもらったのは、俺のほうなんですから」
「それでも、ありがとう、イーリィ」
「……先生変ですよ」
「変ですか?」
「変ですよ」
 二人は言い合いながら、くすくすと笑いあった。

■4■

 宿屋に帰ると、まんじりもせずにその帰りを待っていたセシルに、二人はこっぴどく叱られた。その横では、頬に青痣をつけたガルスが、ニヤニヤと笑っている。
そして、女将さんの好意で残してもらっていた夕食を、二人は皆と並んで食べた。
「…………俺、ここにいてもいいんですよね?」
 いきなりイーリィが訊いてきたので、三人は一様に動作を止めた。
「俺、足手纏いだし、戦えないし、莫迦だし、体力ないし、お金稼げないし、人見知りするし」
 体が微かに震える。
「……今更何言っとんのや?」  真っ先に口を開いたのはガルスだった。ちびちびと飲んでいたエール酒の入ったコップを置くと、ガルスは頬杖をついて言う。
「何にも出来ん無能なんか、わいは連れて歩かんで」
 その言葉に、イーリィは跳ねるように顔を上げて答えた。
「でも俺何にも、何にも出来ない、無能、です」
 そしてまた俯く。
「……無能が、私の怪我を治してくれたか?」
 セシルが、ホットミルクの入ったカップを両手で包んで言った。
「無能が、わいの為に眼帯をプレゼントしてくれるか?」
 ガルスが、右目を隠す革の眼帯を指差した。
「無能が、僕の教えた魔術を覚えて、自分の場所を教える為に鬼火を使いますか?」
 ユージーンが、優しく覗き込んできながら言った。
「わいらは仲間やで、イーリィ。仲間って言うのは、助け合いが出来る奴らの事や。馴れ合いとも違う。力を合わせるのともちょっと違う。何か分かるか?」
「……いいえ」
 ぷるぷると首を振るイーリィに、ガルスは、
「それぞれが勝手に動いても、好き勝手に行動しても、いつも最後には戻っていけるところや。そんでもって、何か壁にぶちあたってもうた時、背中を蹴飛ばしてくれる奴らの事や」
 自信満々に、酔ったようにいうガルスに――実際は少し酔っているのだが。すかさずツッコミが入る。
「……それは違うと思うぞ」
「僕も、セシルの意見に賛成です」
「何でやっ、仲間の真の姿っていうもんやないか。つまずいた時に、其の場凌ぎの甘い言葉やのうて、にっがい薬をくれるんが仲間やろ」
 心外と言うように、ガルスが言うと、
「確かに一理ありますけど……でも、違うでしょう」
 負けじとユーシーンも言い返す。
「そんな事ないって」
 二人の言い合いにどう反応していいか分からずに硬直してしまったイーリィに、セシルが優しく囁いた。
「私が思うに、素直な自分を見せれるのが仲間だと思うぞ。それに、仲間の定義は人それぞれだ。イーリィが私達を仲間だと思ってくれれば、私達はイーリィの仲間になれるんだ」
「……はい」
 ここにいられる理由は、ちゃんとこの胸にあった。

【おわり】


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by 蓮